第32話 大桜祭③ 春佳side

 カチューシャを外し、更衣室の壁に背を預けると目を閉じる。

 これまでの色々な事が目蓋の裏に浮かぶ。


 色々な人が応援してくれた。

 色々な一歩を踏み出せた。

 色々な未来が変わっていった。


 その思い出が、こんな形で終わるなんて。


 閉じた目から自然と涙が溢れる。


 どうしてこうなるんだろう。


 私はそっと目を開く。


 颯ちゃん。


 居てくれてよかった。

 どうしてお店に来てくれたの?


 前の記憶だと、雪那ちゃんと一緒で夜遅くに帰って来ていた。


 楽しかったと笑顔で語っていた。


 まだまだ未来は変わる。


 私にとって

 良い方に?

 悪い方に?


 例え悪くなっても、私は後悔したくない。


 溢れる涙を拭い、メイド服を脱ぎ私服に着替える。

 私用に手芸サークルのみんなが作ってくれた服。

 夜遅くまで作ってくれていたのに……


 最後まで出来なくてごめんなさい。


 そう思いを込めて丁寧にメイド服をたたみ、一度胸の前で抱き締めた。


 更衣室からでると他の部員に肩を抱かれ、頭を下げている陣内部長が目に入る。


 責任を感じているのだろうその姿に、胸がキュっと苦しくなる。


 颯ちゃんを見ると、私をちらりと見た後、心苦しそうに顔を伏せてしまった。


 ごめんね颯ちゃん。心配かけて。


「着替え終わったみたいだな。大丈夫か?」


 周りのみんなが心配そうな表情をしている中、颯ちゃんからバッグを受け取る。

 大きなバッグは颯ちゃんがそのまま持ってくれている。


「うん。大丈夫だよ」


「じゃあ。すみません。途中ですが今日は帰らせていただきます。」


 颯ちゃんが皆に頭を下げ、私も少し遅れて頭を下げる。


「部長…」


 そして、顔を伏せてしまった陣内部長に変わり、メイド服をと、手を差し出した刈谷部長にメイド服を渡した。


「すまない。七瀬くん。怖い思いをさせたね。気にしないでゆっくり休んでください」


 刈谷部長が申し訳無さそうに頭さげる。


「部長。気にしないで下さい。ちょっと驚いてビックリしちゃって…」


「しょうがないよ。慣れていない事をしたんだから。それにあれは誰だってショックを受けるよ。だからちゃんと休むんだよ」


「はい」


 構外へでると、颯ちゃんがタクシーを捕まえた。

 てっきりいつも通り電車で帰ると思っていたけど、そのままタクシーの後部座席に押込まれてしまった。


 お互いに、窓の外の流れる街並みを横目に見ながら、何度かの言葉をかわす。


 颯ちゃんに掴まれた手首がじんわりと熱く感じる。

 あの男の人に掴まれたときは、痛みと恐怖しかなかった。でもあの時颯ちゃんがその痛みを消してくれた。


 ちらりと颯ちゃんの横顔を見ると、あの時の事を思い出して顔が緩みそうになる。ふわーっと胸のあたりに感情が込み上げてくる。


 颯ちゃんは凄く心配してくれているのに、私は抑えきれない感情で顔が弛むのを抑えるのに必死で、上手く言葉が出なかった。


 そんな感情の中、タクシーは家の前に停まる。


「春?」


「うん。ありがとう颯ちゃん。ごめんね。学園祭の途中なのに…」


「何言ってんだよ!俺を頼って悪いと思うなよ!」


 颯ちゃん⁉︎


 私の謝罪に急に颯ちゃんが大きな声を出す。


「颯…ちゃん」


 その顔は幼馴染の颯ちゃんの表情そのものだった。


「ごめん。大丈夫だ。俺は常に春佳と一緒にいただろ」


 そして、驚いた表情の私の頭にそっと手を乗せ、ぽんぽんと軽く叩くと、私は颯ちゃんの胸に引き寄せられた…


 颯ちゃんの胸に顔をうずめる。

 颯ちゃんの匂い。凄く安心する颯ちゃんの匂いが私の心を落ち着かせる。


「大丈夫。俺が近くにいるからな」


「うん。…ありがと」


 このまましばらく時間が止まればいいのに…


 その瞬間颯ちゃんの腰あたりが震え、我に帰る。


 携帯?


「ごめん」


 震え続ける携帯を颯ちゃんがポケットから取り出す。


 その携帯の文字を見てしまう。

 そこには ➖雪那➖ の文字


 ああそうか。

 これは特別。異常な事があったから"今"があるんだ。


 困った表情を浮かべ、携帯をしまおうとする颯ちゃんに私は声をあげた。


「出てあげて!雪那ちゃんにちゃんと謝っておいて。私からも連絡しておくから。今日はありがとう」


 そう言って慌てて鍵を取り出し、玄関を開け、自分の部屋へと駆け込んだ。

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