第12話 過去との訣別

 商店街に近付いて人通りもだいぶ増えてきた道の隅っこで、突然レイが俺の袖を引っぱり小声で呼び止めてきた。

「ねぇ頼田、ちょっと」

 沙月さんはもう大丈夫そうだから、俺らもそろそろ帰ろうとでも言われるのかと思ったが違った。

 どうやら彼女なりに不穏な気配を察知し、俺に知らせるために呼び止めたようだ。


≪おいあれって頼田・・・・・?≫

≪げっ、アレってマッドネス頼田じゃん・・・≫

≪うわ~頼田何だよアイツ・・・・マジかよ≫

 気付くと通りの反対側から俺の方を指さし、コチラにアピールするように騒いでいる集団がいることに気付く。


「ねぇアレって何だろう、頼田の知り合い?何かアイツらめっちゃ絡んでこようとしてるよねーヤバくない?あんた逃げた方が良いかもね」


『おーい頼田―!てめぇ何してんだよ?コラァ!』

『女連れで遊んでるとは、ったくよー調子いいやつだぜ!≫

≪俺らがお前のおかげでどんだけ苦しんだと思ってんだよ!まじムカつく!』


「・・・・・いやっ、アレは・・・・・」

数か月前の責められ続けていた頃の苦い感情が蘇ってくる。

俺はまだ、彼らとのケジメをつけられているわけではなかったから・・・・・。


 道を通してコチラと向かい合い、罵声を浴びせてきているのは数か月の間、共に汗を流し合ったかつての仲間・・・・・・・。

 見紛うはずもない、豊鳴館高校野球部の面々だった。


『てめぇコラ、まず謝れよ俺らに、遊び歩くのはそれからだろうが!』

かつての先輩が怒鳴り散らしてくる。野球部時代そんな人とは思ってなかった。

『頼田く~ん、迷惑かけた皆に、きちっと謝ってから部は辞めましょうね~。ギャハハハ!』 

 笑顔の引きつった同級生が罵ってくる。


 彼らが言っているのは理不尽そのものだ。

確かに、甲子園で俺はヒドいプレーをやらかしたかもしれない。ただその後、部に戻ろうとしたのにその扉を完全に閉ざし、謝罪どころか対話の糸口さえ全くつかませてもくれなかったのは彼らの方じゃないか?

 半ば追い出される形で俺は、野球部も学校も辞める羽目になったんだ!

なのに、今になってまた追い詰めようって言うのかこいつらは・・・・・?


「ねぇもう逃げようよ頼田。あんなのに関わるとロクなことになんないって!ねっ?」

「いやっ、ゴメンだけどレイ。俺・・・・・、アイツらのことは許せそうにない」

 

 レイが腕を掴んで抑え必死に自制を促してくれてることは分かっていたが、虫のいい振舞いを見せてくるかつてのチームメイトたちへの怒りや恨みに似た感情が、全身から収まりようもなく湧き起こっていた。

 手と足はワナワナと震え、もうこの思いの丈を奴らに吐き出さずにはいられないほどに俺は憤ってしまっている。


「やっ!もうっやめなって頼田!」

 俺はしがみつくレイを払いのけると、車が通るのも気にせず道路を渡って彼らに近付く。

「おいっ何だコイツ来るぜ!やんのか?え~こらオオッ!」

「こいよ!ほらっ来てみろよ、先輩に手ぇ出せるなら、やっ、やってみろや!」

拳にグッと力を込め、まずその照準を一人に絞った・・・・・・!

 

