第49話 手術

 一時帰宅から病院に戻った私に、本格的な手術の準備が始まった。


 そして既に私は、様々なチューブに繋がれ自分自身では手の届く範囲以外で身動きの取れない状態になっていた。


 手術の当日


 両親と颯ちゃんの家族に見守られ、最後の手術準備が進む。


「大丈夫だからね春佳。みんなあなたの手術が終わるのを待ってるからね」


「大丈夫だ。何も心配する事はないからな」


 お母さんが目を潤ませながら手を握る。そしてそれに重ねるようにお父さんも一緒に手を握ってくれた。お父さんの大きな手の震えが伝わる。


「大丈夫だよ」


 私は精一杯の笑顔でそう答えた。

 信じる。そう決めたから。

 私の院内着のポケットには御守りとあの時の御神籤が入っている。私はそのポケットの表面をポンと軽く叩いた。


 みんなが一言ずつ声を掛け、手術室前の待機室から外へと出ていく。


 そして最後に残った颯ちゃんが私の手を握り、頭をそっと撫でてくれる。


 何も言わない。

 だけどいろんな想いが伝わる。やさしい撫で方だ。

 ありがとう颯ちゃん。大好きだよ。


「行ってくるね」


 それだけ。それだけ言った私に、颯ちゃんは一度頷き


「いってらっしゃい」


 それだけ言って、にこりと優しく笑った。


 私が大好きな颯ちゃんの笑顔で。

 行ってきます。颯ちゃん。


 手術台に横になり、手術用のライトに眩しさを感じる。無剃毛手術の為私の髪の毛はそのままの状態で手術が始まる。その説明を聞いた時、私は颯ちゃんの顔を思い浮かべていた。ホームページで調べる術後の写真はどれも広範囲に髪が剃られ、大きく傷跡が残るものだった。最後まで髪を剃る事に不安があった私は、そのまま手術が始まる事、そんな事にホッとしていた。

 大丈夫。きっと上手くいく。私は信じているから。


 間もなく麻酔と共に意識が途絶える。


 そして私は夢をみた。


 深い深い闇の中で、一筋の光が生まれ私はそこを目指した。そして映像が流れる。

 それは入学式から始まった。それも前の私の。

 颯ちゃんとの思い出が浮かんでは消える。私はそれを必死で捕まえようとする。

 待って!いかないで!

 捕まえても捕まえても、シャボン玉のように弾けて消えてしまう。薄い薄い膜のシャボン玉。

 待って待ってよ。私は必死に颯ちゃんとの思い出が詰まったシャボン玉を追う。


 あっという間に1年がたった。そして訪れた最後の日。

 この最後の日の記憶と比べると、思い出深い入学式の思い出以外の記憶の色は薄く、イメージも朧げだった。 


 そして最も鮮明で色濃い記憶。

 大きくしっかりとした膜を張ったシャボン玉の中に閉じ込められた記憶。

 桜の木の下で颯ちゃんに抱かれ、後悔の念だけを残して命を落とした。言えなかった。伝えられなかった。大好きな気持ち。その強い後悔。

 前の私の中の最後の記憶。


 思えば記憶に残る思い出がほとんどなく、過ぎて行った1年だった。触れれば割れる。そんな何の印象も残さない1年。何もしなかった1年。

 そして、その最後の泡が目の前で消えると、また入学式に戻った。


 今の私だ……。


 一気に溢れだす虹色に反射するシャボン玉。

 その一つ一つに思い出の風景が閉じ込められている。


 決意を決めた入学式、そして全力で颯ちゃんを追いかけた日々。颯ちゃんだけじゃなく色々な人達と関わった前の私にはない思い出の記憶。夏休みに花火大会、大桜祭、それぞれのイベント、そしてそれらの思い出が割れずにしっかりと溜まっていく。ちゃんと残っている。こんなにも違う前の私と今の私……


 そして最も大きく虹色に光るシャボン玉に手を伸ばす。まだ枝だけの桜の木の下。颯ちゃんと私。私も好きだと言えた。颯ちゃんと両想いになれた最高の日の

 記憶。


 すべての記憶が揃い。


 手を伸ばした私の前で、

 弾けた……。



 そして

 私は私である事の全てを失った。

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