第26話 敵を見て自分を知る

 静かに構えに入る明宮。

さっきから一言も発さずに目の前のボールをじっと眺めている。

彼なりに感じるものがあったのだろう。


先ほど同様に明宮は頭上でバットをクルっと回すルーティンに入るが、雨に濡れる俺はそれを待つでもなく脚を上げて投球動作に入る。


 打席の彼が顔をこっちに向けた時にはすでにボールを離す寸前で、指を弾く瞬間に絶対に打てないと思った。

明宮がバットを振るための予備動作、いわば矢を放つためバットを軽く後ろに引く、弓の動作が出来ていないことを見て取れたからだ。

 

バシィン!とミットに球が突き刺さる瞬間、やはり明宮は手が出せずにボールが過ぎ去るのを構えのまま見送っていた。


「す、ストライクです・・・・」

 玉野が入っていることを伝えても、明宮はピクリとも動かず、俺にボールが返されてようやく構えを解いて一息つく。

そしてすぐにバットを握り直すと、今度はお決まりのはずのルーティンもやらずにそのまま構えに入った。

 

 彼なりの強い変化への意思を感じ、俺もより力強いボールを投げようと反動をつけるため腕を頭上に振りかぶる。

 脚を上げながら腕を後ろに引いていき、身体の連動性を意識しながら脚を踏み込むと同時に、ムチのように体に巻き付けた腕を解き放つ。

 

 ピシッ!と指先が擦れる音がして、ボールは発射される。

自分でも驚くほどの加速度のついた球が、うなりを上げて地面を真っ直ぐ切り裂き、瞬時に玉野の構えるミットを貫いていた。


 また、明宮は手を出さずに呆然と見送った。

「すっスゴすぎる・・・・・ど真ん中、ストライクです」

 伝えられてもやはり明宮はじっと固まったまま動かない。

というよりは今のは目で追えていたかも怪しい。それぐらい表情がこわばっているのがマウンドからでも見て取れた。


 これでツーストライク。実際の勝負なら次で終わりだろう。


 明宮の後遺症とやらの深刻さを感じ取った俺は、最後の球はあえてインコースで勝負してみることにする。

以前のノーコンの俺ならとても無理だが、この理に適ったサイドスローからの投げ方なら、ほとんど狙い近辺に投げられる自信があったからだ。

 

 そしてその方が、きっと明宮のためにもなる。

このまま漠然と速い球を見せ続けても、明宮はその恐怖心からタイミングがとれず、おそらく球を見送るだけに終始するだろう。

それならいっそ身体付近にボールを投げ込んで、ギリギリの肌感覚で対応させた方が回復の役には立つんじゃないだろうか?

 

 もう一回当ててくれと言っていたのは、冗談じゃなく案外本音だったのかもな。

わざわざ俺をここに呼んだ明宮の意思は固いようだし、俺にはそれに応える責任がある。

 恐怖を塗り替えるために新たな恐怖に対応してもらおうじゃないか・・・・。


 息を大きく吸いながら、集中して構えを解かない明宮の胸元付近を強く意識した。

動きから何か感じ取ったのか、玉野も構える位置を少しインコース側にずらす。

再び腕を振りかぶり、絶対に当てることのないように腕を少しずつゆっくりと引いていき、

 ≪大丈夫、八割程度でいい≫

そう念じながら玉野の構えるミットと明宮の胸付近の空白を目印にして、

身体を回転させて腕からボールを解き放つ!


 投げた瞬間、まずい当たるかもしれない!という意識が脳裏に走ったが、

真っ直ぐ明宮目がけて進んでいくボールの、ゼロコンマ数秒後の結末を、

息をのんで見守るしかなかった。


 次の瞬間、明宮は自分の体に当たりそうなボールにアクションを起こす。

インコースギリギリのボールに対応するため肘を畳み、半ば強引にスウィングを仕掛けにいった。

ボールがバットのグリップエンドに近付いていくと、それぞれが描く軌道が重なったように見えた。


 がしかし、

ブウンッ!と空気を切り裂くスウィング音と共に、ボールはあえなくミットに収まっていた。

 ・・・・・無理もない。おそらくとっさの反応で恐怖を拭いきれなかったのだろう、明宮は目をつむったままスウィングをしていたのだから。


「スリーストライク、です・・・・・けど、今のスウィング自体は良かったと思いますよ」

 沈む明宮に対し玉野が冷静にアドバイスを返す。

実際俺も同意見で、ボールを見ていないのはともかくタイミングとしては悪くないと感じた。


 

