第3話 誘い
「やっぱり、ここにいたか……」
二人が住む街、アウローラタウンの丘にて。
トワイの元から走り去った親友を見つけ、ヨゾラはそう話しかけた。
「……」
ソルは黙ったまま、こちらに背中を向けている。トワイの死を受け入れるのに、まだ時間がかかるのだろう。
ソルの横に立って、ヨゾラはそこからの風景を眺めた。
「やっぱり、ここから見える景色は街一番だよな」
そこからは街を一望することができた。二人が世話になっている孤児院、先ほどソルが優勝した闘技場など、街中の建物が見える。
二人が幼い頃から来ている思い出の場所だった。
「壁が無ければ、もっと文句がないけどな」
やっとソルが出した言葉は、吐き捨てられるように紡がれた。
ソルが言うように、その風景の大部分を占めているのは、街を囲うように建設された巨大な壁。それは、街に住む人々の命を守るために必要不可欠なものだった。
「それはそうだけど、しょうがないだろ。あれのおかげで、俺たちはゲノヴァから身を守ることができているんだから」
人類を脅かす怪物、ゲノヴァ。
トワイの命を奪った化物の総称だ。謎多き生物であり、一説によれば人類よりも先に誕生したと言われている。姿形は様々で、ネズミのように小さなゲノヴァもいれば、人など比べ物にならないほど巨大なゲノヴァもいる。
そして、何より厄介とされているのが、その再生能力の高さ。
どれだけ重傷を与えたとしても、ゲノヴァはすぐに再生してしまう。不死身であるということだ。
ゲノヴァを倒す術を持たない人類は、壁を建てる、地下に潜るなどして生き残るしかなかった。
「ヨゾラ、お前だって知っているだろ。壁があっても、ゲノヴァは襲ってくる。五年前の襲撃で、この街は一度滅んだ」
「……あれから五年か」
五年前、このアウローラタウンは一度滅んだ。巨大な壁で囲われていたにも関わらず、大量のゲノヴァが現れてこの街を蹂躙したのだ。
「よくここまで復興したよな……ソルと一緒に頑張った甲斐があった」
ヨゾラとソルは、それから五年間も愛すべき故郷の復興に尽力してきた。瓦礫しかなかった五年前とは違い、今では建物がぎっしりと建てられている。
「なぁ、ヨゾラ……腕輪を作った時の誓いを覚えているか?」
「……当たり前だ、忘れたことなんてない」
五年前の災害を経験して、ヨゾラとソルは共に誓いを立てた。その誓いの証として、二人は瓦礫の山から見つけた、この街の特産物の鉱物で互いに腕輪を作ったのだ。
ソルが誓いの腕輪を見つめる。腕輪は夕日に反射して煌めいていた。
「俺たちみたいにゲノヴァで苦しんでいる人を救う。そう誓ったよな。そして、俺たちが救いたいのは、この街の人間だけじゃなくて世界中の人間だ。そうだろ?」
ソルの力強い主張。五年前からずっと抱いてきた想いだと分かる。多分、トワイの死がきっかけでソルの中でその想いが膨れ上がったのだろう。
その想いはヨゾラも同じ。でも、ヨゾラはソルのように自信を持って主張することができない。
「ああ、ソルの言う通りだ……」
スタートラインは同じだったというのに。
二人とも五年前の誓いから始まったはず。だけど気がつけば、ソルとは背中が見えなくなるほどの距離ができていた。
ソルは大会を連覇して、自分は何も結果を残せていない。努力をしてきたはずのに、才能の差というものを突きつけられて。ソルなら世界中の人を救うことができるかもしれないと思う一方で、自分にはそれができないと確信してしまう。
だけど、ソルはヨゾラのことをそんなふうに微塵も思っていないかのように熱く語ってくる。
「旅に出よう、ヨゾラ! そのための資金も、今までの大会の賞金でなんとかなるはずだ」
「ミトロア探しの旅、か……」
「ああ、ゲノヴァを倒すことができると言われている幻の武器を見つけよう!」
「だけど、それは噂に過ぎなくて、ミトロアが実在しているかも分からないだろ」
「いや実在している! ヨゾラ、お前も見たはずだ。五年前に俺たちを救ってくれた人がゲノヴァをーー」
渋る様子のヨゾラの肩を掴んで、必死に説得してくるソル。それでも、ヨゾラは簡単に頷かない。ヨゾラの煮え切らない態度でソルの説得が一層熱くなる中、二人に話しかける人物が現れた。
「ボンシュー、ソル君。今は取り込み中かね?」
そこに。
