第21話 二人の颯真

「寝ないのか?」


 思ったよりも響いたチェアの軋む音に、軽く驚いていると、後ろのテントから声を掛けられ、さらに心が跳ねた。


「あっ颯ちゃん……」


「寝れないのか?」


「うん。まだこの夜空を見て起きてくて。颯ちゃんは?ごめん起こしちゃった?」


「都会じゃなかなか見れないからな。あぁ俺はトイレにな。さっきまで克哉と話してたんだけど、あいつ急にスイッチ切れたみたいでさ、そしたら音がしたから」


 そう言いながら颯ちゃんはトイレではなく、ゆっくりと私の横のチェアに移動する。


 よかった。チェアの音で起こしたんじゃないみたい。


 2人が寝たせいか、颯ちゃんの口調が雪那ちゃんの彼氏ではなく、私の幼馴染の颯ちゃんの口調に戻っている。


 颯ちゃんは気付いてるかな?


 気付いてないよね。雪那ちゃんと付き合い始めてから、みんなでいるときと2人で居るときで颯ちゃんの口調が変わっているのに。


 やっぱりこの雰囲気の颯ちゃんが好きだな。

 いつもは何だか無理してる感じがして……。


 まるで颯ちゃんが2人いるみたいに。


「ふー」


 颯ちゃんがまたチェアの人工的な音を響かせ、隣に座ると、肺に空気をこれでもかと吸い込み、大きく空に息をはく。


「やっぱすげぇな。この星空。うちの近くとは大違いだ」


「うん」


 一緒に夜空を見上げながら、横にあった電気ケトルに水を注ぎスイッチを押す。


 それを横目で確認した颯ちゃんが、水を切っていたカップを取り出す。


 何飲む?

 なんて聞くことはない。


 もう決まっているから。

 自然と紅茶のティーパックを取り出し、カップにセットする。


 そしてそうしているうちに、カチっと電気ケトルの音が鳴り、お湯が沸いたことを知らせる。


 ふたつ並んだ色違いのカップに、ゆっくりとケトルのお湯を注ぐとダージリンの香りが辺りに開いた。


 月明かりの下、自然の音に交じり紅茶を冷ます息の音と、すする音だけの世界でしばらく言葉を交わすことなく2人の時間が過ぎる。


 こんな時間がずっと続けばいいのに。

 私は願わずにはいられなかった。


 夏と言っても、焚き火の消えた避暑地の夜のキャンプは冷える。昼間より暖かい服を着ていても、その肌寒さに私はギュッとカップを握る。


「大丈夫か?」


 颯ちゃんが、自分の着ていた薄手のパーカーをそっと私の肩にかける。


 私はお礼を言いながら、袖に腕を通した。


 颯ちゃんの匂いだ。

 バレないくらいの深さで鼻で息を吸う。うんやっぱり好きな匂い。


 もう一回……。


 つい頬が緩みそうになる。私おかしいかな…… でも好きな人の匂いには、いつまでも包まれていたいものだよね。


「うん。ありがと」


 やっぱり優しいな。

 大好きだな。


 そして気を抜いた瞬間。私の颯ちゃんじゃないという現実が頭の中をグルグルと巡り、目頭が熱くなる。


 涙腺が開くのを必死こらえ、パーカーの袖口で顔を覆い、涙を留めもう一度緩んだ気持ちを元に戻した。


「楽しかったね」


 必死で笑顔をつくり、颯ちゃんと顔を合わせる。


「あぁ」


 優しい颯ちゃんの笑顔。


「また来れるかな?」


「当たり前だろ。来年だって再来年だって俺らの大学生活は続くんだから」


「うんっそうだよね。ごめんね変なこと言って」


 ごめんね。颯ちゃん。

 たぶん来年は来れないかな。雪那ちゃん。ごめんね。せめて今だけは、今だけは、颯ちゃんを独り占めさせてね。この私だけに見せる優しい笑顔を。


 私は今度はカップを置いた両手をギュッと強く結んだ。


 まだ足りない。想いも行動も。まだ過去を変えれない。だから一歩ずつ。一歩ずつ進んで行こう。


 しばらく久しぶりの二人だけの時間が過ぎてゆく。

 そうして、何度かの流れ星を見送った頃。


 颯ちゃんがカップをテーブルに置いた。


「じゃあ寝るか」


 気づけばもうすぐ日が変わる時間となっている。


「うん」


 カップを水で軽く洗い水切りかごに戻す。


 これでこの時間は終わり。雪那ちゃんありがとね。


 あっ……


「颯ちゃん…… おトイレまで……一緒に」


「はぁ~やっぱりな。ほんと変わんないな、はるのそういうところは」


 そう言って私を”はる”と呼び、頭に手をぽんぽんっと乗せた。


 うん。私の大好きな幼馴染の颯ちゃんだ。


 おやすみなさい。


 また明日ね。

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