 勝負に一定の決着を得たところで集中が解けたのか明宮は、ここでようやく口を開く。

「ふっ無様だな。ボールを目で追うこともできないなんて、はっハハハハハ」


 自嘲気味の言葉を漏らす明宮に対し、俺はマウンドを降りてねぎらいの言葉をかけに行く。

「そんな、最後の厳しいコースに対応しようとしたことは、まだ兆しがあると思うぞ」

近付くと、顔を背け気が抜けたような表情をしているのが気にかかり、

玉野も同様に心配したのだろう、タオルを明宮にかけながら再びアドバイスを渡すが・・・・。

「そうです、復帰に向けた最初のステップとしては上々だと思いますよ。

速いボールに徐々に感覚を慣らしていけば、いずれ・・・・・・・、」


「気休めを言うな!お前らだって見てただろう、今のオレの酷いスウィングを。

・・・・・はやすぎて、恐怖で、とてもじゃないが打てる気がしなかった。

今の水準のボールへ対応することが復帰へのステップだというのなら、もう諦めた方がいいのかもな」

 

 ここへ来た時とはまるで別人の、怯えに満ちた顔つきの明宮には何を言っても通らないように感じた。

 

 それでも玉野はくじけてしまった明宮のメンタル面を何とか言葉で盛り立てようとする。

「それは時期尚早で言い過ぎですよ明宮くん。言っときますけど、ライトくんの球は超一線級で、対応しようとする意志が見れただけでも今日は良かったんです。そしてキミの長打力もまた一級品なんですよ、スウィングさえ見せればそれは可能性です。ボクが見込んだ人なんだから間違いありません!」


「フッ、今となっては冗談にしか聞こえないよ」

「これはまだ最初のステップで、打席に立ち続けて今のボールにタイミングを取れるようになった時には、きっととてつもない選手として復活することが出来るんですよ。それはキミほどの選手だったら薄々感じているはず」

「だから気休めはやめろって」

「気休めじゃないですよ、成果はありました。ケガ以降130キロの球にもてこずっていたアナタが、ライトくん渾身の150キロの球にも確実にタイミングを合わせにいけていたんで・・・・・なんなら映像で確認してみましょうか?」

「いいからもうやめろって!!」


 努めて冷静に玉野の話を受け流していた明宮が耐えきれないとばかりに、ついに感情を表に吐きだした。

「お前らに何が分かるって言うんだっ!オレが今どんな恐怖心と戦っているか分かりもしないくせに、簡単に出来る出来る言うんじゃねぇよ!

・・・・・ホントに怖いんだよ、怖くてボールが頭に迫ってくると思うと、腕が縮こまって、まともにスウィングできないんだ・・・・うっクソがっ」


「明宮くん、すいません僕が軽々しく言ったせいで追い詰めてしまいましたね。あっあのだから今度はもっと順序立てて、恐怖感を取り除くための練習ステップを説明させてください、お願いします」

 ショックで何も声がかけれずにいる俺をよそ目に、玉野がゆっくりと穏やかな口調で話すことで徐々に明宮も落ち着きを取り戻していった。


「ふぅ~すまん。だけどオレが一番よく分かるんだよ。もうダメだってことにさ。あんなスゴイボール見せられて何かしら変化があるだろうってことで、試練を与えてくれたつもりだったんだろうが、結果的に引導を渡されることになったな。・・・・・それでもまあ、ありがとう玉野、新しいおもちゃを見せてくれて」

 皮肉を込めた礼を言った時に、ようやく明宮がこっちを向いた。

その笑いとも泣きとも判断のつかない顔に、悲しさが込み上げる。

 元気に野球を続けてくれていることを期待してここに来たはずだったのに、

なのに、目の前の明宮が告げる現実はほとんど思い描く最悪のビジョンになっていた。


「本当にいいんですか?僕は全然諦めてませんよ。

だって言ったようにまだプランの第一段階終えたに過ぎないんですから。これから徐々にステップを踏んで確実にキミを元のレベル、いやそれ以上に高めてみせる自信があるんですよ!」

