第38話 夢見た現実

『頼田くん、君はどうしてあんなことをしちゃったんだよ?』

蔑むような目つきをむけた沙月さんが暗がりから近づいてくると、突然俺にショルダータックルをかました。

 

 足がもつれてその場に倒れこんだ俺のことを、やれやれといった表情で玉野が眺めている。

『はぁ~あれだけ僕たちが協力してあげたのに、この人には何を教えても無駄だったみたいだね』

そういうと玉野は俺に向かって何かを投げ、頭付近に丸いモノがかすめて落ちる。

見るとそれは野球のボールだった。


 するとまた別の方向からもボールが飛んできて、そのうちの一つが頭に当たって

体を伝い転がっていく。

『ほっんとコイツやだ。大事な時に余計なことばっかするんだもん』

 少し先のテーブルの上で脚を組んだレイがいて、

文句めいた言葉を吐き出しながら、彼女もまた俺目がけてボールを投げている。

 

 体を動かして避けようとするが思った通りに動かず、

ギリギリと息がつまる感覚から苦しみに呻く。

 

 すぐそばに誰かがいる恐怖感を感じて、顔だけ振り向けてみると、

そこには、何の感情もなく、酷く冷淡な顔つきをした盛川が立っていた。

『おっ、もおぅ・・・・・・・・』

ショックを受けて空気が喉を通らず、渇いた声では助けを呼びかけることも出来ない。


 ウッ!と突然鈍い衝撃を感じ、

腕に何か硬いモノが打ちつけられていることを感じる。

それは大きく振り上げられた盛川の脚で、俺の身体を強く踏みつけていた。

『アンタのせいで、アンタが私のことを傷つけたんだ・・・・・・』

恨み節のようなセリフを吐きながら、

何度も何度も俺の腕から肩の部分を踏みつけてきた。

ガシャン、ガシャンと硬質な音を響かせながら。


『おおっうっ・・・・ううぅ・・・』

苦しみを吐き出そうにも何の音も発することが出来ず、身体もさっきからほとんど動かない。

 ただどうすることも出来ない状況に襲われたショックから俺の心と身体は文字通り沈んでいき、

己の自我が崩壊しかかろうかという・・・・・その時。


「・・・・いと、らいと・・・・・ライトッ・・・・!」

実感を伴った声が響いていることに気付いて、俺は明るい光の元へと徐々に覚醒していった。


「はぁ、はぁ・・はぁ・・・・・・・」

「どうしたの?ずいぶんうなされてたみたいだけど・・・・・」

母さんが心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。


「はぁ、いやっ、・・・・・・ちょっと夢見てた、だけ」

「そう。でも今日から商店街のお祭りなんでしょ?

あんた大切なイベントに参加するからって今日は早起きするんじゃなかったの?」

 

 時計を見て、今日が7月末の三連休、その初日であることを確認する。

何て出足の悪い始まり方なんだ、

 いよいよ、今日から稲ヶ崎フェスティバルが始まるってのに・・・・・。


 時計はもうすぐ九時を指すところだった。予定より一時間も遅れていたことで、

俺は急いで準備に取り掛かる。

 しかしいつぶりだろう、母さんに起こされて目覚めるなんて。

LRに通いだしてからは無かったはず。と目の前で朝食を用意してくれている姿を眺めながらぼんやり考える。

 寝坊したこともそうだし、部屋に入った母さんにうわごとを聞かれていたことと言い、気恥ずかしくて大事なイベントを前にした男にとっては幸先が悪い。


「・・・・で、ライトはお祭りで何するの?藤間マートの出店かなんか手伝うわけ?」

「うん、まあ少し。でも俺が出るイベントは明日が本番だから」

 母さんに返事をしながら明日の明宮との対決のことを思い浮かべるが、

そのことを考える余裕は今の俺の頭の中にはほとんどなかった。

寝過ごしたのも、ああいう夢を見たのも、今日に向けた意気込みから

ひたすらベッドの上で会話をシミュレーションしすぎたせいなのだろうか?


