第8話 最初の一歩

 人とは、どうしようもない時は叫ぶことしかできない。


「うわぁぁぁ!?」


 ヨゾラは身をもってそれを感じていた。

 重力に引っ張られ、どんどんと加速していく。体勢が定まらず、空中でぐるぐると回る。

 ちらりと見えた下は、広大な森林だった。その中にある湖へ一直線に落ちているが、この高さから落ちれば、水面に当たる衝撃は凄まじいものだろう。人間の身体などグシャリとなるはずだ。

 やっとの思いで体勢が安定したヨゾラは、いつの間にか右手で握っていたものを訝しげに見た。


「なんだ、これ……」


 それは、一言で言えば剣だった。しかし、その剣の刀身は黒を基調として所々に透き通るような青の装飾がなされている。

 普通の剣ではない。それは直感的に分かる。しかし、この剣が今の状況をどうにかできる代物とは到底思えなかった。

 あれほど遠かったはずの湖が、もう眼前だ。


「誰か助けてくれぇ!!」


 もはやどうすることもできないヨゾラは、水面に激突する直前に目を瞑った。その瞬間、身体全体で感じていた重力が消える。


「……ん?」


 衝撃がなかなか来ないことを不思議に思い、ヨゾラが目を開けると、湖の水面が目の前に。どうやらヨゾラの身体はすんでのところで勢いを止め、宙に浮いているようだった。


「……? 助か、ごぼっ!?」


 安堵したのも束の間、ヨゾラは派手に水飛沫をあげて湖に落ちた。






「はぁ、はぁ……」


 湖を泳ぎ切ったヨゾラは謎の剣とリュックを放り投げる。真夜中で周りが見えない中、ヨゾラは湖のほとりに座り込んだ。


「ソル……」


 ここは何処なのか。頭に響いた声、謎の剣は何なのか。

 疑問に思うことはたくさんあれど、ヨゾラにはそれよりもソルを失った悲しみの方が大きかった。さっきまで悲しみにくれる時間さえなかったために、今になってどっと押し寄せてくる。


「これからどうすればいいんだよ……お前がいなきゃ、俺は何もできない……」


 ソルとの思い出は、いつもソルが手を引いてくれていたものばかりだった。

 街の七不思議を調べようと言ったのは、ソルが最初。孤児院に入る前、スラムに住んでいた時だって、他の奴らとの喧嘩はいつもソルが前に出ていた。何かをする時はいつもソルがきっかけで。


 思えば、ソルは自分の世界の全てだった。


 いつからか劣等感を抱くようになってしまったけど、それでもずっとソルはヨゾラにとって憧れだった。でも、その憧れはいなくなってしまって。


 ソルから受け取った薄青色の腕輪を取り出す。ソルの象徴、それを眺めながら寝転がった。これも、己の左腕に付けている腕輪も、ソルが作ろうと言い出して二人で作ったもの。


 ゲノヴァで苦しんでいる人を救う。腕輪を作った時の誓いは遂に果たされなかった。二人の夢だったはずのに。


「俺だけじゃ、無理に、決まっているだろっ……」


 抑えきれない涙を拭う。

 死ぬ間際、ソルはたとえ自分が死んでも、一人で誓いを果たしてくれと言った。そんなの無理だ。何でもできるソルがいたから、やれる気がしたのに。才能も何もない自分が、世界中の人をゲノヴァから救うことなんてできるわけがない。


「……ソル、お前みたいになりたかった」


 濡れた身体を夜風が襲い、どんどん体温が奪われていく。身体よりも心の方が冷たくなっていく気がした。だけど、目のあたりだけは熱くて。冷えた身体を溶かすのではないかというほど熱い涙が、頬を伝う。


 そんな時、一筋の箒星が流れた。


 ヨゾラの目が自然と、星が瞬く空へと向く。

 一つ一つの輝きは淡い星。その星たちが無数に集い、宇宙をまるで真っ二つに分けるような輝きを見せる、壮大な天の川。

 故郷の空では見たことのない光景がそこにあった。


「……知らない空、か」


 その光景を見て、思わず呟いた。


『知らぬ空を知り、一歩でも進めば、また知らぬ空だ』


 思い起こされるのは、ランヴィルの言葉。


『辛さ、不安に駆られて泣いた一歩前の自分を過去にし、自分の進むべき道を歩みなさい』


 それを聞いた時は、自分を変えたいと思った。親友への劣等感を抱いている自分を、一歩前の自分にしたいと確かに願った。その時は不思議と自信があって、それが出来るような感じがして。


 でも今は、そんなことできる気がしない。劣等感どころか、親友が死んだ悲しみを、一歩前に置いていくなんて出来ない。もう自分は一歩も進めないと思ってしまった。


『お前なら、できるさ』

「っ!」


 不意に。

 後ろから、ソルにそう言われた気がした。

 ヨゾラは起き上がって振り向く。当然、そこには誰もいなくて。


「……」


 幻聴だったのだろうか。でも、ただの幻聴のように思えなかった。本当にソルがそこにいたようで。


 ソルは死ぬ間際に、ヨゾラなら一人でも誓いを果たせると言ってくれた。何を思ってソルが言ったのかは分からないが、少なくともあの言葉に嘘はないように思えた。

 自分にできるとは全く思っていない。でも、親友の言葉なら信じていいのだろうか。


 分からない。どれが正しいのかなんて、分かるわけがない。だけどーー


『俺たちの夢……俺の分まで託した……ぞ……』


 自分は確かに託された。

 それだけは確かで。

 冷えていた心の奥底から、何かが湧き上がってくる気がした。


「っ……!」


 ヨゾラは涙を拭って立ち上がった。ふらつきながらも、先ほど放り投げたリュックと剣を拾い上げる。

 たとえ失敗に終わると分かっていても、託された夢を追いかけてみせる。その泣き腫らした目は、決意で満ち溢れていた。


「見てろ……! せいぜい足掻いてやる! そして、いつかお前にっ、トワイも含めて文句を言ってやるからな……っ!!」


 知らない空の下で、ヨゾラは確かに一歩前へと足を動かしたのだった。

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