第5話――お弁当箱を「あーん」する
「鈴羽さんってさ、可愛いけど何か暗いよね」
「何考えるか分かんないし、表情も動かないしねー。ああいうのがウケると思ってる所が最高にヤバいよね」
誰かがそう言った。
私がいないと思って、化粧室で2人の生徒が話していたのだ。そんな事は何回もあった。そう、何回も。
……なのに、何度体験してもこのどうしようもない苦痛に耐える術を身につける事が出来ない。悪口なんて何度も聞いたのに、耳にする度初めて聞いたような不快な新鮮感がある。
昼休みになり、英語教室に行く。
本当は食堂に行きたいけど、一緒に行く相手がいないのだ。それに、友達や恋人とワイワイ話し合いながら食事をしている人を見ていると、吐きそうになると思うから。
(今日はいるのかな)
あの人。
あの人からは同じ匂いがする。
私と話してて、不快に思っているのだろうか。いやいや、この前は向こうから話しかけてきたよね。じゃあ案外好感度は低くない?
窓際の一番前の席に座って、お弁当箱を開く。中は自分で朝早くから作ったソーセージと卵焼き、それから一口サイズのミートボールと炊き込みご飯が少々。
それに口を付けようとしたら、彼が来た。
「こんちには。東島さん」
「こんにちは」
こういう会話をもう何日か続けている。
勇気がいる行為なのに、彼にはそれが伝わっていないようだ。私の容姿から見て軽々話しかけていると思っているのかな。いや、それはないか。
「今日は曇っていますね」
勇気を出して、そう言った。
なのに彼はぶっきらぼうに、
「ええ」
と、それだけ言って私から見て右後ろの一番後ろの席に座る。もう少し近くても良いのに。
でも、近すぎたら緊張しちゃうから、本当はもっと近くに来て欲しいのに、それは口に出さない。
少しして、東島さんが席を立ってどこかへ行った。もう松葉杖は突いていない。足は治ったのだろうか。それはそうとして、彼はどこに行ったのか。考えられるのは御手洗か……男の子はそういうのにどのくらいかかるのだろうか。5分くらい?
ふと彼のいた席が気になった。……少しくらい覗いて見ても良いよね。だから私は席を立ってそこに向かった。
カレーパンがあった。
彼はカレーが好きなのか。なるほど。
購買のパンのようだ。私も一回食べたことがある美味しいやつだ。
ふと、彼がいた椅子を手で触れてみる。流石に温もりは無かったが、何とも言えない不思議な感じがした。触っていると胸がチクチクするような……そんな感じ。
「えっと……何してるの」
「っ……」
いつの間に東島さんがいたのか。
全く気付かなかった。いつから見ていた? 椅子を触る所? それとも最初から御手洗なんて行っていないの?
