第18話 経験

「春佳ちゃん、これ一番テーブルにお願いね!」


「はい」


 ディナーの時間となり、一斉にお客さんがダイニングの席に着く。


 給仕のユニフォームに着替えた私と雪那ちゃんは、順にテーブルに料理を運び、教えてもらった通り料理の説明をし、パティシエでもあり、ソムリエの資格も持っている香織さんオススメのワインをグラスに注ぐ。


 そして、その間にも前菜から始まり、ソースや野菜で美しく彩られた料理がお客さんの食べ終わるタイミングを見ているかのように、次々にタイミング良く了さんの手によって生み出されていく。


「今日の料理も素晴らしいわ。私達毎年ここに来るのが楽しみでね。今年は思い切って息子家族にも声を掛けてみたの。孫の喜ぶ顔も見れて最高の気分よ。それにね雪ちゃんも大学生だし会えないかなって思ってたの。皆さん雪ちゃんのお友達なんでしょ。雪ちゃんをよろしくね」


「はい。もちろんです。私の方こそ仲良くしてもらってるので」


「ふふ。素敵なお友達が出来てよかったわ。それに素敵な男の子たちも一緒で」


 何気ない。本当に何気ない一言がちくりと胸を刺す。


 もとシェフの了さんと、パティシエである香織さん。二人の姿を見ていた雪那ちゃん。


 彼女は技術ではなく両親に足りないもので、サポートしようと考えたらしい。


 中学の時から真剣に将来を考えた雪那ちゃんが選んだのは、地元の大学ではなく、知り合いのいないホテルや中小規模の宿の経営の研究で有名な教授のいる桜華大学だった。


 数ある大学のうち、どうして彼女が来てしまったんだろう。


 どうして颯ちゃんと知り合ってしまったんだろう。


 どうして入学式のあの日……。


 何度も何度も、ふとしたきっかけで心が弱くなると頭の片隅によぎる想い。


 でも違う。


 何度やり直しても、どんなに変えようと思っても。この出会いはきっと変わらない。


 誰からもすごいって言ってもらえる雪那ちゃんが、颯ちゃんを好きになって、それから2人が結ばれるのも変わらない。


 弱いな。私。


 お客さんに軽く笑顔を返し、また料理を運ぶ。


 その料理一つ一つが私の心をまた普段の私に戻してくれる。


 一口大のフランスパンに、ムースと共に色とりどりの野菜や花を飾り付けた

 「アミューズ」


 キノコと野菜の美味しさをギュッとテリーヌにして閉じ込めた

 「オードブル」


 ジャガイモをベースにしパセリのアクセントが美しい

 「スープ」


 しっかりと焼き目を入れた鯛の周りに、彩り豊かなソースを添えた魚料理

 「ポワソン」


 口直しの「ソルベ」を挟み


 地鶏のモモを使用したコンフィが、香ばしい香りを部屋いっぱいに満たしたメイン肉料理

 「アントレ」


 そして最後は香織さんのデザート

 「デセール」

 が用意されている。


 美しい料理達の宴は、疲れも不安も感じさせずあっという間に終わった。


 最後の香織さんの作る洋梨のコンポートの添えられたデザートも素敵だった。


 みんなが笑顔になっていた。

 

 了さんも香織さんも何度か顔を出しながら料理を作り、最後にもう一度挨拶に周っていた。


 素敵な2人。


 2人が纏う空気で、お互いを本当に愛しているんだなってわかる。


 私もそんな恋……出来るのかな。


 ディナーの時間が終わり、片付けを済ませる。

 この時間には、客室の準備やペンションの掃除をしていた颯ちゃんと克哉くんも戻ってきていた。


「みんなありがとね。遅くまで。春佳ちゃんも疲れたでしょ。慣れない仕事で」


 香織さんが優しく労ってくれる。


「いえ。あっという間でした。それに本当に料理も素敵で皆さん笑顔で、香織さんのデザートも了さんの料理も素敵でした!」


「はははは。それは嬉しいね。颯真くんも克哉くんも仕事が丁寧で早いってみんなが褒めてたよ。ありがとう」


「そんなことないですよ。なっ颯真」


「皆さんについてくのがやっとって感じで……」


 克哉くんがいつも通りに答え、颯ちゃんが遠慮しがちに答える。ここでもいつも通りだ。


「雪ちゃんもありがとね。常連さん達、みんな雪ちゃんに会えて喜んでたわよ」


「うん。今年は来れないと思ってたみたい。地元の大学じゃないしね」


「それよりめちゃくちゃ良い匂いっす」


 克哉くんの言う通り、鼻腔もお腹も刺激するいい匂いが部屋いっぱいに広がっている。


 うん。ほんと良い匂い。


「お腹空いてるだろ。よし。完成っと。今日のまかないってやつだ。さっ座って座って。」


 一番忙しいディナーも終わり、後は従業員で対応出来るからと、ダイニングでは久しぶりの家族全員での夕飯が始まった。


 入学してから定期的に電話やテレビ電話では話していたが、やはり直接聞くのが嬉しいようで、途中私達に何度も話を振りながら楽しい時間は過ぎた。


 ペンションから4人で家へと戻り、少し話してから就寝する事になった。


 あっという間の数時間、フランス料理のフルコースの呼び名だって知らなかった。前の私にもなかった初めての経験。


 そんな貴重な経験を日記に書きながら、ひとつひとつ思い出していく。


 そして日記を書き終えると、どっと眠気が襲う。思っている以上に緊張していたみたい。

 

 「おやすみなさい」


 私は久しぶりの充実感を感じながら、目を閉じた。

 明日も良い一日になりますようにと願って。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る