最初のお告げ

「ただいま~」


 始業式を終え、早めに帰宅となった俺は無人の家の中で無意味な挨拶をした。


 癖になってるいるんだろうか。いや別に悪いことじゃないんだけど、誰もいないのに毎回ただいまって言ってしまうのは何故なのか。


「おかえり、あなた♡」

「・・・・・・」


 いや、いた。この家は無人ではない。もっと正しく言うと人間は俺一人、そして神様が一人の合計二人だ。


 ミコトは着物の上にエプロンを着用していて片手にはおたまを持っている。


 そして口には、例のごとくチョッパチュップスが咥えられていた。


「料理でもしてたんですか?」


「んーや? そもそもウチ料理なんてしなくても食べ物くらい創れるし」


 細い指をくるりと回すと空中に星が舞って、気づくとミコトの手にはタピオカジュースが握られていた。


「その力でチョッパチュップスも創ればいいのでは?」

「ムリ。チョッパチュップスは神すら超える飴ちゃんだから。ウチの力じゃどうすることもできないね」


 そう言ってミコトはチョッパチュップスをおいしそうに舌の上で転がした。


「タピオカジュースいる? タピっちゃう?」

「いらないです」


 俺は玄関に鞄を投げて階段を上がると自分の部屋に直行し、ベッドに寝転がる。


 そしてミコトも当たり前のように俺のすぐ横に寝そべった。


 鼻と鼻がぶつかりそうな距離。俺は慌てて飛び退いた。


「なんで流れるように潜り込んでるんですか!?」

「いやキミ、ベッドで寝てる暇なんてあるのん?」

「・・・・・・どういうことですか?」


 ミコトは四つん這いですり寄り、俺を見下ろして言った。


「願い事。早くしないとウチここからいなくなっちゃうよ? 神様が現界するのってあんまりよくないことだし長居すると偉い人に怒られちゃうんだから」


 神様の中にも一応規則みたいなものはあるらしい。


「まぁチョッパチュップスなんて神的に最の高な飴ちゃん貰った恩だけは返すつもりだけど。どう? ウチ義理堅くない? 義理堅くな~い?」


 神様に対してこんなこと思っちゃいけないんだろうが、ちょっとウザいと思ってしまった。


「一晩考える余裕あげたんだし、よろり決まったでしょ?」

「もしかして昨日のはチョッパチュップスに夢中になってたわけじゃなくて・・・・・・」

「あ、当たり前じゃん! ウチ神様だよ? あえてキミに時間を与えたに決まってんじゃん! わざとだよわざと。粋な計らいでしょ!」


 どこか焦っているように見えるのは気のせいか?


「ささ、今なら多少ムリ気な願いも叶えちゃうよ」


 願い事。願い事か。


 正直なところ、昨日のうちにすでに決まってはいた。


 それは、俺の知らないもの。


 今まで知らないフリをして自分には関係ないことだと目を逸らし続けてきたが、心の底では羨んでいた決して口にすることの許されない思い。


 今までプライドという病原体が体を蝕んで前に進むことのできなかった俺に舞い降りた特効性のワクチンである神様に言った。


「彼女が欲しいです」


 ミコトは頬をチョッパチュップスで膨らませたまま、固まってしまった。


 やがてボリッ、と飴を砕く音が聞こえ、続いて駅前でよく響き渡っているような甲高い笑い声が部屋を包んだ。


「あっ、はははは! え、彼女が欲しいって! ぷっ、いやいやいや! 願い事なんでも叶えてあげるって言ってんのに、彼女が欲しいって! あははは! やばっ、おなか痛いっ! 笑い死ぬっ!」


 腹を抱えてケタケタと笑うミコト。


 やはり、言わなければよかっただろうか。本心は包み隠して、ありきたりな願い事を叶えてもらいそれで終わりにするべきだったと後悔しそうになるが、ミコトは涙を拭いて口からチョッパチュップスを取り出すと勢いよく俺に突きつけた。


「いいっ!」

「へ?」

「キミ、いいねっ! 最高! かなりイケてるよ!」


 何が何だか分からず、微かに濡れたチョッパチュップスに映り込む自分の呆けた顔を見つめる。


「今まで何回か人の願い事を叶えてきたけど、どれもこれも大金が欲しいだとか名声が欲しいだとかくっだらないことばっかだった。でもまさか『彼女が欲しいです』だなんてマジ顔で言う人がいるだなんてね。あははっ、キミ。今ウチの中で超絶ブーム巻き起こしてるよ」

