第2話 ヨゾラとソル

 劣等感。

 劣後感とも呼ばれるその感情を。

 黒髪が無造作に伸びた青年ヨゾラは強く抱いた。


『うおぉぉぉぉ!!!!』


 闘技場内の多くの観客が同時に湧き上がる。幾千の人間たちの熱量を生み出したものは、中心で行われている決勝戦の結末だった。


『優勝は、ソル選手だぁぁぁ!!』


 興奮を抑えきれないのか、鼻息を荒くして叫ぶ実況者。

 優勝した青年は、勝利を祝ってくれるファンファーレを身に受けながら、観客に笑顔で手を振っている。


「やっぱすごいな、ソルは……」


 観客席の手すりにもたれながら、ヨゾラがため息混じりに呟いた。

 同じ孤児院で育った親友が大会で優勝した。心の底から喜ばないといけないはずなのに、ヨゾラは親友に対して羨望や嫉妬の視線をぶつけてしまう。


 こちらに気づいて、ソルが喜びに満ちた顔で手を振ってきた。

 そんな自分に嫌気がさしながら、ヨゾラは引き攣った笑みで手を振り返すのだった。







 

 劣等感を抱かせてくる相手と一緒に帰りたくない。

 そうは思えど、同じ孤児院に住んでいるわけなのだから、別々で帰るというのは不自然で。

 昼と夜の狭間。赤銅色に染まる空の下、ヨゾラはソルと一緒に孤児院へ足を向けていた。


「このトロフィー、売ったらいくらになると思う?」


 隣のソルが夕陽に反射して輝く優勝トロフィーを眺めながら、とんでもないことを聞いてきた。

 ヨゾラはソルの横顔を思わず見たが、その眼差しは真剣で。どうやら冗談で言っているわけではないようだ。


「そういうのは売るなよ。栄光の証ってやつだろ」


 トロフィーというものを手に入れたことがないヨゾラは、当たり障りのない意見を述べる。しかし、それがソルに受け入れられるとは考えていなかった。


「持っていても、一円にもならない。だったら、今までのトロフィーも全部金に変えた方が、孤児院の助けになると思わないか?」


 ソルがトロフィーを手に入れるのは、今回が初めてではない。ソルは今までいくつもの大会で優勝してきた。もはやトロフィーに慣れてしまって、手放すことに躊躇いはないのだろう。


「そうかもしれないけど……」


 欲しくても手に入れられないヨゾラは、ソルの主張の正しさを理解していても素直に頷くことができなかった。

 ソルと同じように、ヨゾラだって大会に何度も挑戦してきたのだ。だけど、優勝は程遠くて一回戦敗退など当たり前。


 同じ大会に参加して、ヨゾラは序盤で敗退、ソルは優勝。


 そんなことが何度も繰り返されて、ヨゾラはソルに対して劣等感を抱かずにいられなかった。

 別にソルを嫌っているわけではない。唯一無二の大親友だと思っていて、ソルもそう思ってくれていると信じている。しかし、だからこそ、こんなにも近くにいるのにソルがとても遠くにいると感じてしまう。

 日に日に大きくなっていくこの感情をどうすればいいのか。ヨゾラは心の中でため息をついた。今はどうしようもないから、とりあえずトロフィーの処遇について決着をつけることにする。


「トロフィーはソルのものだからソルの判断に任せるけど、後悔はしないんだな?」

「トロフィーなんていらないさ。ほら、俺にはこれがあるから」


 足を止めたソルが屈託のない笑顔で、その左腕を見せてきた。そこには、薄青く輝く腕輪が存在している。


「……そっか」


 一歩だけソルより前で止まったヨゾラが、笑みをこぼした。

 ソルの腕輪とは対照的に、ヨゾラの左腕にある腕輪が橙色に輝く。


 その腕輪は、二人で一緒に作ったものだ。そして、二人が親友である証でもある。

 五年前にこの腕輪を作った時を、ヨゾラは昨日の事のように思い出せる。

 腕輪もその思い出もヨゾラにとって宝物だ。


 夕日が沈んでいく中、二人は笑い合って、帰るべき場所へと再び足を進める。思い出話に花を咲かせながら。


「ヨゾラ、覚えているか? このアウローラタウンの七不思議について調べた時のこと」

「そういえば、そんなこともしたなぁ。結局、一つも解決できなかったっけ」

「特に、誰もいないはずの白い館は怖かったよな!」

「白い館に侵入して、すぐに逃げるように帰ったのを覚えてるよ」

「そうそう! でさ、その後……ん? あれって……」


 しばらく歩き、孤児院まであと数分というところで、二人は鎧を着た集団に出会った。

 その男達は、この街を守る衛兵だった。

 街の警備が仕事である彼らを見かけることは珍しくない。ただ、普段は見かけても二人ほどなのに、今は十人以上も集まっている。

 ヨゾラにはその理由が簡単に推測できた。


「また……誰か、亡くなったのか」


 近づけば、衛兵達のすすり泣く声が聞こえてきた。どうやら嫌な予想は的中しているようで。亡くなった人を取り囲むように、衛兵たちが涙を流していた。

 衛兵の中で、涙を我慢して顔を歪めている知り合いに気づき、ヨゾラは事情を尋ねる。


「リチャードさん、今度は誰が……?」

「お前ら……」


 二人が子供の頃から衛兵をしているリチャードは、事情を説明するのに迷ったのか、そのまま少し黙ったがすぐに口を開いた。


「二人は確か……トワイと同じ孤児院出身だったよな……」

「っ!」


 リチャードの言葉で、ソルが急いで衛兵たちの間を滑り込んでいった。ソルが空けた隙間に入るように、ヨゾラも恐る恐る中へと入る。

 そこに横たわっていたのは、自分たちよりも先に孤児院を卒業した知り合いだった。その身体には、巨大な爪のようなもので斬り裂かれた傷跡がある。もう息を引き取っているようだった。


「ふざけんな……」

「ソル……」


 亡くなったトワイの横に寄り添うように、ソルが座り込む。その肩は震えているように見えた。


「今日、ゲノヴァの襲撃があってな。その時にトワイは仲間を庇って……」


 リチャードの口から事情が語られる。トワイに助けられたであろう衛兵がすぐ近くで蹲っていて、他の衛兵たちに慰められていた。


「っ!」

「ソル!」


 友人が亡くなったことに耐えられなくなったのか、ソルはまた衛兵たちを掻き分けるように走って行った。

 ソルの行き先が気になりながらも、ヨゾラはトワイの横にゆっくりと座り、その手を握った。手は信じられないほど冷たく、トワイが身体はあるのに、そこにはいないことが分かる。

 街を友を守るために衛兵になると語っていたトワイの姿が脳裏をよぎった。トワイは自分のなすべきことに迷わず真っ直ぐで。

 そんな彼に比べて、自分は自信が持てなくて何もできない人間だと思った。ヨゾラの中で消えかかっていた劣等感、自己嫌悪の念がふつふつと蘇ってくる。


「……なぁ、トワイ……お前は街を守った。俺みたいな奴は、いったい何ができるんだろうな……」


 一筋の涙と共に、悲しげな呟きがヨゾラの口から零れ落ちた。

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