 さっき見た悪夢と呼べる情景を思い返すと、その内容があまりに何かを

示唆しているようで不安が込み上げてくる。

 だが、明宮との試合を前により心を強く後押ししてくれる存在が欲しかった。

たとえこの勝負の結果がどうなろうとも、そばで見守ってくれて、

喜びも悲しみも共に支分かち合える、そんな存在が。


 テーブルに並んだサラダと食パンを強引に口へと放り込みながら今日の予定を頭の中で反芻させる。

「あのさぁ、うんと母さん。明日のイベントの準備で今から出かけるんだけど、

そのままの流れで、今日は友達と会う約束してるから晩御飯はいらない」

「うん、分かった~」

「あと実はさ、明日の商店街のイベントって、俺が明宮と野球で対決することなんだ」

「うん分かった~ってえっ今何て、明宮くんって言った?あっ明宮くんと

野球って、あんたらそんな仲良かったの!?」

 テレビを眺めていた母さんは、少し間を開けてから明宮という言葉に反応し、

その真偽を確かめるような姿勢だったので、俺は代わりとばかりにイベントのチラシを渡して見せる。


「えっ対決って、はぁ?ちょっとライト本当にイベントってこれのことなのぉ!?

何をあんた、勝手にこんなことやって許可されるわけないでしょうが!」

「ははっ許可されたからやるんだよ。商店街にも学校の友達にも、色んな人に応援してもらってんだ。だから母さんも、明日観にきてくれていいんだぜ」

 急に伝えられたことで、イマイチ事態が飲み込めていない母さんの姿に若干の罪悪感を感じながらも、親の前でいつもと変わらぬイキったガキを装うために、あえて調子よく振舞った。



