第2話――あなたのお名前何ですか
夢の入院生活も終わり、退屈でつまらない高校生活が再開された。
友人の一人でもいれば少しはこの濁った心にも一輪の花が咲くかもしれないが、残念ながらボクには友人が1人もいない。一体何が原因なのかは未だに理解不能。ボクでさえ分からないのだからホーキング博士にだって原因を見つける事は出来ないだろう。
「東島〜、東島はいるか〜」
学校の廊下にて。
松葉杖をつきながらそんな事を考えていると声を掛けられる。体育教師の近藤先生だ。
体格はゴツく、まるでゴリラと人間をペンパイナッポーアッポーペン《合体》させたかのようである。どちらかと言うとゴリラの方に似ているかもしれないな。
「はい東島です」
「あ〜、その何だ。お前が入院している間身体測定の結果表を皆に配ってな。だから保健室に行って取りに行ってきなさい」
「はぁ。でも」
「ん? でもどうした」
ボクは松葉杖をついているのだ。怪我をしているのだ。だからそちら側から持ってきてくれるとか、そういう配慮は無いのだろうか。これだから脳筋は困るのだ。
「いや、なんでもないです。ありがとうございました」
言えない。
相手が自分より強そうだとボクは恐縮してしまう癖があるのだ。なんて間抜けなのか。自分でも情けない。
と、まあそんな訳で足を引きずりやっとこさ保健室前に辿り着く。道中誰も気遣ってくれなかった。『大丈夫?』とか、『肩貸そうか?』とか、そういう言葉をかけてくれる人はこの学校にいないのか。全くどいつもコイツも……。取り敢えず中に入ろう。
「失礼します。2年の東島ですが……って、あ……」
「あ、」
その先にいたのは養護教諭では無かった。
女子生徒だ。それもべらぼうに顔が良くてスタイルも良い。……って、この顔見覚えが――
「貴方……この学校の生徒だったんですね」
「ええ、まあそうですね」
病院で会った女の人だ。
秋の地面に落ちた枯葉色の茶髪を肩甲骨ら辺まで伸ばしたこの人は、ボクを見ると嫌そうな顔をした。美人のこういう顔が性癖な人もいるだろうが、ボクにはそちらの趣向は無いのでむしろ精神的ダメージが大きい。
「保健室の先生は……?」
「……出かけてますよ。当分は帰ってこないと思います。あの人話し込むと弾丸のように喋り続けますから」
「はぁん……そうですか。困ったな」
身体測定の結果表があるとすれば机の棚ら辺だろうけど、勝手に漁るのは良くないかもしれない。これは面倒だが先生が来るまで待っていた方が良いかもしれないな。
ボクは慣れない手つきで松葉杖を使い、保健室内の長椅子に座ろうとする。だが怪我をした足をかばうあまり上手く座れない。
――その時彼女が立ち上がり、こう言った。
「肩貸しましょうか?」
心が揺れた。
彼女は何気なく言ったのだろうが、その言葉は今日初めて聞いたのだ。だからその衝撃もひとしおだった。
「……じゃあ、お願い出来ますか 」
「はい」
女の人の肩に腕を伸ばし、少しずつ腰を下ろす。この時彼女の髪先から甘い花の香りがして少々ドキドキしたのは言わないでおく。
「感謝します」
「こういう時は素直に『ありがとう』で良いんですよ?」
「ありが……とう」
「言いにくそうですね。貴方、人に感謝の気持ちとか伝えるのが苦手なタイプでしょ」
「貴方には関係ないですね」
そう言ってボクは正面を向いて彼女の顔を見ないようにする。するとあっちの方からジッとボクを見てきて……。
「やっぱり、似てます」
「誰にでしょうか」
「この前助けてくれた男性の方です。私はハッキリ覚えてます。切れ目で身長は低く、遠い目をしていた方でした」
「はぁ、でもそんな人は」
「いえ、断言出来ます。貴方しかいません。もう……やっと見つけました」
女は席を離れボクの正面に来ると、マジマジと顔を見てニッコリと微笑んだ。
長いまつ毛にアーモンド顔の目、それから潤んだ唇が印象的な顔立ちだった。
はぁ、しょうがない。真実を話すか。
「あの、申し訳ないんですけど、多分ボクはあの時貴女を助ける意思は無かったと思いますよ?」
「でも貴方がいなかったら私は襲われていたと思います。性的に」
「性的って……ま、まぁそうなのか……と、兎に角ですね。ボクは人を助けるようなヒーローでは無いんですよ」
あの時。
ボクは怯えていたんだから。
誰かを助けるだなんて、そんな余裕は無かったんだから。
「足……怪我されてるんですよね」
「え、あぁ……そうですね」
「私のせいです、よね……ごめんなさい」
濡れた兎みたいな顔をして。
そんな顔されたら、貴女のせいにしてこの不幸の責任を押し付けられないじゃないか。
「別に君のせいじゃない。ボクが弱かったからさ」
「い、いえ……それを言うなら私だって……弱いですよ」
再び椅子に座り、人差し指同士をクルクルと回しながら女の子は語り始める。
「自分より力がある人が……いえ、実際にどうか、とかではなく……見た目がそうな人を見ると、すごく怖くて……ごめんなさい」
この人は、ボクに似ている。
体育教師はゴリラみたいに体格が良くて強そうだ。きっとマジの格闘をすればボクは負けてしまうだろう。でも彼女は随分と華奢で……女の子という性別だと考えてみても、弱そうに見える。でも顔は最高に良いし、スタイルも抜群だ。ナンパをするには最高の相手だろう。
「君は……苦労してそうだな」
「え……」
「それに、僕と似ている。別に嬉しくないだろうけれど、個人的な意見としては……まあ、随分と類似する点はあるよ」
ボクだって身長は低いし、もやしのように細い身体だ。シャトルランは40回で終わってしまうし、握力は右25に左20だ。だから舐められる事もしばしばある。……こんなんでよく生きてるなぁと自分でも思うよ。
「許して、くれるんですか……?」
「許すも何も、恨んですらいないよ。しょうがない事だし、何度も言うがこれはボクが弱いから起こった事だしな」
「そ、ですか……そうですか」
しばし無言の時が流れる。
女子と話す機会なんて無いんだから、何を話して良いか分からない。天気の話? 政治の話? それともファッション? ……どれも語れるくらいの知識は無い。何か無いか何か無いか……。
「名前」
「え」
「名前、教えて下さいよ」
「名前……あ、
「鈴羽さん……どうも、
「何ですか、その会社の営業みたいな言い方……ふふ」
笑った。
笑わせる意図は無かったのだが。
(人を笑わせたのなんて、何年ぶりかなぁ)
少なくとも高校に入学してからは無かったと記憶している。中学の頃……1回くらいはあっただろうか。小学校にもなるともう記憶が曖昧だ。
「名刺でも交換しますか。そうしたらもっと営業っぽくなるでしょう」
「ふふ、でも私名刺持ってないです」
「ボクも持ってないです」
「ですね」
これは意図して笑わせた。
ボク自身は表では笑わなかったけれど、心の中で一回くらいはニヤけたかもしれない。
今日は楽しい一日だ。こういうのも悪くないかもしれないと……そう思わせる一日だった。
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