第28話 病気と呼ばれる個性

 親父さんのいるテーブルで向かいの席に着くと、お店のマスターが注文を聞きにやってきた。

「頼田くんえらい汗かいとるなー。喉乾いてるやろ?とりあえずなんか飲み物頼み」

そう勧めてくれるおじさんの好意にぜひあずかろうと、実際ノドが超絶うるおいを

欲していた俺は、爽快炭酸系のジュースを頼もうとメニューを眺めてそれっぽいものを注文する。

「えっと、じゃあ俺レモンサワーで」

「ぷっ!ハッハッハハハハ!!」

 注文を聞いた途端おっちゃんは飲んでいたものを噴き出し、

店のマスターと共に大笑いしていた。


「ハッハッハッ、頼田くん。そりゃ君にはまだ早いわ。それお酒やで。」

「げっ!マジっすか!?」

 てっきりこの店は喫茶店だと思っていた俺は、酒類が置いているという認識が

そもそもなく、何となくジュースっぽいものを注文して赤っ恥をかいてしまったようだ。

 そう言えばそんなお酒もあったかな~?と足りない知識で考えても、

今はもう照れ隠しの苦笑いを浮かべるほかなかった。


「いやそんな気にすることやないで。ただ知らんかっただけやからな、しゃーない。またいずれ君と飲める時が来るのをおっちゃん楽しみにしとくわ」

かいた恥よりもおじさんが大ウケしてくれた嬉しさが上回り、俺は代わりに頼んだジンジャーエールをくびくびっと一気に飲み干した。


 おじさんの合図で二杯目のグラスが俺の元へやって来ると、少し落ち着いた口調でおじさんは話し始める。

「頼田くんありがとうな。まず礼から言わせてくれ。

沙月一人で大変な店手伝ってくれて。ホンマワシは助かっとる」

「いや、そんな元々受け入れてもらったのは俺の方ですし」

 こんなに年上の人から率直な感謝の言葉をもらったことがない俺は、嬉しさよりはどこか困惑した気持ちになってしまう。


「ホンマはワシが沙月をもう少しそばで支えてやりたいと思ってたんやけどな。

身体が思うようにいかんでな。沙月から聞いてるんやろ、ワシの病気のこと?」

「・・・・あっえ~っと、ハイ聞いてます」

「そうか・・・・・。アイツのことやからハッキリ遠慮なく言いよったんやろうな。

 悲しみと嬉しさが入り混じったような笑みを浮かべながら、

おじさんは病気と沙月さんについて語り始める。


「もって今年いっぱいやろうと、医者からは言われとる。

肺ガンでな、もう手の施しようがないらしいわ。・・・・・こんな話、ふつうは他人にするもんちゃうんやろうな。でも頼田くん悪いけど聞くだけ聞いたってくれるか?」

「ええもちろん。全然聞きますし・・・・・・。」

 落ちくぼんだ目つきをしたおっちゃんの話しぶりからは得も言われぬ焦燥感のようなものが感じられた。

沙月さんの言っていた病気の話はもしかしたらウソなんじゃないかと想像したこともあったが、こうして以前とは違って明らかにやせ細ったおじさんの姿が、その真実味を物語っているように感じられた。


「自分の身体のことははっきり言ってワシはもうしゃーない思っとる。

治療もやめとるしな。ただアイツ、沙月のことを考えるとどうにも・・・・。

一人でおいていくには不安で」

「沙月さんがそんなに心配ですか?俺が言うのもなんですけど、しっかり店の仕事はやってると思いますけど・・・・・」

 アイスコーヒーのグラスにずっと手を当てたまま、話をするのをためらっているようにおじさんは俯き考え込んでいる。

「まあな。アイツももういい歳した大人やから、ワシがこんな風に気にするのもおかしく見えるかもしれんけど・・・・・、頼田くんは沙月のことにどのくらい気付いとる?」

「えっと、沙月さんのことってのはつまり?」

 彼女の変わりっぷりについては俺も何度か思うところはあったが、

この場は下手な考えを晒すより、親父さんに実情を語ってもらった方がいいと話の先を促す。


「実はな、アイツ沙月のはちょっとしたアレ、病気っていうかな、

自閉症の一種で発達障害ってやつなんや。・・・・・・まあよう分からんわな。

簡単に言えば人の心を察する能力に欠けるというか人との距離感が全く掴めん子でな、平気で人の嫌がるとこ突っ込んでいったり逆に閉じこもったりすることがようあって、

ホンマ難儀な性格、ワシはずっと性格やと思ってたんやけど」

「俺も、単に性格だと思ってました。たまに見せる沙月さんの傲慢さは」

さすがに親だけあって、沙月さんのことを思いやりながら語る姿勢に俺も安心して意見を述べる。


「ふっ、なんや頼田くんも少しは気付いてくれとったんやな。安心したで。

沙月は昔っから人付き合いがホンマ苦手でなー、しょっちゅう揉め事起こしてたんやで。

そのことでウチの、もう亡くなってもうたけど生前の女房ともよう言い争ってたわー」

「なんとなく分かります。・・・・・でもそれが病気だとして何か大きな問題があるんですか?一応沙月さんはお店の営業もやれてるわけですし」


 君の言いたいことはよく分かるとでも言いたげに、おじさんはウンウンとうなずきながら、今度はためらいがちに俺のバイトのことに話を伸ばしてきた。

「ほうやな。ところで頼田くん店でのバイトはどうや、楽しくやっとるか?