「・・・・はあ、せっかくだけどそれらはすべて白紙だ。オレが野球を続けるという前提がなくなったんだからなあ。さあ、こんな雨の中来てもらってて悪いんだが、今日はもう帰ってくれ。オレもお前たちもほかに色々考えたいこともあるだろう」

「こっ・・・・・・」


 まだ少し何か言おうとしたのを止めて、玉野は片付けに取り掛かる。

さっきから何も言えずにただボーっとそれを眺めていた俺に対し、明宮からの捨て台詞がこぼされた。

「頼田、それほどの強肩でもってオレを潰してくれた男として、ぜひとも野球は続けてほしいもんだな、ハハハハいずれ・・・・、いやいい。せいぜい頑張ってくれ」


 雨に濡れて重たい身体を引きずるように、トボトボと俺たちは練習場を出ていく。

「じゃあ帰ろっかライトくん。また送ってくれるって」

「あっ、ああ・・・・」

 帰り際、雨の中で立ち尽くしている明宮の姿を見ると、その手にはまだバットが握られていた。その姿に俺は執念のようなものを感じ、そうした姿勢をとっているってことは、まだ意思はあるんだよな?と、心の中で問いかけながらその場を去った。



「このバカっ!」

「アホんだら!バカんだら!」

 送迎の車に乗り込む際の双子からの罵声を、明宮家からの別れの挨拶と受け取りつつ、俺たちは邸宅を追い出される。



「いや~予想通り」

「はあ?何が」

帰りの車の中で意外に明るい玉野が、めげてませんよ。と声をかけてきた。

「こりゃ打てないぞって思ってもらうことがだよ。今日の狙いは現状認識だったからね」

「じゃあ全く打てなくて良かったって言うのか?もう野球辞めるみたいなことになってたけど」

「ライトくんはあの姿見て辞めると思った~?」


 そう言うってことは 玉野も俺と同じく明宮の姿にまだ未練を感じ取っているということか?同意見と感じ、思った通りに話す。

「いや分からないけど、まだ何となく踏ん切りはついてないように見えたかな?」

「だよね。大丈夫、明宮くんは執念深いし。一度絶望の底に落ちなきゃ見えないこともあるって。ライトくんだってそうだったんでしょ?」

 真逆の立場だったはずの俺と明宮が、ここに至って同列に扱われていることに不思議な想いがする。


「まあ俺の場合は完全にミスった自分が悪いんだけど、明宮の場合もらい事故だからなあ、それが結果的に底まで落とされるって納得いかないと思うんだよ」

「だから明宮くんも頑張れるんだよ。ああいうエリートの方が意外にコスいとこあるからね。転んでもきっとただでは起きないよ、ライトくんも覚悟しといたほうがいい」

「・・・・・なんだよ、その言い方怖いなあ。あと運転手さん聞いてるから」

声を潜めながらチラッと運転手さんの方を窺うと、ニッコリ笑みを見せてくれた大人な対応にホッとする。


「現状見せられる最高のボールを見て打ちひしがれると同時に、どう対処すればいいか彼なりにイメージも出来たはずだし、とりあえずはそれでいいんです。

彼は必死に練習すると思いますよ。そうなれば作戦通りなんですけどね、フフフ」

 玉野が説明する明宮再生へのプランはやや後付けのようにも感じたが、

真剣な表情で真っ直ぐ前を見据えて話す態度に、何となく納得感を得られて俺はうなずく。

「そっか、だよな。何となくアイツは異常な執着心がある感じだから 今頃必死に対策練ってそうだな。3キロぐらいの重りつけて素振りしてるかも」

「うん、またいずれ、明宮くんとの対決の場は用意するから。それまでちゃんと練習しててよ」

「ああ」

 

 皮肉な運命を呪いもせず、ひたむきに俺もアイツも頑張ってるんじゃないかと、

にこやかな表情で計画を語る玉野に安心感を得られた俺は、それ以上何も言わずに弾力のあるシートに身を委ねた。

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