第5話 崩れる象徴
避難所へと走っている途中でヨゾラが目にしたのは、地獄の光景だった。
上空から降り注ぐゲノヴァ。
それによって倒壊した建物。
道端で寝転がる、斬殺された騎士たち。
人の悲鳴を掻き消すゲノヴァの咆哮。
ここが地獄じゃないというのなら、どこが地獄なのか。
ゲノヴァの猛攻は、この街の人間全てが死ぬまで続くのではないかとさえ思える。
それでも生き残るために、ヨゾラは孤児院の子供達を連れて、衛兵や騎士が守っているであろう避難所へと走る。だが、こんな状況で簡単に避難所へと辿り着けるわけもなかった。
「道がっ!?」
避難所への最短ルートである道が、倒壊した建物によって塞がれていたのだ。決して乗り越えられないほどではなかったが、それはヨゾラやソルにとっての話。孤児院の幼い子供たちには到底乗り越えることができない瓦礫の量だった。
「ヨゾラ、他の道だ! どこが近道だっ!?」
避難所の正確な場所を把握しているヨゾラに対して、最後尾にいるソルが叫んだ。
ヨゾラは幼い頃から過ごしてきた街の地図を頭の中で描き、この場所から避難所へ早く辿り着くルートを割り出す。だが、どのルートも時間がかかってしまう。その道中でゲノヴァに襲われる可能性が限りなく高く、もしかしたら瓦礫で通れないかもしれない。
そこまで思考を巡らしたヨゾラは目的の避難所に行くことを諦め、次に近い避難所へ行くことを決意した。
「ここから見えるあの橋を通ろうっ! 橋の側にも、別の避難所がある!!」
ここから見える限り、橋は無事なようだ。瓦礫によって塞がれている心配はない。橋への道は大きいため、他の細い道より瓦礫があっても通れる可能性がある。
「っ、なんだ!?」
ヨゾラがまた先頭に立って皆を誘導しようとした時、凄まじい音が聞こえてきた。街で暴れるゲノヴァの咆哮ではない。それを凌駕するほどの音だ。
ヨゾラもソルも、轟音の原因へと目を向けた。
そこは、このアウローラタウンを囲うように建てられた巨壁。何十メートルもある壁の内面に、一つのヒビが走った。そして、ヒビは広がり続け、壁の向こうから耳を押さえたくなるほどの咆哮が聞こえた瞬間。
人々を守る象徴である壁が吹き飛ばされた。
空からゲノヴァが降り注いでいる状況で。
崩れた壁の向こうにいたのは、巨壁にも負けぬほどの高さを持つゲノヴァだった。その風貌は、まさに伝承に出てくるドラゴンのようで。身体は白い硬鱗に覆われ、口からは炎が噴き出ている。
「ガラゥゥゥゥゥ!!!!!」
羽を広げて咆哮をした龍ゲノヴァの足元から、大量のゲノヴァの群れが街の中に侵入してくる。龍ゲノヴァも壁をさらに壊しながら街の中に足を踏み入れた。
「なんだよ、あれ……」
「ヨゾラ、足を止めるなっ! とにかく避難所に行くぞ!」
ソルに腕を引っ張られ、ヨゾラは我にかえる。
最後尾にいたはずのソルが近づいてくるのにも気付くことができなかった。それぐらい衝撃を受けて、足を止めてしまっていたらしい。
「しっかりしろ、ヨゾラ! 少しでも生き残れる可能性に賭けるぞっ!」
それでもヨゾラが立ち直ることができたのは、嫉妬や劣等感を感じてもそれ以上に尊敬と友愛を抱いている親友の存在が大きかった。
ソルはこんな状況でもまだ諦めていない。流石というべきか、そのおかげでヨゾラも最前を尽くそうという気になれた。
「走れ、ヨゾラ。後ろは俺に任せろ!」
「分かった……!」
ヨゾラはまた走り出す。
見渡す限り、近くにゲノヴァの姿はない。
ヨゾラはちらりと龍ゲノヴァの方へ目を向けた。
「……」
さっきまでの荒ぶりは何処に行ったのか、龍ゲノヴァは街を見渡している。
そして、龍ゲノヴァと目が一瞬合った、気がした。
どきりとしてヨゾラは急いで目的地へ目を戻した。今のは気のせいだと思いながら。