「は、はぁ」

「ウチもイチオー縁結びと恋愛の神様でもあるから、うんっ! そういうことならウチに任せてよっ! 飛行艇に乗ったつもりでドンと構えてなさい!」


「飛行艇ですか?」

「うん、大船に乗ったつもりで~とかよく言うじゃん? あの最強版!」


 よく分からないが、一応は俺の願いを叶えてくれる方向で行くみたいだ。


「てか、なんで彼女? 神様に頼むほど愛に飢えてる系なん?」

「飢えてるっていうよりも、知らないんです」

「知らない?」

「はい。俺、昔から誰かを好きになったことってないんです。彼女がいる友達の話とか聞くといいなーとは思うんですけど同時にめんどくさそうだなーって思ったりしてしまって。でも、来年で高校は卒業ですし、それまでに一度は誰かを好きになっておきたいんです。このままだとなんか、冷めた人間になってしまいそうで・・・・・・とにかく俺は、今年中に彼女を作って好きって感情を知りたいんです。俺は・・・・・・変わりたいんです」

「ふんふん、なーほどね」


 俺が思いの丈をすべて口にすると、ミコトは目を瞑り何か呪文のようなものを呟き。そして再び目を開けると片方の瞳が血潮のような赤に染まっていた。


「んーむむ」


 ミコトはどこか遠くを見るようにして、小さく唸っている。


「あの、なにしてるんですか?」

「千里眼。これでキミの運命を視てるの」


 いきなり神様っぽい技きた!


「なるほどね」


 一通り終わったのか、ミコトの瞳の色はいつものエメラルドグリーンに戻っていた。


「率直に言うね。今んとこ、キミのこと好きな人はこの世に存在しません」

「がーん」


 薄々分かってはいたが、いざ神様にその事実を宣告されると効果音を口にしてしまうほどに落ち込んでしまう。


「誰も好きになったことのない人が誰かに一方的に好きになって貰うなんて話普通にありえないし当然っちゃ当然かな」


 それを言われると、俺も返す言葉もない。


「ま、ウチに任せておけば、三ヶ月後にはもう彼女どころかハーレムの出来上がりだね。もうウハウハだね。一夫多妻制だね」

「いや、そこまではしなくていいんで」

「そう? 謙虚だねキミ。そんなんじゃ世界狙えないぞ?」


 なんのこっちゃ。


「おっけー了解。まぁウチも前置き長いのは好きじゃないからさっそくいっちゃおっか」


 するとまた、ミコトの瞳が赤く光る。今度は両目だ。辺りを青白い粒子が雪のように舞って冷ややかな空気が漂い始めた。


 一体、彼女が欲しいなんて願い事どうやって叶えてくれるのだろう。そもそも、俺に彼女なんて本当にできるのか?


 顔も冴えないし、神様にすら手に負えないダメ男だったらどうしよう。


「あっ! わかりました、俺をイケメンに変身させてくれるんですね?」

「おばか。顔変えたいならタイか韓国にでも飛んで整形してきなさい」

「じゃあ・・・・・・髪型ですか!? この長い髪をさっぱり切って爽やかな印象にしてくれるんですね!?」

「美容室いきなさい」

「じゃあ・・・・・・!」

「あのね、キミは外見を変えたいの? それなら今すぐキミをハリウッドスター並のイケメンに変えてあげるけど? でも、違うんでしょ? キミはさっき変わりたいって言ったよね? それって、今までの自分が嫌で、前に進みたいってことなんじゃないの?」


 ミコトの言うとおりだった。自分のダメ人間ぶりに情けなくなり俺は口を噤んでしまう。


「ん、よし」


 そう言うと、途端に辺りを包んでいた神妙な雰囲気が消え、いつも通りの俺の部屋になる。


「まず話しかけること」

「え?」

「キミの隣の席の、山吹乃愛やまぶき のあちゃんっているでしょ」

「ん~? あぁ!」


 すぐにはピンと来なかったが、記憶を辿るうちに思い出した。


 確か、長い黒髪の子だった気がする。前髪がちょっと長くて素顔はあまりしっかり見たことないが。まぁ、あまり冴えない印象の子だ。人のことを言える俺じゃないんだけど。、その子がどうしたのだろう。