濃緑色の髪を結い、ヨゾラとソルを捉える瞳が紅く輝く、初老の男がいた。
漆黒の外衣を羽織り、その胸に真っ赤なブローチを飾る風貌は、その男が纏う雰囲気を厳かなものにしている。彼の周りには、護衛の任務を遂行している騎士が五人いた。
「ランヴィル卿……!」
思わぬ人物の登場に、ヨゾラは萎縮する。ヨゾラの肩を掴んでいるソルも無視できない人物が現れたため、説得するのをやめた。
名を呟いたヨゾラに、ランヴィルの瞳が向けられる。ヨゾラには、その瞳が深海のように深く冷たいものに感じられた。
「君は、確か……ヨゾラ君だったな」
「俺のこと、知っているんですか?」
「若いながらも、ソル君と共に、この街の復興活動に何度も参加してくれた少年だと話は聞いている。君とソル君には、感嘆するほかない。この街を預かる身として、礼を言おう」
「い、いえ、そんな……!」
厳格な声調ながらも、謝意を示したランヴィル。ヨゾラは照れで俯きながら嬉しく答える。対して、ソルは、ヨゾラの説得を中途されたため、ムッとした表情でいる。
「さっき、トロフィーを渡してもらったぶりですね、市長。俺に何か用ですか?」
ソルの言う通り、ランヴィルはこのアウローラタウンの最高責任者だ。普段なら、このアウローラタウンの中心にある城で仕事をしており、滅多に街中には現れない。
先程の大会で優勝者にトロフィーを渡すために、ランヴィルは城から出てきていたが、すぐに城に戻ると思っていたヨゾラは、ここにいることを不思議に感じた。
「うむ、時間はさほどかからない。君に良い話を持ってきた」
「良い話?」
首を傾げるソルに、ランヴィルはつかつかと歩み寄る。ランヴィルの護衛も、布陣を崩さないようにランヴィルの歩調に合わせて足を動かす。そして、ランヴィルがソルに手を伸ばせば届きそうな距離で止まり、ある物を差し出してきた。
「それって……!?」
ヨゾラが、ランヴィルの手の内にある物を目にして思わず呟いた。
「これは、勧誘だ。私が受け持つ騎士団へのな。数多の大会を制覇している君ならば、誰もが納得するであろう」
ランヴィルが持っているのは、騎士団員の証である胸章だった。つまり、それが意味するのは、ソルに対して騎士の位を授けるということ。
「ソル……」
喜ばしいことだと分かっていても、ヨゾラは不安な表情でソルの背中を見つめた。
ソルが騎士の位を貰う、そのことはヨゾラにだって自分のことのように喜べることだ。だけど、それは、ソルが自分の手の届かない所に行ってしまうことを意味している。幼い頃から一緒に過ごしてきたソルがいなくなってしまう未来を考え、ヨゾラは心のどこかに大きな穴が空く思いがした。
「君の実力であれば、平民出身だろうと騎士団長も夢ではない」
こんな話は滅多にない。断ることなどありえない。ありえないのだがーー
「すみませんが、お断りさせて頂きます」
「なに?」
ソルはランヴィルから目を逸らさず、きっぱりと断った。その堂々とした態度は、返事を変える気など一切無い様子だ。
「……理由を、聞かせて、もらっても?」
ヨゾラが驚いて言葉を失う中、普段は感情を読み切れないランヴィルさえもソルの返事に動揺を隠し切れていなかった。
そんなランヴィルに構わず、ソルは理由を告げる。
「俺とヨゾラは、明日旅に出るからです。目的は、世界中のゲノヴァに苦しめられている人たちを救うこと。ずっと昔から決めていたことを、遂に実行することにしたんです」
「ゲノヴァから人々を救うという目的は、騎士団に所属する方が叶えられると考えるが?」
「確かにそうかもしれません。でもそれって、この世界全部じゃなくて、アウローラタウンの周りに限られる話ですよね。騎士って何かと制限が多そうだし。そ、れ、に!」
「うわわっ、ソ、ソルっ!?」
ヨゾラが黙って見守っていたら、ソルに強引に引き寄せられた。驚くヨゾラの顔をちらりと見て、ソルは満足げに笑い、ランヴィルへと言葉を放つ。
「夢は、こいつと叶えるって誓ったんです!」
ソルの真っ直ぐな輝く瞳。
こういう目をしている時、ソルはどんなことがあっても自分を曲げない。ヨゾラは長年の付き合いからそれを知っていた。
