第6話 俺たちの夢

 その光景を見た瞬間、ヨゾラの頭は真っ白になった。現実をすぐに受け入れることができなかったから。


「よせっ、ヨゾラ!」

「ソルを離せ、このトカゲ野郎ぉぉ!!」


 ただ、気がつけば、自分はリチャードの制止を振り切って、橋の近くで横たわっている騎士の死体から剣を拾い、龍ゲノヴァへと飛びかかっていた。

 我ながら良く飛んだと思う。親友を噛み付いて離さない龍ゲノヴァの瞳に振るった剣が届いたのだから。

 しかし、剣は目を貫くことはなく、硬鱗に覆われた目蓋によって弾かれてしまう。全力で振るったのに、目蓋の白鱗には傷一つつかない。龍ゲノヴァの凄まじい力で押し返され、ヨゾラは崩壊した橋の先ギリギリまで飛ばされた。


「ガラァァァ!!」


 龍ゲノヴァがソルから牙を抜き、その口から炎を溢れさせる。こちらに向かって紅蓮の炎を吐き出すつもりだ。身を守るには、建物の中に逃げるしかない。


「っ、舐めんなぁ!!」


 しかし、ヨゾラは、親友に致命傷を負わせた龍ゲノヴァから逃げる思考を持ち合わせていなかった。激昂で目をギラつかせ、龍ゲノヴァに目掛けて剣を思い切り投じる。

 龍ゲノヴァが炎を吐き出すために開いた口の中、蛇のように先が二つに割れた舌に剣が突き刺さった。


「グラァァァァ!?!?!?」


 口から血を出す龍ゲノヴァが身体をうねらせながら、上空へと逃げるように飛ぶ。そして、叫び声をあげながら崩れた壁の方へ飛び去っていった。


「ソルっ!!」


 危険がこの場から去り、ヨゾラは血を流して倒れているソルの元に急いで駆け寄った。

 ソルの身体は牙による穴が大きく開いており、そこから際限なく血が流れ出ている。


「ヨ、ゾラ……」


 死んでいてもおかしくないのに、まだソルに意識があったのは奇跡と言えた。しかし、会話できる時間は僅かしか残されていないだろう。


「ソル……」


 こんな現実は受け入れたくない。ヨゾラは嫌だ嫌だと首を振る。必死にソルの傷に両手を当てるが、それでも血は両手から溢れ出て、地面の血溜まりが広がっていく。


「そんな、目で……見るなって」

「なんで、お前が……! 噛まれるなら、俺の方が良かったのにっ……!」

「馬鹿……なに言ってんだ……お前が、無事で良かった……」


 本気でソルと変わりたいと思うヨゾラに対し、ソルは弱々しくも安心させるように笑いかけた。しかし、すぐに咳き込んで口から血を吐き出してしまう。


「ごほ、ごほっ……!」

「ソル!」

「はは……これじゃ、トワイに文句も言えないな……」

「最期みたいな言い方すんなよ!」


 ヨゾラは込み上げてくる涙を抑えることができなかった。親友の命の灯火がどんどん弱々しくなっていく様をただ見ることしかできなくて、自分の無力さを感じた。


「ヨゾラ……頼みがある……」

「嫌だっ……! 聞きたくない!」

「たとえ、俺が死んでも……お前が、ゲノヴァで苦しんでいる人達を……」

「ふざけんな……っ! それは俺とお前の夢だ! 二人じゃないと意味がない! それにっ、俺だけじゃ、その夢は叶えられないだろうが!」

「いいや……お前なら、できるよ……」


 ヨゾラは思わずソルの顔を見た。その目は嘘をついているようには見えない。親友は本気で自分が夢を叶えられると信じているようだ。なんでそこまで自分なんかを信じることができるのか。


「だから……頼む」


 最後の力を振り絞るかのように、ソルが左腕につけている腕輪を外した。そして、二人が親友であるその証をヨゾラへと差し出す。

 涙が止まらないヨゾラは震える手で、ゆっくりと腕輪を受け取った。


「俺たちの夢……俺の分まで託した……ぞ……」


 その言葉を紡いで、ソルは灯火が消えるかのように目蓋を閉じた。


「ソ、ル……?」


 動かなくなった親友を前にして、ヨゾラは親友の腕輪を握り締める。幼い頃からこの街で一緒に過ごしてきた親友がいなくなり、ヨゾラの心は決して埋まる事のない喪失感を抱いた。

 しかし、残酷にもヨゾラに親友の死を嘆く暇は与えられない。


『い、たい……お願……たす……』

「っ……!」


 何かの声が頭の中で響き、同時に激しい頭痛に襲われたのだ。


「なん、だよ、この声……」

『誰か……』

「……さい」

『誰か助けて!』


 微かにしか聞こえなかった声が、しっかりと聞こえるようになる。それと共に頭痛もどんどん酷くなる。


「うるさいっ!」


 親友の死で苦しんでいる最中、聞こえてきた叫び声に対してヨゾラは怒鳴った。助けてという言葉が聞こえたが、助けて欲しいのはこっちの方だ。

 ヨゾラが言葉を発した直後、頭痛が嘘のように無くなった。

 そしてーー


『私の声が、聞こえるの?』


 ヨゾラの頭上、どす赤黒く染まる空に黒点がいきなり現れた。ヨゾラが不穏な気配を感じていたら、その黒点が凄まじい力で地上のものを吸い込み始めた。


『そこにいるのね?』

「うおっ!?」


 まるで重力のかかる向きが逆転したかのように、ヨゾラの身体が浮かび上がる。意識のないソルの身体も宙に浮く。


「っ! ソル!」


 ソルの身体をどうにか地面に固定する方法がないか。悩んでいたヨゾラの目の前に、ゲノヴァに殺された騎士の遺体が過ぎ去った。その遺体の手には槍がある。

 間一髪、ヨゾラは手が届かなくなる前にその槍を掴み取った。すぐさま槍でソルの衣服を貫き、地面に深く突き刺す。ソルの身体はそれ以上浮かばなくなる。

 ヨゾラは吸い込まれないように槍の持ち手を強く握っていたが、黒点の吸引力がさらに強くなる。ソルの血で濡れていたヨゾラの手が滑り、槍から離れてしまった。


「うわぁぁぁ!?」


 ヨゾラは何処かに掴まることも出来ず、そのまま黒点へと吸い込まれる。

 ヨゾラを飲み込んだ黒点は、その場から痕跡を残さず消え去った。

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