道を曲がって、橋が見えた。その先にある避難所と護衛も視界の中に入る。護衛の一人に知っている者がいて、ヨゾラはその名を叫んだ。
「リチャードさんっ!!」
「あいつら……! そこの二人、俺について来い! ガキどもを助けるぞっ!!」
ヨゾラたちに気づいたリチャードが、避難所を護衛している仲間を引き連れてこちらに走ってきてくれる。
なんとか避難所に辿り着けたと安堵したヨゾラが、橋を渡り切った瞬間。
ドシンという轟音と共に、立ってられないほど地面が揺れた。
「っ!」
「ガラゥゥ……」
後ろを振り向けば、翼を羽ばたかせてソル達の近くに着地した龍ゲノヴァが、こちらを鋭く睨んでいた。
街の壁を破壊したゲノヴァ。光沢を帯びた白鱗が月下で煌めくその様は、まるで神話や伝承に登場する龍そのものだ。
ヨゾラは龍ゲノヴァとまた目が合った。今度は気のせいじゃない。
「ガラゥ……」
龍ゲノヴァが唸り声を上げて、こちらに向かって地面を揺らしながら歩いてくる。
龍ゲノヴァの目的は一体何なのか? まったく分からないが、ヨゾラはこの場にいる人間全員が龍ゲノヴァに嬲り殺される予感がして、身を震わせた。
「きゃっ!?」
龍ゲノヴァから逃げるように全員が走る中、孤児院の子供の一人が転けた。
龍ゲノヴァの足取りはゆっくりだが、一歩の大きさは人間の比ではない。足を一度止めてしまうと、子供の脚力では避難所に着く前に龍ゲノヴァの下敷きになってしまうだろう。
「っ!」
最後尾にいたソルがその子を拾い上げて駆ける。ソルなら子供の一人を抱えても、避難所に辿り着くことができるはず。
ヨゾラが少しだけ安堵を抱いた時、突然、龍ゲノヴァが歩みを止めた。
「グラァァァ!」
そしてすぐさま、その尻尾をうねらせ、建物を跡形もなく吹き飛ばしてきた。
「そんなのありかよっ!?」
子供を抱えて走るソルが、後ろから飛んでくる瓦礫を避けるために道端へと飛び転がった。ソルと子供が怪我をせずに済み、ヨゾラはほっと息をつく。しかしーー
「橋が……!」
ヨゾラとソルの間にあった橋は、瓦礫により崩れてしまっていた。
龍ゲノヴァが再び足を動かす。どんどんこちらへと近づいてくる。
ヨゾラは橋の残骸の先端に立ち、向こう岸の残骸との距離を見る。互いに手を伸ばしても届かない距離だ。ソルの脚力を以ってジャンプしても届くかどうか。橋の下は流れの激しい川で、泳いで渡ろうにも向こう岸に辿り着く前に流されてしまうだろう。
どうすればソル達がこちらに来れるかを考えていたヨゾラは、後ろでリチャードが火矢を構えたのに気付く。
「よくも俺たちの街をっ!!」
勢い良く放たれた矢は、龍ゲノヴァの頭の近くを通る。
龍ゲノヴァの注意を逸らし、歩みを少しでも遅らせることが狙いだったのだろう。しかし、火のついた矢が目の前を過ぎても、龍ゲノヴァはその瞳を微動だにさせなかった。
あと一歩で龍ゲノヴァがソル達を踏み潰してしまうほどの距離になる。
「っ、ヨゾラぁぁ!」
「うおっ!?」
ソルが抱えていた子供を思いっきり投げてきた。
その子を受け止めてくれというソルの叫び。
ヨゾラは少し反応に遅れたものの、子供をしっかりと抱えるように受け止めた。後ろにいたリチャードにその子を渡し、すぐさまソルの方へと振り向き、手を伸ばす。
「ソル、飛べっ!! 俺が受け止めてや、る……」
そこでヨゾラが目にしたのは。
「良かった。受け止めてくれたか……」
子供がヨゾラの元に辿り着き、安堵の表情を浮かべる親友。
そしてーー
「ガラゥゥ……」
その親友に獰猛な牙で深く噛み付いている龍ゲノヴァだった。
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