第29変 −Complex−
小倉さんは足早に部屋から出て行った。
残った俺達二人は黙り込む。何て言葉をかけたらいいのか分からない。
「……あーし、結構ひどいこと言っちゃったよね」
タピオカシオンは頭を抱えこみながら、ぽつぽつと話し始めた。
「そう、ですね」
正直、小倉さんに狐の仮面のことを聞くのはかなり無神経な発言だったと思う。むしろ、よく聞けたもんだ。
「まじ最悪。なんでこんなこと言ったんだろ。……ねえ、ブルー。あーし、どうしたらいいんだろう」
今にも泣きそうな顔つきに変わる。
助けてあげたいが、許してもらうとなるとかなり難しいはずだ。
「その、素直に謝るとか?」
「謝りたいんだけど、そもそもあーしと話してくれるかな」
確かに。小倉さんがタピオカシオンのことを避けるかもしれない。
「とにかく、明日謝ってみる。ありがとね、相談乗ってくれて。戸締りしとくから、先にブルーも帰っていいよ」
「あ、ありがとうございます」
教室から出る前に一礼すると、それに応えるようにタピオカシオンは手を振る。
さて、どうしたものか。できるなら助けてあげたい。今後の応援団の活動にも関わってくるからな。小倉さんにタピオカシオンと話してもらうように頼む、とかは……駄目だ。普通に断られそう。
それにしても、いつも厳しい感じの小倉さんだけど、あんなに怒ったところは見たことない。普通って言葉に反応してたよな。
「……普通か」
「普通? それがどうしたの?」
びっくりした。
目の前には赤いランドセルを背負った女の子。どこかで見たことがあるような。……あ。
「日菜ちゃん?」
「今回は覚えてくれた! お兄ちゃん、久しぶり!」
「久しぶりだな。えっと、学校の帰りか?」
「ううん。友達と遊んでたんだ! お兄ちゃんは?」
「俺は学校の帰りだ」
「そうなんだ! もう帰るだけ?」
「ん、ああ、そうだな」
日菜ちゃんはにっこり笑う。
「それじゃあ、一緒に遊ぼうよ」
「遊ぶ?」
「うん、あそこの公園で! お姉ちゃんには寄り道は駄目って言われるけど、せっかくお兄ちゃんと会えたんだし、ちょっとは大丈夫だよね」
それは駄目じゃないのか。
「ね、お兄ちゃん、いいでしょ!?」
「いやー。その、それは……」
「お願い!」
そこまで言われたら断りづらい。まあ、ちょっとだけなら大丈夫か?
「分かった。少しだけだぞ」
「本当!? やったー!」
そう言うと、思いっきり腕を引っ張られた。そのため、少しよろけてしまう。
公園はブランコと滑り台しかない地味な作りだ。たくさんの小学生が遊んでいる。
「お兄ちゃん、なにして遊ぶ?」
「そうだな……」
──そして、数十分後。
俺は重たい腰をベンチに下ろす。小学生の体力は恐ろしい。いや、俺の体力が落ちたのか。とにかく、比べものにならない。
「あれ、疲れたの? 休憩にしよっか!」
日菜ちゃんはまだまだ元気だ。
「す、すまん……」
「大丈夫だよ! あ、休憩が終わったら、次は鬼ごっこしようよ!」
……先のことは考えないようにしよう。
「そういえば、お兄ちゃんの学校って、もうすぐ運動会があるんでしょ!」
「ああ、もうすぐな。でもなんで知ってるんだ?」
「だって、お姉ちゃんが『体育祭楽しみ』ってすごく楽しそうに話してるもん。私も見に行くんだー!」
「へー、小倉さんって結構行事とか楽しみにするタイプなんだな」
「そうだよ。……お姉ちゃん、中学生の頃は運動会参加できなかったから」
「ん? 参加できなかった? どういうことだ?」
日菜ちゃんは黙り込んで、じっと下を向いてしまった。
「……お姉ちゃんには日菜が言ったって、内緒だよ」
「ああ」
「あのね、お姉ちゃん、中学校の頃、ずっとお家にいたんだ」
「お家にいた?」
「うん。中学生になってから学校に行かなくなって、部屋に閉じこもってて……。けど、急に学校に行き始めたの。……それと同時に、お姉ちゃんは変わっちゃたんだ」
変わった?
「家ではいつも通りだけど、外では別人のようになってて。次第にお姉ちゃんの笑顔も見ることがなくなって……。そ、それで」
日菜ちゃんの声はどんどん霞んでいく。
「そ、それで……」
「も、もういい。もうこれ以上言わなくていい」
今にも泣きそうなこの子に無理をさせることはできない。それに、赤の他人である俺が、小倉さんの許可無しにこんな話を聞いて良いはずがない。
俺たちはしばらく黙り込む。複雑な心情の中、子供達の楽しそうな声が嫌なほど耳に入ってくる。
「お兄ちゃん。運動会、楽しみにしてるね」
「ああ」
「お姉ちゃんも楽しい運動会だといいね」
「……そうだな」
その時、スマホの通知音が『ピロン』と鳴った。
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