第8話 喫茶店にて

 学校から10分ほど歩いた繁華街の端に目的の喫茶店があった。ウッド調のおしゃれそうな外観である。中に入ると、コーヒーの匂いとジャズが次郎を迎えた。カウンター席と二つのテーブル席がある喫茶店だった。

「いらっしゃい」

 マスターは、サングラスをかけた40代くらいの男性だった。マスターは二人を認め、口元に笑みを浮かべる。

「恵麻か」

「ただいま」

「おかえり」

「知り合い?」

 次郎がささやくと恵麻は頷く。

「ええ。お父さん」

「へぇ。えっ、お父さん?」

「君にお父さんと呼ばれる筋合いはないがね」

 マスターは冗談交じりに笑うが、次郎はどのように対処すればいいかわからず、「ははっ」と乾いた笑いで乗り切ろうとする。

「まぁ、立ち話もなんだし、座ったら、どうだ?」とマスターはカウンター席を指す。

「そうね。ちょっと、着替えてくるから、適当なところに座って待ってて」

「わかった」

 恵麻が『STAFF ONLY』と書かれた扉の向こうに消えると、次郎はカウンターの端に座る。知らない場所で、よく知らない人と二人きりになるのは緊張する。だから、少しだけ居心地の悪さを感じていると、次郎の前にコーヒーが置かれた。

「これでも飲んで、リラックスして」

「ありがとうございます」

「君は、コーヒーにミルクをいれるだろ? だから、ミルクも置いておくよ」

「ありがとうございます」

「この喫茶店の売りは、お客さんの求めるコーヒーを淹れることなんだ。だから、このコーヒーも君の口に合うと思うよ」

「なるほど」

 次郎は、さっそくコーヒーを飲んでみる。苦みや酸味が少なく、飲みやすいコーヒーだった。ミルクを入れると、マイルドさが増し、次郎の口元が自然とほころぶ。

(美味しいな、このコーヒー)

 マスターは満足したように頷き、自分の作業に戻った。

(美味しいと伝えるべきなのか?)

 光の住人なら、ここで『美味しい』と言うに違いない。だから、次郎も言うべきなのかもしれないが、マスターに話しかけようとすると、緊張してしまう。変な奴と思われたら、どうしよう? そんな心配が頭をよぎるのだ。

 そのとき、次郎はマスターのサングラスに違和感を覚えた。レンズが黒すぎる。ちゃんと見えているのか? と疑問に思ってしまうほどの黒さだった。

(でもまぁ、サングラスってそういうもんだしな)

 考えすぎだろうと思い、次郎は再びコーヒーを飲んだ。

「お待たせ」

 恵麻が戻ってくる。白いワイシャツにエプロンをつけていた。

「あ、もう飲んでいるんだ。どう? 美味しいでしょ?」

「ああ。美味しい」

「だって」と恵麻はマスターを見る。

 マスターは「それは良かった」と微笑んだ。

 美味しいと言えたので、次郎は安心すると同時に、恵麻に感謝する。

「それで、部活の内容なんだけど」

「あ、うん」

「私はお父さんの手伝いをしているから、あなたは勉強するなり、読書をするなり、好きなことをすればいいわ」

「わかった。けど、それなら、俺はべつにここに来なくてもよくね?」

「先生のしつこい催促を拒み続けるつもりなら、それでもいいんじゃない?」

「……勉強する」

「それが賢明な判断ね。まぁ、毎日来る必要はないと思う。好きなときに来たらいいわ」

「了解。氷室さんは、毎日お父さんの手伝いをしているの?」

「基本的には。昼の時間までは、お父さんとお母さんが二人でやっているんだけど、夕方になったらお母さんが帰っちゃうから、私がその代わりに手伝っているの。だから、正直、放課後に部活とか、する気なかったんだよね」

「なるほど」

 そのとき、若い女性のお客さんが二人やってきた。

「いらっしゃいませ」と恵麻が対応する。

 手持ち無沙汰になった次郎は、カバンから教科書を取り出して、宿題に取り掛かる。

 それから真面目に勉強していると、たまに電流が走る。顔を上げると、恵麻は素知らぬ顔でカップを拭いていた。

(どんなだけ、俺の心を見たいんだよ)

 見たところで大して面白いことなんてないのに。とは、思いながらも、そうやって誰かに気をかけてもらえるのは、両親を除けば、初めてだった気がするので、悪い気はしない次郎であった。



☆☆☆



 18時30分になって、恵麻たちは店じまいを始めた。次郎は30分前に帰宅している。

 恵麻が掃除をしていると、父親の譲司が言った。

「今日来た彼が、恵麻が言っていた気になる人?」

「うん。まぁ、気になるというより、興味があるって感じかな」

「確かに、彼は面白い子だよ」

 譲司はサングラスを外し、切れ長の目で恵麻を見据えた。

「恵麻がプラチナになったと聞いたときは、親としてとても嬉しかったけど、やはり、世界は広いな。上には上がいる」

「……やっぱり、そうだよね」

 恵麻が悔しそうにモップを握るのを見て、譲司はふっと笑った。

「正直、恵麻が今の高校に行くと言った時、僕はもったいないなと思ったんだ。なぜなら、あの学校は、魔法使いとして得るものは何もないからね。ただ、その考えも、今日の彼を見て、変わった」

 譲司はサングラスを恵麻に向かって、放り投げた。恵麻はしっかりキャッチする。

「恵麻。もしも、魔法使いとしてさらに上を目指したいなら、魔法や目に見えるものだけで物事を判断しない方がいい」

「……どういうこと?」

 譲司は微笑み、答えなかった。

 恵麻は小首をかしげながら、渡されたサングラスをかけてみる。

 視界が真っ黒で、何も見えなかった。

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