「ごめんなさい……」
「いや……別に良いですけど」
怒らせてしまったか。
シュンとして帰ろうとすると、彼がこう言う。
「一緒に……その、いや何でも」
「え?」
「いや、別に」
「言ってください。何ですか」
「えっと……」
東島さんは口をもごつかせ、言い難い事を吐き出すようにポツリと呟く。
「一緒に、食べます……? なんて……」
「あ……」
誰かと一緒に食べるだなんて。
それも向こうから誘われるだなんて。
それも異性に。……正直嬉しかった。
「いや、何でもないです。すみません」
「い、っ……いや……あの」
「出ていきますね……はは」
この場にいたくないのか、東島さんがそそくさと出ていこうとする。どうしよう、どうしようどうしよう……何て言えば良いのか。
絞り出したように吐き出した言葉は、こうだった。
「……た、い」
「え」
「食べたい……です」
「あ……」
泣きそうな顔だったと思う。
既に泣いていたかもしれない。
必死だったんだ。そのくらい許して欲しい。そのくらい勇気が必要だったんだから……。
※※※
「食べたい…です」
握った手を胸に当て、上目遣いでそう言う鈴羽さんは、あまりにも可愛くて……正直ドキドキした。緊張しているのか少々震えているのも男心を震わせる。男性経験は無いのかな。
「えと、じゃあ席移動します」
「いや、ぁ、私がこっち来ますよ……っ」
「いや、ボクカレーパンだけだし」
「ぅ、あ……そ、ですか……」
その表情はダメだ。
そんな頬を初恋色に染めて、桜色の唇をキュウっと結ぶ仕草をしたら、どうにかなってしまいそうだ。
取り敢えずすっかり治った足で席を移動し、鈴羽さんの隣に座る。窓辺なので外の天気が見える。今日は曇りのようだ。
「じゃあ、いただきます」
「ぁ……」
カレーパンを一口。
やはり美味しい。どうもこの学校のカレーパンは近くのパン屋さんに売っている商品らしい。やはりプロの技で作った物は美味しいな。
鈴羽さんは……お弁当のようだ。自分で作ったのだろうか。良い具合に焼けたソーセージと綺麗なきつね色の卵焼きが食欲をそそられる。
「私の……食べたいんですか?」
おいおいその言い方は下半身に良くない。ボクがエロガキなだけか? 鈴羽さん自身は無垢な表情で首を傾げて頭上に疑問符を浮かべているようだが……。
「まあ……美味しそうだなって」
「そ、ですか……」
会話終了。
ボクは再びカレーパンに口をつける。
すると鈴羽さんが目を泳がせ、お弁当箱を見つめたままこう言う。
「良いですよ」
「え」
「食べても」
「でも……」
「食べたくないんですか?」
そう言われると、食べたい。
でも、本当に良いのだろうか。
「食べたく、ないですか?」
再び尋ねられた。
ええい、もう良い。本能の赴くまま答えてやるわ。
「食べたい、です」
「へぇ」
「へぇって何ですか」
「ふーーん」
「ふーんって何ですか」
いや、可愛すぎかよ。
「ソーセージとたまごやき」
「はい」
「どっちが良い?」
「えっと……炊き込みご飯がたべたいなって……」
「……変態」
「え?」
しまった。炊き込みご飯は食べかけだったか。単純に美味しそうだったから言っただけだったけど、これじゃあまるで鈴羽さんの食べかけが食べたい変態みたいじゃないか。
「東島さんは……変態です」
「ごめ……いや、変態じゃないです」
「じゃあ、証明して下さい」
「証明……?」
鈴羽さんは食べかけの炊き込みご飯を箸で掴むと、もう一方の手を皿にして溢れても良いようにしながらボクの口元に持ってくる。頬は赤く染まり、瞳の中はボクを捕えている。多分数秒は離してくれないだろう。
「ちゃんと見て……下さい。証明……して」
「えっと……」
どうやら目と目を合わせて『あーん』をする事で変態という誤解が解けるらしい。一見簡単そうだが、童貞陰キャのボクにはハードルが高すぎる。しかも相手は生まれてから一度もお目にかかった事が無いほど美人だ。
「見て」
鈴羽さんの強い言葉。そして近付いてくる顔と箸。見惚れるくらい美しい容姿と体型。まるで女神が自分と全く同じ姿形を作ったかのようだと、本気でそう思った。
目と目が合う。焦げ茶色の綺麗な瞳は真っ直ぐこちらだけを見ていている。今彼女が見えている物体はボク
「……可愛い」
と、ポツリとボクが言う。言ってしまった。すると鈴羽さんは、
「っ〜〜〜! な、……」
先程なんかより比べ物にならないほど顔を真っ赤にして、羞恥の意志を表情をもって伝えたのだった。
「あ、あの……鈴羽、さん……?」
「……やっぱり東島さんは」
顔を逸らし、口を尖らせ鈴羽さんは色気のある声でこう呟くのだった。
「やっぱり東島さんは……変態、です」
この誤解は当分解けなさそうだ。
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