「その子に、明日話しかけること」

「山吹さんとは一度も会話したことないんですけど。いきなりですか?」

「なんか悪いことあるの?」

「いえ、なんていうか。俺も会話得意じゃないですし、山吹さんも。その、あんまり話すような人じゃなくって。休み時間とかもよく一人でいるし」

「キミ、千里眼持ってるの?」

「持ってないですけど」

「千里眼持ってないのに、どうしてそんなこと分かるの?」


 どうしてもこうしても、一応1年近く同じクラスなのだから大体の人柄は把握しているつもりだ。


 山吹さんは暗い、というよりは大人しい感じで、いつも一人で本を読んでいるような人だ。仲のいい友達もいないようで誰かと話をしているのを見たことがない。


「いい? 話すっていうのは相手を知るってことなの」

「どういうことですか?」

「人間は第一印象だけでその人のことを知った風に言うけど、それは大きな間違いなんだよね。例えば、うーん。キミ、朝ゴミ捨てに行くと毎回すれ違うおじいちゃんいるでしょ?」

「いますね」


 なんで知っているんだろうと思ったが、それこどその千里眼というやつで視たのかもしれない。


「どんな人?」

「そうですね。俺が挨拶しても返してくれないし、無愛想なイメージの人です」

「なるほどね。でもね、そのおじいちゃん。挨拶をしないんじゃなくてできないんだよ。昔に舌癌の手術で舌を失ってる。気づいてないかもしれないけど、キミが挨拶したあとそのおじいちゃんはたどたどしい言葉遣いできちんと返事をしてたよ。『おはよう。それとすまないね』って」

「そんな」


 俺は心のどこかでそのおじいちゃんを悪く思っていた。だけど、そんな事情があったなんて。


「ちょっと話そうとすれば分かることも、話をしなければなにも分からない。山吹ちゃんって子も、実は明るい子かもしれないでしょ? だからまずはちゃんと話すコト。それと、同時にキミを知ってもらう機会にもなるしね」


 ミコトはアップル味のチョッパチュップスの袋を解いて、口に放る。すると空いたもう片方の手を胸の中に入れて、なにやらシールのようなものを取り出し俺の腕に貼り付けた。


 ラメ混じりの派手な装飾のシールには、こう書かれていた。


 『話をして相手を理解せよ』


「いい? これは命令でもアドバイスでもなくて。お告げ。神様からのお告げだからね? このお告げを毎回しっかり守ってればきっとキミは数ヶ月後には変われてるはずだから」

「は、はぁ」


 いまいち信じきれないが、そんな俺の気持ちを知ってか知らずかミコトは変わらず無邪気な笑顔で言った。


「これはウチからの、卍なお告げなんだから」


 その時、ガチャリと玄関の扉が開く音が聞こえ、続いて階段を上がってくる音。


「あ、母さんが帰ってきたかな」


 俺がそう言うと、ミコトは顔を青くして飛び退いた。


「うそっ!? 部屋に入ってくる!?」

「多分そうだと思います」

「や、やばっ! ウチ隠れなきゃ! ぶへっ!」

「え? どうかしたんですか?」


 相当焦っているようで着物の裾を自分で踏んでずっこけていた。


「昔、知り合いのお母さんに『なんだいそのけったいな髪の色は!』って怒られてムリヤリ黒に染められたことがあるの! それがトラウマでお母さんはちょいムリ!」

「我が家の母さんはそんなことしないと思いますけど。むしろ娘が欲しいっていつもぼやいてたから歓迎されますよ」

「ウソ! そんなお母さんいるわけない! お母さんはみんな金髪が嫌いなんだ!」

「いや、それこそ。話してみないとわからないんじゃ――」

「ううん! ウチには分かる! 言葉は不要! 話すまでもない! じゃ、ケツカッチンだから!」


 俺が言い終わる前に、ミコトは窓から飛び降りて風と共にどこかへ行ってしまった。ケツカッチンっていつの言葉だよ。


「あら? こんな寒い日に窓全開にしてどうしたの?」

「あ、母さん。ちょっとね」


 うーん。やっぱりイマイチ信用できないというか。こんなんで俺は本当に彼女を作り、変わることができるのだろうか・・・・・・。

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