その刹那

「おまえらぁぁぁーやめんかあぁぁぁぁ!!!!」

場を支配する圧倒的な声量のかけ声が、周辺に響き渡った。


「・・・・・・・・・・・・・・!!」

俺と野球部との間の諍いだけでなく、先ほどまで付近にあった人々による喧騒の雰囲気そのものが、その一声によって即座に吹き飛び、辺り一帯は沈黙に包まれた。


 俺とかつての仲間たちとの間に割って入るように立っていたその声の主は、

かつての憧れでありメンター、野球部キャプテンその人だった。

「よぉ頼田、久しいな」

張りのある低音ボイスが俺の胸を衝く。問答無用でせき止められてしまった感情が、やるせない気持ちとなって込み上げてくる。


「きゃぷ、てん・・・・」

「すまんな頼田、こいつらが騒いでることに気付くのが遅れた」

 部を代表する存在のキャプテンに謝られてしまったら、俺はもう、感情に任せて向けた矛の根元を抑えられてしまったに等しい。


「許してくれ、こいつ等もあの件があったことで色々と活動を制限されてな、うっぷんが溜まっていたんだろう」

「そんな、無茶苦茶な。だって・・・・俺だって」


 野球部時代は挨拶を除き、話する機会なんて到底考えられなかったキャプテンと、

こうして面と向かって対峙しなければならない状況に困惑していた。

 みっともなく挑発に乗ってぶつけようとした怒りの感情は、もうどこを彷徨っているのか。真摯さを武器に向かい合う相手に、感情のみで動いた俺が何をどう言えばいいのか。

 もはや置き換える言葉らしいものが見つからなかった。


「こいつらが・・・・・、俺のことをバカにしやがったから、だから・・・」

もう一度感情が奮い起こせないかと、俺のことを罵っていた部員たちを睨みつけるが、さっきまで散々喚き散らしていた部員たちの態度が一転殊勝なものに変わって

キャプテンの背後でじっとその言葉に耳を傾けている。  


「頼田、俺たちは元々同じ目標を志した同志だろう?だからお前が辛い思いをしたことは痛いほどよく分かっている」

「だったら何であんな!」

「だからだ頼田、俺たちもそうだったからだ。散々批判を受け辛い思いをしてきた、ここにいる皆がだ。俺は主将として何度も頭を下げた。みんなもそうだしお前もそうだ。だからもう止めにしよう、そう言っている。お前のことをあざけったことは確かにコイツらに非がある。そのことに関しては謝る、頼田すまん」

「そんな・・・・、すまんなんて言葉で」


 俺だけじゃない、ここにいる皆が同じ思いをしていたとそうキャプテンは言っているが、じゃあ何で、こいつ等との間にこんなに感情の齟齬が生まれ、俺だけが

排除されなきゃいけなかったんだ・・・・・!

 頭を巡らせても答えが見つからない。


「ともかく、お前はもう野球部を去った元部員の一人だ。あの件のことは今日をもって全てチャラとしよう。俺たちは今後一切お前に関わらないし、お前ももう俺たちのことを気に病む必要はない。お前はお前で自分の信じる道を進めばいい」

 お前はお前、気に病むな。などと体のいいことは言っているが、これは決定的な俺に対する決別宣言だろう。

 むしろ野球部のみを守ろうというキャプテンの意思が前面に伝わってくる。


「・・・・・ハイ分かりました。今後一切あなた達には関わりません」

 異物となった俺は、集団の意思によって強固に拒絶されている。

そういう社会免疫システムに引っかかったと思えば、無理やり自分を納得させられなくもない。・・・・・仕方がない。

 納得するしか・・・・・仕方がない。


「・・・・・・さようなら」

「おうっ!じゃあな頼田、元気でやれよ!」

この場を仕舞うためのセリフを告げ、俺は元の同志たちに背を向けて去る。


『おいっお前らっ!またくだらんことで揉め事起こしてくれるなよ!これ以上不祥事などで活動停止を食らってしまっては敵わんぞ・・・・・』

 背後からキャプテンの、部員たちを諭す声がはっきりと漏れ伝わってくる。

それは意図したものかは分からないが、俺に向けたダメ押しと感じ取れた。


「頼田・・・・・、よかったケンカになんなくてさ。ホント焦ったよウチ」

「頼田くんケンカするんなら教えてくんなきゃ~、アタシがやってやったのにさ~」

 道の向こうで待ってくれていた二人の顔を見た途端少しホッとして、無理に堰き止めていたやるせない感情が抑えきれずにドクドクと胸から沸き上がってくる。


「うっ・・・・・ううっ・・・うっくうぅぅぅ・・・」

「えっ?何で、頼田!」

「えーっ頼田くんめっちゃ泣いてるし~~!」

 沙月さんが泣き顔を茶化してくるのは気になったが、それでも俺は泣いた。

顔をくしゃくしゃにして、声なき声で泣いた。

こうすることでしか感情のリセットができない、人間特有の現象なのだから。


「おいーてめえら~逃げんなこのクソ坊主どもー!え~コラァ!よくもうちの頼田くんを虐めてくれたな~えぇ!お前たち何かキモいんだよ!何で揃いも揃ってみんな同じ丸刈り頭なんだよ!?え~っコラ!どこのお坊さんだよ!えぇ?少林寺かぁ?コラァ!」

「もうやめてよー沙月さんまで!せっかく収まったのに何でまた刺激するのさー!?」

 俺の止まない嗚咽を見ていた沙月さんが、何故かここにきて沸点マックスとなり、道の反対側で立ち去りつつあった野球部員たちに罵声を浴びせていた。


「うぐっうぅ、沙月さん何でだよ。俺だって元々坊主頭だったんだよぉ。うっ、もういいんだよ・・・・・、プフッ」

「もうっ泣き笑いってバカみたい。アンタのせいなんだからね、沙月さん抑えてよね」


「はい沙月さんもうお店そこなんで、早く帰りましょう・・・・うぅ」

沙月さんの腕を引っ張って連れ戻す。そのもう片方の腕をレイが引っ張って導く。

「レイ・・・・・俺、今日色々あって良かったよ。なんか色々吹っ切れた気がする」

「そっか良かったじゃん」


 お前はお前だ。俺を突き放すために言い放ったであろうキャプテンの言葉が、ここにきてせいせいしたものに感じ取れる。もう気に病む必要はない。

 結果として過去のしがらみから今日俺は解放された。キャプテンが言ったように今後はとことん好きな道を歩むことにしよう。

 おぼろげながら、道はもう視えてきているんだから。

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