 事前に伝えられていた時間より少し遅れたことで、俺は申し訳の無さを顔に演出しながら藤間マートの前までそーっと近づいていく。

店先には軽ワゴン車が止まっており、その後ろには既に十個ほどのダンボール箱が置かれていた。


 商店街のイベントへの参加を急遽決めた藤間マートには、

その主だった役割として子供向けの会場に出店する屋台や、遊技場への商品補充という仕事が与えられていた。


 そのための商品の運搬作業を手伝ってくれという沙月さんからのお達しにより、

バイトの1号と2号である俺とレイは、こうして三連休の朝から店へと駆け付けていることになったのだ。


 並べられた荷物を見ると既に店の中での仕事は大方片付いているようで

眉尻を下げた表情で車まで近付いてみると、ウインドウを開けて顔を出した沙月さんが素直に俺の到着を笑顔で迎えてくれた。


「おおっ良かったー頼田くん来てくれて、フッフーこれから荷物積み込むところなんだよ」

「はっはあすいません。ちょっと寝過ごしまして」

 快く迎えてもらったことでせめて車への積み込みは全てやったろうじゃんと気合入れて後ろに回ると、

「ったく頼田遅いっての。ほら、まだ運ぶのけっこうあるから、

ドンドン積んじゃって」

ダンボール箱を抱えて店から姿を現したレイに出くわし、そのまま抱えていた箱を渡される。ドスン!ドスン!と上に3箱。

 ただ中を見るとどうやらお菓子類のようであり、重量はさほど感じず、

むしろ俺に残されていた役割に存分に応えるべく心地よく体を働かせる。


「ふぅ、いや~終わったよー。お疲れさ~んありがと、ハイこれお礼ね」

 小一時間ほどかけて車への積み込み作業をやり終えると、俺とレイにジュースを数本渡してすぐに沙月さんは車を発進させ行ってしまった。


「なあ、沙月さんって運転なんかして大丈夫なのかな?」

 もらったジュースを飲みながらレイと話す。

まさかこれが今日の給料なんじゃないだろうな?という不安感を抱きながら。


「はあ?当たり前でしょ。一応こうしてお店だってやってんだし。あんた沙月さんのことどういう風に思ってるわけ?」

「いやまあアレだ、サポートしてあげたいなって美人だし」

「バーカ、アンタそればっかじゃない?・・・・・ふん、そんなんだったら、

もらったコレもうあげるの止めようかな?」


 ニヤリとした笑みを浮かべながらレイが示す封筒を見て、

すぐにそれが金品だと確信した俺は、嬉しさを隠語を使ってとぼけてみせる。

「えっなになにそれ?おまんじゅう?」

「うっざ。どうやって封筒におまんじゅう詰め込むのよ。

ほらっコレはお給料だってさ、今日と明日の分のだね」

 手渡された中身にはなんと五千円も入っていて、俺は沙月さんとおっちゃんの

顔を思い浮かべて、感謝の言葉を祈る様に二度伝えた。


「ところで頼田、この後どうするの?お祭りとか行ってみるの・・・?」

「うん、あとで盛川と・・・・・・・」

 何気なく聞いたであろうレイの誘い文句に、お金に気を取られていた俺は

つい無意識に返答をして、しまったという思いがすぐ頭によぎった。

「えっユメと?アンタたち今日遊ぶ約束なんてしてたんだ・・・・・」

「いやっまあそうだけど、その前に玉野とも会う予定もあるし」

 何も間違ったことは言っていないが、少し悲しそうな表情のレイを見て、俺は後ろめたさを感じてしまう。


「そっそっか~、二人でお祭り行くんだよね?へぇ~良かったじゃん」

 勘が鋭いレイなら女心に何か感じ取っているに違いない、

二人でイベントごとに参加するという意味を。

「あっじゃあレイも良かったら来るか・・・・・・」

 なのにどうして俺は、こんな安易な思い付きで神経を逆撫でするようなことを言っちゃうんだろうか。

「何で?なんでそんなこと言うのよ、バカッ!行くわけないじゃん!

ウチがそんな・・・・・楽しくもないし!」


 顔を紅潮させて目にはうっすら涙を浮かべていたレイは、怒りを吐き出すとそのまま去っていってしまった。

その光景に朝に見た悪夢の情景が重なり、予知夢が一歩現実になったような悪い予感がした。



 予定通り昼に玉野と落ちあうと、明日の打ち合わせをしながら

縁起を担いでカツ丼というベタなメニューの昼食をとった。

その時に明日の試合でキャッチャー役を努めるという好青年を紹介されたが、

失礼ながら俺はその人の名前もよく思い出せないほど上の空で、

その後の予定のことばかり考えながら、ただ黙々と箸を動かしていた。


 そのことを食事の後に玉野に心配されたが、適当に受け流したことでまた怒られ、これでは悪夢の再現により本当に近付いてしまっているではないかと不安な気分が何度も頭をもたげる。


 ただせめてこれだけはと、準備のために一度家へ帰り、

夏らしい色遣いを意識したパステルカラーのコーディネートで気持ちを切り替えると、遅れないように早めに彼女との待ち合わせの場所へ向かった。



 夕暮れ時というにはまだずいぶん日が明るく、時間も少しあったので

俺は前もっていくつかの出店をチェックして回りながら、待ち合わせ場所の

人であふれるイベント会場の中を歩く。

 やがて現れた彼女の姿は、この明るさや恋する者特有の偏光グラスを通して見るまでもなく、はっきりと輝いて見えた。


 「おーい盛川、こっちー」

 声に気付いた盛川は、少し気恥ずかしそうにしながらゆっくりと近付いてくる。

ややおぼつかない足取りに居てもたってもいられなくなった俺は、

この近い距離を駆け足で迎えに行く。


「ふふっ、やっぱ慣れないもの着ちゃいけないね。めっちゃ歩きにくい」

 淡い紫色の浴衣を着て、髪を上げた盛川はいつもよりずいぶん大人っぽく見えて俺は感情のときめきがおさえきれずにチープな表現力でごまかす。

「いや、めっちゃ似合ってるよ。うん!すっごい素敵だ。ビューティフォーだ!」

「ありがと。でもあんま言い過ぎると逆に嘘くさいよ。まあその表情を見たら、

なんとなく気持ちは伝わってくるけどね」


 そしていつも通り盛川の右側へ回ってその手を握ると、二人横に並びながら連れ立って歩き始める。

ふと見た彼女の足元には、いつもと違って白い足袋と下駄が履かれていて、

ずいぶん無理させたのかな?という感謝の思いが込み上げてきた。

「あっこの下駄ね、実は脚の裏に引っつけてんの。フフッ笑えるでしょ」

「そっそうなんだ。ははっ」

「じゃあさ、とりあえず向こうの方に行ってみない?なんか美味そうなのあったから見に行こうよ!ねぇ今日はライトがもてなしてくれるんでしょ?さあっ!」

 自虐ネタを言うなんて、無理して明るく振舞っているようにも見える盛川は、

珍しく自らが先に立って手を引っ張り、俺はそのぎこちないバランスをとる様についていく。 

 その手はいつもよりじんわりと汗でにじんでいて、どことなく不安感が感じ取れた。


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