もう一人女の子も手伝いに入ってくれてるらしいやんか?」

「あっハイ。レイっていう今同じ学校に通ってる子なんですけど、まあ最近はすれ違い気味ですけど、それぞれが沙月さんから頼まれた日にバイトに入ってるって感じですかね、まあ楽しいっすよ」

「はあ~頼まれた日って。やっぱり沙月は君らのシフトもまともに組んでないんか?そんなんでホンマ君らは我慢してようやってくれてるわ、改めて感謝するで」

「いやまあそんな大したことじゃないですし。本当沙月さんの気になるところってさっき言ったみたいに、たまにわがままな言動をする程度のもんですんで、

おじさんの気にするほどのことじゃないですって」

 実際沙月さんの行動がある種の病気だとしても、そのことで実害を受けているわけではないし、受け入れてくれた感謝もあったから、おじさんの心配は過剰であるよ。と俺は伝えたかった。


「ほうか、ただな確認しておきたいんやけど、頼田くんはしっかりお金の方はもらっとんのか?その後ろのデカいバッグ、今日キミは学校の課題でここ来た言うてたよな?その割にはついでに配達のバイトまでやってんのとちゃうか?

なんや君はバイト何個も掛け持ちせなアカンほど金が要る状況なんちゃうか?」

 おっちゃんの言葉により骨身に染み渡った今日の苦労が頭の中に蘇ってくる。

あまりにあっさりと現状を見抜かれてしまっているという思いから、なかなか二の句が継げなかった。


「・・・・・ええっとコレはまあ、学費を自分で賄うためにお金がいるのは確かですけど、そのことは俺の選んだ選択で自分の責任でやってることなんで、藤間マートでのバイトとは関係ないです」

「まあキミはそう考えてるかもしれんけどな、あのなワシは一応藤間マートの経営者でもあるんやで。だから聞くけど、頼田くんは先月沙月から一体なんぼ給料もらったんや?」

 給料の額はすぐに頭に浮かんだが、前々から意識しつつあったその少なさを、

沙月さんの性格面とリンクさせてしまうことにはためらいが生じて言いづらく感じる。


「・・・・・・えっと先月は、三万ぐらいです」

「週何回、何時間働いてや?」

「だいたい週3ペースで、50時間ぐらいですかね」

「ふっ、やっぱりな。沙月の感覚では君ら学生に払う給料は小遣い程度でいいと

思ってる証拠やでそれは!アカンでそれは、ちゃんと言わな!」

 沙月さんの行いを詫びているというよりは、何だか俺が怒られているみたいな状況に平身低頭していると、おっちゃんが突然バッグから封筒を取り出し差し出してきた。

「えっ何ですかこれ?」

「金やがなもちろん。それは頼田くんが正当にもらう権利がある金やから気にせず受け取ってや。ほい、あとコレはレイって子の分やから、すまんけど頼田くんから渡しといてくれるか?」

 そう言っておじさんは、二つの封筒をテーブルの上に並べ置いた。


 俺は恐る恐る自分に渡された分を手に取り確認してみると、

なんと中には万札が五枚も入っているではないか!

「いやいや五万て、何で!?俺こんなもらえるほど働いてませんよ!?」

「頼田くん、そんな謙遜せんでいい。それは君らが受け取るべき正当な対価なんやから。

もう一方にも同じ額入れとる。逆にワシはそれでもまだ少ないと思ってるぐらいなんやで、何か月も三万ぽっちで頑張ってたなんて考えると、ホンマ申し訳ない」


 これだけの金額を渡してもなお詫びてくる姿勢を見ると、このお札は有難く頂戴するべきものなんだろうなと判断したが、まだイマイチ俺には沙月さんの病気といわれるものとの関連が見えにくかった。


「えっとじゃあコレは有難く頂きます。・・・・・けど、

俺はまだよく分からないんですけど、沙月さんは意識的に低い額を渡してたってことじゃないですよね?

その、具体的に沙月さんにどんな性質的な問題があって、俺たちの給料が抑えられてたって言うんですか?」


「まあそやな、君らはまだ社会経験も浅いから見えづらい部分もあるかもしれんな。

沙月はな、社会の法律やルールなんかよりも自分の考えっちゅうか決めごとを優先してしまう性質があるんや、それも頑なにや。

頼田くんらは最低賃金より低い金額で働いてたワケやけど、多分沙月にとってその額は自分の経験や記憶に基づいてよかれと判断した額やったんやろうな」

 何も知らなかったが故に、それまでキレイに彩られていたはずの思い出にわずかでもにじみが生じてくるのは耐え難く感じた。


「それでも・・・・・、学生である俺たち的には沙月さんたちと一緒に仕事が出来て、お金がもらえたこと自体がすごくうれしかったんです。

だから、そんなお金のことぐらいで沙月さんへの見方が変わることは俺、無いと思っています。」

「ああそうや。その通りやで。ワシも頼田くんたちには沙月とはこれまで通りの

対等な付き合いを続けていってほしいと思ってる。給料のことはワシの方からしっかりなんぼ払うようにと伝えておくから・・・・・・」

 苦笑いを浮かべたおじさんの表情がひどく悲し気で、気を使わせている俺が

何かもう一声かけるべきではないかと、言葉も見つからない自分に腹が立った。



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