ランヴィルはソルの目を見て、説得することは無意味なことだと悟ったのだろう。その紅い瞳をラオに向けるのをやめて、街を囲む壁に沈んでいく夕日へと向けた。そして、一秒とも感じさせない刹那、思考に耽ったかと思うとその口を開いた。
「夢か、友情か……君は、友情を取るというわけか…………なるほど、私には選べなかった道だ……」
ランヴィルの最後の言葉は小さく呟かれ、ヨゾラの耳に届くことは無かった。
ランヴィルは夕日を眺めるのをやめ、ヨゾラとソルに向き直り、人差し指で空を差す。
「二人とも、旅に出るというのなら、空を見上げなさい」
「え……?」
「空、ですか?」
ランヴィルに釣られて二人も、空を見上げる。
そこには。
夕焼けと闇夜が交じった、美しい空があった。
「この街の、黄昏の空は綺麗だ。明日、旅立つのなら、これを見るのは今日が最後になる。この景色を心に刻みなさい」
幼い頃から育った街の空でも、それはヨゾラとソルにとって、最後になるかもしれない風景。そう考えると、ヨゾラは何やら感慨深くなり、眺め続ける。隣のソルも同じ想いを抱いたのか、空から目を逸らさない。
「旅が辛く、故郷に逃げ帰りたいと思ったならば、空を見よ。そこには、お前たちの知らぬ空がある。知らぬ空を知り、一歩でも進めば、また知らぬ空だ」
ランヴィルは雄大な空を見上げるのをやめ、ヨゾラとソルに顔を向けた。二人もランヴィルに向き直る。
「同じく、一歩進めば、一歩前の自分ではなくなる。辛さ、不安に駆られて泣いた、一歩前の自分を過去にし、自分の進むべき道を歩みなさい。その道の苦労して辿り着く先は、どんなものであれ、君らを満足にさせてくれるはずだ」
厳かで、それでいて、どこか柔らかさを感じさせるランヴィルの口調に、二人は沈黙で返答する。
「知らない空……」
ヨゾラには、ランヴィルの言葉が心に響いた。
今までソルに対する劣等感で苦しんできた自分。ランヴィルの言うように、そんな自分を一歩前の自分にしないといけない。自分の進むべき道はまだ分からないけど、この旅の最初の一歩はそうでありたいとヨゾラは願いを抱いた。
「邪魔をしたな、私はこれで失礼させてもらおう。君たちの旅の、最初の知らぬ空が、この街の空であることを誇りに思う」
そう告げ、ランヴィルは護衛を引き連れて立ち去っていった。ランヴィルの背中が見えなくなるまで、ヨゾラとソルはそこから動かなかった。
「えっと、あの人なりの、別れの挨拶ってことか?」
「さぁ、どうだろう……それより! 俺は旅に出ることをまだ了承していないんだけど! しかも、旅に出るのが明日だって!?」
「なんだよ、いいだろ。善は急げって言うし。俺だって、せっかくの騎士団の誘いを断ったんだから」
「そ、それを言うのは……卑怯だって」
騎士団の誘いを断ってまで、自分と夢を叶えることを優先したソルに、ヨゾラは強く言えず、黙ってしまう。にやにやと笑っているソルを横目に、腕を組むヨゾラは悩みに悩んだ末に、首を縦に振るのだった。
「ああもう分かったっ! 旅に出よう!」
「それでこそ親友だ!」
ソルがヨゾラの肩に腕を回して家へと戻る。
二人の頭上の暁の空に、まるで祝福するかのように一筋の箒星が流れた。
その日の夜、ヨゾラは明日の出発のための準備を終え、孤児院の二階にある自室のベッドの上で寝転がっていた。
もうやることはなく、自室の明かりを消したのは一時間も前のことだったが、変に緊張してヨゾラはなかなか寝れない。
(どうしよう、寝れない……もう一度、荷物を確認でもするか)
ごろごろしていたヨゾラは荷物の再確認をしようと、ベットから起き上がる。
その時。
ヨゾラの視野がぐらついた。
「?」
立ちくらみが襲ってきたのかと思ったヨゾラは、再度視野がぐらつき、その考えが間違っていることに気づく。
「地震……?」
それも違う。また揺れがヨゾラを襲った。地震のような揺れではない。
窓の外から、ドシンと何か巨大なものが落ちて来た音が聞こえた。同時に、立っていられないような揺れが襲ってくる。
「な、なんだ……?」
外で何が起きているのか。ヨゾラは窓にかかるカーテンに恐る恐る手を伸ばした。そして、カーテンを掴んで開くと、そこから見えたのはーー
「グルゥゥ……」
巨大な怪物の、ギロリとした縦長の瞳だった。
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