第50話 もう一度桜の樹の下で

 私は白い布に囲まれたベッドの上で目を覚ました。


 重い頭には包帯が巻かれ、何も思い出せない。

 ここはどこ?どうして私はここにいるの?


 怖い……


 私は自分の両腕をぎゅっと抱きしめる。


 手術が終わり麻酔が切れ、覚醒した私を待っていたのは、押し寄せる不安感だった。


 何も思い出せず、何も理解出来ない。

 自分が誰なのか、どうしてこんな所にいるのか。


「七瀬さん。落ち着いて下さいね。ここは病院です。今先生が行きますからね」


 そんな私の耳元でアラームが鳴り、声が響いた。


「先…生?」


 理解出来ない私の元に、男性がやってきたのはそれからすぐの事だった。


 それから半月。

 家族と言う人達や、幼馴染だと言う男性が毎日様子を見に来てくれる。


「春佳。よかった!本当に良かった。おっと。私は春佳、君の父親だ。それで…」


「春佳?お母さんよ。分からなくても大丈夫。これからまた覚えて行けばいいわ。」


「は…い。お父さん。お母さん。」


 私に泣きながら抱き付く両親を前に、私は何も思い出せない。

 名前も思い出も、思い出せない。両親の顔も名前すらも。頭はずっしりと重く、記憶を辿る事さえできない。思い出そうとする程、頭が重くなる。目の前の空気を一生懸命掴もうとしている。そんな感じ。


 目覚めたあの時。私は生まれた。

 そう思えるほど、私の記憶の起点はあの日、目覚めた瞬間からだった。


 私は脳腫瘍の手術を受けた。

 そう思えないほど、頭の傷は小さく。

 先生が髪をかきあげ、鏡で髪の境目にある小さな傷を見せながら説明を受けてもピンとはこなかった。


 私の腫瘍は、位置が悪く外科的な手術をしないと命の危険があった。記憶は失ったが日常生活や言語など深い部分に記憶された記憶はある程度残っている。

いや。徐々に戻ってきているような感覚。


 それに失った記憶も、完全に失った訳ではないらしく、これからのリハビリ次第と言う事になった。


「はる。大丈夫か?何か必要なもんあったら言えよ」


 優しく語り掛けてくれるこの人は、私の幼馴染。

 生まれた時から一緒に育った男の子。


 私の心のメモに1人ずつ登場人物が増えていく。

 この優しい笑顔は、手術前の私にも向けてくれていたの?


