第48話 手術の前に

 寒さが一層厳しくなり、病室から見える景色は雪で覆われている。

 2月。

 検査の日々が終わり、手術まで1週間となった。


 あと一週間で、私の記憶は消えてしまう。

 もし手術に失敗しても、私はあと2ヵ月の命。どちらにしても私には明るい未来を描く事は出来ない。


 月は新月を経て 満月へと至る 信じよ。


 大吉を喜び、財布に入れておいた御神籤を開く。


 信じよ


 その一文に心が大きく揺さぶられる。


 新月って何?

 何を信じればいいの?


 手術を決意して、もう1か月。病室には毎日誰か来てくれる。


 私の大事な人達。

 そしてその中には雪那ちゃんも入っている。


「春ちゃん!」


 病室に来るなり優しく私の事を抱きしめて、雪那ちゃんは泣き始めた。


「雪那ちゃん。いらっしゃい。ごめんねこんな格好で」


 今の私は眼鏡におさげ。そう前の私そのものだ。

 これが本当の私。


 何度もごめんなさいと繰り返し、その度に何度も私は雪那ちゃんは何もしていないと伝える。


「春ちゃん!私ね……」


 雪那ちゃんは泣きながら私の颯ちゃんへの気持ちを知っていた事、それでも颯ちゃんを諦められなかった事を伝えた。


 そのせいで苦しめたと。

 思い悩んでいたいんだろう。


「ごめんなさい。本当にごめんなさい」


 何度も何度も謝る彼女の背中を軽くあやすように叩き、大丈夫と耳元で囁き続ける。

 悪いのは私、雪那ちゃん。貴方を私の人生に巻き込んでしまった。


「それでは手術3日前の7日の10時には、来院下さいね」


「ありがとうございます。先生」


 検査値が安定している事で無理をしない事を含めた様々な条件下のもと、一時帰宅の許可が出た。

 たぶん記憶の喪失も含めた先生の最後の優しさなのだろう。


 今日から3日

 私は生まれ育った家で、大事な家族と過ごす事が出来る。もちろん颯ちゃんとも。


「行こうか。春佳」


「うん」


 お父さんの運転で家を目指す。


「春佳。今日食べたいものあるか?何でもいいんだぞ、お母さん作ってくれるからな」


「うん。特別なものじゃなくていいかな。お母さんのいつもご飯が久しぶりに食べたいよ」


「そうだな。1か月病院食じゃ参っちゃうよな」


 特に特別なやり取りは、ない。悲壮感を漂わせるわけでもなく、ただただ普通にお父さんは車を走らせる。


「ただいま」


「おかえり春佳。疲れたでしょ。着替えてゆっくりしたらリビングにおいで」


 家に帰ると実家特有のにおいに包まれる。

 病院の消毒やクリーニングの独特な匂いとは違う本当に安心できる匂い。


 お母さんが私をぎゅっと抱きしめる。

 久しぶりのお母さんの温もり。


「うん」


 自分の部屋に戻る。たった1か月離れただけなのにどこか懐かしく感じる。

 初詣から帰る事なく病院に運ばれ、この部屋の時間は私がいないまま進んでいた。

 机の上には読みかけの小説。そして出版社からの封筒が置いてある。既に修正は済み、あとは出版を待つだけ小説。その発売日を知らせる手紙だった。


 4月4日


 奇しくも私の倒れた次の日。


 私はその手紙を無言で胸の前で握り締めた。


「「おかえりなさい春佳ちゃん」」

「おかえり。はる」


 心を落ち着かせリビングへと戻ると、おじさんとおばさん。そして颯ちゃんが出迎えてくれた。


「ただいま。帰りました。ご心配お掛けしました」


 ほとんど毎日のように様子を見に来てくれた颯ちゃん。だけどやっぱり家で会えるのは全然違う。

 今すぐにでも抱きついてただいまって言えたら。そんな想いをこらえ、私は笑顔で応えた。


 久しぶりの家族団欒の時間

 1日目は家族だけで、2日目は颯ちゃん家族も、そして手術前最後の夜は家族だけの時間。

 私の好物が並ぶテーブルに、どこか緊張感が漂う。

 なんとかみんな、涙を堪えて笑顔で食事を終えた。


【少し散歩できないか?】


 颯ちゃんのメールに返事を返して、暖かい服に着替える。


「お待たせ。ごめんね遅くなって」


「いや。急だったしな。ごめんなおじさんとおばさんにはあとで謝っておくから」


「タクシー?」


 玄関を出ると既に颯ちゃんが待っていた。

 そしてその先にはタクシーが停車していた。


「よろしくお願いします」


 そうタクシーの運転手さんに告げると、タクシーはすぐに走り出した。


 既に行き先は伝えてあるみたい。


 そしてしばらく走ると見覚えのある場所を走っている事に気付いた。


「学校?」


 毎日のように通っていた桜華大学。

 その周辺ならばすぐに行き先が想像できた。


 そのまま校門前に停まるタクシー。


「行こうか。寒いからちゃんとコート着ろよ」


「うん。どこに…」


 そう言う間もなく、颯ちゃんの手が私の右手を包んだ。


 まだ枝だけの大樹桜。

 その木の下で幹に手を当てる。


 ここで私の命は……


 あの時の後悔が今でも心に強く残っている。

 結局私は颯ちゃんに好きだと告げる事が出来ていない。


「はる。ごめんな。こんな大事な時期に。そんで寒いよな。明日からまた入院前なのに」


「ううん。大丈夫。私ももう一回この桜の樹を見ておきたかったから」


「はる。いや七瀬春佳さん。こんなタイミングなのはおかしいって分かってる。だけど今日までにどうしてもこの場所で伝えたい事があります。貴方の事が好きです…


「えっ颯…ちゃん…」


「聞いて欲しい。春佳。貴方の事が好きです。この一年色々な事があった。俺には雪那が、彼女がいた。だけど春佳に彼氏が出来たら?ってバイト中に中川さんに言われた日俺はほとんど記憶がないほど考えた。怖いと思った。他の男と一緒にいる春佳を見るのが。そんな気持ちは克哉にも雪那にも伝わってた。そして大桜祭のあの日。俺は春佳への気持ちに気付いたんだ。でもそれを認めてはダメだと思った。雪那に失礼だと全力で諦めようとした…。だけど駄目なんだ。どこか無理して自然になれない俺が俺じゃないみたいな、そんな毎日だった。雪那と別れて色々考えてクリスマスに大晦日。いつも通り馬鹿騒ぎして、俺には春佳が必要だと確信した。こんなめちゃくちゃな告白だけど!俺の気持ちだけは知っておいて欲しいんだ!はるとの未来があるなら俺はこの桜の伝説にだって縋る!」


「忘れちゃうんだよ!全部!全部忘れて颯ちゃんの事だって!」


「大丈夫だ」


「なんで!なんでそんな事言えるの⁈私だって私だって颯ちゃんが大好き!ずっと一緒にいたいって今だって思ってる!だけど!」


「大丈夫!」


 そう言って颯ちゃんは私をキツく抱きしめる。


「大丈夫だ。またここで。今度はちゃんと満開の桜の花の下で気持ちを伝えるから!はるが俺を忘れてももう一度好きになって貰うように俺はなんでもするから」


「うん」


 私は信じよう。大樹桜の奇跡がこんなバッドエンドで終わらないと。


 そしてもう一度もう一度桜の樹の下で

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る