「大丈夫……です。下で買えます……から」


「なんだよ。はる。そんな言い方。普通に喋って……って何が普通かなんて分からないよな。まあ。俺には丁寧な喋んなくていいんだよ」


「はい」


 この幼馴染の男の子と喋るのは、本当に安心する。

 優しさに溢れたこの人を、私は病室で待つようになっていた。


「はる。今日はこれ。小学生の時の写真な」


「あっ颯真さん。私より小さかったんですね」


「うっ。そうだな。俺がはるを抜かしたのって中学生の時だったか」


 ランドセルを背負った小さく可愛らしい2人の写真。

 並んだ私の頭一つ分小さな彼は、今の姿からは想像出来ないくらい幼く、私が姉のように彼に接している写真ばかりだった。


 毎日面会時間になれば、彼はノートパソコンを持って病室を訪れる。


 そして、その写真や動画の思い出を一つ一つ丁寧に、懐かしむように私に語る。


 私にも私の生きた日々があった。今の私しか知らない私の、新たな日々が彼によって物語のように紡がれる。


 私と颯真さん。


 本当に2人の思い出はいつも一緒。


 同じ誕生日

 新生児室で隣同士で写る写真に始まり、保育園、小学校、中学校、高校、そして大学。

 常に隣に彼がいる。大きくなっても変わる事のない優しい笑顔で。


 そして高校生になると、写真に一人加わる事が多くなる。彼の名は克哉さん。同じ高校から同じ大学へと進学した私と颯真さんの友人。


 そして颯真さんは、彼を親友だと教えてくれた。


 そして大学生の思い出。

 そこに新たに加わった綺麗な女性。

 彼女は、写真の度に颯真さんとの距離を縮め。そして、いつしか颯真さんの隣は彼女がいるようになった。


 4人が笑顔で湖の前で写った写真。その写真になぜか心の奥が何かで圧迫されるようか感覚を覚える。


 なぜ?なんでこんな感情……。


 そして、いつしか写真から姿を消してしまった彼女は、雪那さん。颯真さんの元恋人で私の友人。


 大学生活の思い出の多くは、4人で作った思い出だった。


「これが俺たちの思い出。そしてはるの手術の前に俺は、はるに告白した。この先、はるが記憶を取り戻さなくても、俺は常にはるの近くにいるからな」


 トクっと心臓が跳ねる。

 握られた手は暖かく、嫌な感じはまるでしなかった。


 リハビリを続け、日常生活を含めて奇跡的に生活上の記憶の大部分が残っていたお陰で、あとは経過観察で大丈夫なくらいに、私は回復した。


 私は、起きた時に握り締めていた御守りと御神籤を手に取る。


 いつのまにか握り締められていたこの二つは、誰も取り出せないほど強く握り締められ、そのまま私は起きるまで握り締めていた。


 大吉


 開いた御神籤の結果に心が跳ねる。

 そしてその言葉に心躍らせた。


 恋愛

 一途に思えば 愛深まる 行動せよ。


 健康

 月は新月を経て 満月へと至る 信じよ。


 手術前の私は、大吉の御神籤を大切に持っていた。

 大吉に願いを込めたのか、健康の一文を信じたのか。

 それとも一途に……。


 この御神籤がどう言う意味か分からない。でも私の握り締めた御守りと御神籤は、しっかりと私を守ってくれた。


 先生も驚くほど予後が良く、健康上は問題なく生活可能な状態となった私の退院日が決まり、頭の検査と手術直後の記憶喪失のリハビリを終え、3月31日退院日を迎えた。


 迎えに来てくれた両親の車に乗り、"初めて"思い出の度に出てきた七瀬家と松笠家の並んだ家の前に立つ。

 表札を確認し、近くの家の桜の花びらがヒラヒラと舞う中、2階の出窓を見上げる。


 あそこが、私の部屋。私が育った部屋。


 何度も颯真さんの出てきた我が家。

 写真であそこが私の部屋だと教えて貰った。


 なんだか不思議と初めてではない気がする。


 そんな思いを胸に玄関ドアを開ける。


「おかえりー春佳ちゃん!」


「「「「「退院おめでとう!」」」」


 『祝い退院』と大きく書かれた文字と共に、そこには颯真さんとそのご両親。そして克哉くんと雪那さんが出迎え、料理をペンションを営む雪那さんのご両親が運び込む。

 誰もが写真にあった人達。私の思い出の人達。

 その皆が笑顔で出迎えてくれ、私の退院を祝ってくれた。


 もう一度友達になろうと。


 その言葉にピリっと私の頭に刺激が走る。


 一夜明け、4月1日

 温暖な気候が続き、3月25日に開花宣言を受けた桜が満開を迎えたその日。


 私は颯真さんと二人。大学へと足を運んだ。

 明日入学式を迎えるにあたり、新たな新入生を迎える準備のため休講日となっている構内は、全ての構内活動も禁止され、広い構内にまばらに人が居るだけだった。

 満開の桜の木の下へと颯真さんが私の手を引く。


 満開の桜の大樹、風が樹を撫でる度に舞い散る花びら。

 その美しさに目を奪われる。


 ズキっと頭の中で何か刺激される。

 ここに私は来たことがある?


「この場所で伝えたい事があります」


 颯真さんが私の正面に立ち、真剣な目で私の目を見つめる。


「七瀬春佳さん。貴方の事が好きです。手術前。貴方に私は自分の気持ちを伝えた。そして必ずもう一度満開の桜の樹の下で伝えると約束しました。春佳を愛しいます。春佳が覚えていなくても、必ず春佳を幸せにします。だからもう一度。俺の隣で一緒に歩んでもらえませんか?」


 颯真から春佳に告げた想い。


 その瞬間 


 涙が溢れだす。記憶の渦が一気に巡り、頭のもやが消え軽くなる。


 そして私は……


「こんにちは。隣に住んでる。七瀬春佳です。これからも末長く、よろしくお願いします」


 私は目の前の彼の瞳をしっかりと見つめ頭を下げる。


「春…佳…?」


 そして私の名を呼ぶ彼の名を呼んだ


「颯ちゃん!」


 その瞬間。

 私は”彼”の胸に飛び込んだ。


 そして大樹桜の伝説のもと、はっきりと想いを告げる。


「私もあなたを愛してます」


****************


最後までお読み頂きありがとうございます。

これにて50話10万文字のlove story完結となります。


是非ご評価とレビューを頂ければ今後の創作の励みになります。


引き続きのご愛読宜しくお願い致します。

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戻心《れいしん》〜もう一度桜の樹の下で〜:あの時伝えられなかった想いを貴方に伝えたい 荘助 @shousuke

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