第9話 花は咲くころ

 ランニングしながら藤間マートのある商店街へと通ってくる途中には、桜並木で有名な川沿いの道があった。いつもは何気なく過ぎ去る道だが、今日は桜の花のつぼみがいくつか開花しかかっていることに気が付いて目が留まった。

 もう春も近い。こうして咲き誇ろうとする桜の木を見かけると、妙に焦りの感情が沸き立ってくるのを感じてしまう。


 季節は移ろいそれぞれの人たちが新たな人生を歩みだそうとする時期に、学校を逃げ去って以降まだ俺は何をどうすべきか決められていない。

 何物でもない俺という状態が無性に焦燥感を募らせるのだ。

 

 藤間マートでのアルバイトも最近は一人で店番する時間が多かった。


 レイとはここ一瞬間ほど顔を合わせていない。

ともに働いたのは顔を合わせてからの数日だけで、それ以降はレイについては沙月さん経由で話を聞くだけとなっていた。


 友達以上の存在にレイとなれるとかそんな大それた考えはなかったが、短い時間の間にかなり仲良くなれた実感があったから余計に、合えなくなることで切ない気分を味わうことになった。


「レイはね、この春から新しい高校に編入する予定だから、そこからは頼田くんとはシフトとかズレてくるかもとは思うけどさ、まだからさ、それまでの間同じ店の仲間同士仲良くやっていこー」


 現状のレイがどういう状態にあるかなど詳しい事情は特に知らなかったが、沙月さんによるとレイもまた新たな人生の歩みを始めるということで、サポートしてあげたいという気持ちはひしひしと伝わってきた。

 まあそうだろう、ヒマな時間の店番二人をわざわざ同じ時間帯にする必要もなかろうもんだ。

 レイにはレイの人生があってチェルが言えない人生もあって、人知れず何かを抱えていてようやく新たな一歩を踏み出せたのかもしれない。

 素直に彼女の新しい門出を応援したいし、俺自身彼女から触発されてざわめく心理状態をより一層強く開放したがっていると感じている。


「新しい学校か・・・・」

 相変わらず昼過ぎのこの時間帯はお客が少なく、一人で店番を任せてもらえる所以にしても、一人たたずんでいる時間は淋しく物思いに耽ってしまいがちになる。

 俺一人ですら、沙月さんの好意に甘えているだけで実はいらないのでは?と思えてくるほどに。


「お疲れ様、頼田くん。どうよ調子のほどは?」

「あうっ!おっ、帰りなさい沙月さん。ま、今日もボチボチってな感じです」

静けさを切り裂くように、明るい声を響かせた沙月さんが店へと戻ってきた。


 やはり店主の帰還はもちろん俺にもだが、この店全体に対して安心感というかどことなく活気のようなものをもたらしているように感じる。

 その証拠につい先ほどまでは誰もいなかったお客さんが、沙月さんがドアを開けて入ってくるとほぼ同時のタイミングで続いてやってきたではないか・・・・。


「おっつー頼田」

 実際見るとそれはお客さんではなく、お客よりもよっぽど見知った顔で会わせたい顔だった。


「なんだ、れっレイか・・・・。よう久しぶり」

「え?そうでもないんじゃない?つまりそれって、一人で淋しかったよ~てことだね。でしょ?顔に出てる」

 俺の感情なんてバッチリお見通しで当ててきやがるレイチェルのやつ。やっぱり男の扱いに慣れてるとみて間違いないなこのお嬢は。それとも俺が極めて単純なだけか


「ハイハイ、アナタたちがすっかり仲良さそうでホント良かったわ~。アタシもうれしいぞ~。あっところで頼田くん、今日って時間まだ大丈夫だよね?私も少しだけ早く戻ってきたんだけど」

「ええ、まあ確かに今日はちょっと早いですよね。俺は全然まだ大丈夫っすよ。あと1、2時間ぐらいは・・・・」


 いつもは沙月さんが店に戻ってきて交代で俺の勤務が終わりの運びとなっていたから、今日は普段より戻ってくるのが少し早かった分レイもいたし、女子二人で少しお茶でもシバいて話したいことあるからもうしばらく店番しといてね的なことをお願いされるのかと思っていたが。


「いや、じゃなくてね・・・・・・・・」

何も言わずに、珍しく沙月さんが口ごもってモジモジとしている。


「えっと、何ですか?急な用事とか・・・お使いみたいなことですかね?」

「いやいや、じゃなくてね。ちょっと頼田くんにお話しがありましてね~・・・」

 遠慮がちな切り出し方と口調で沙月さんに話があると言われた瞬間、つい背筋におぞましい予感が走るのを感じてしまっていた。


 もしやこれは、とても言い出しにくいことを言おうとしてるのではないか?

つまり・・・・。

「えっ・・・・?それってもしかして、その~俺に、こっこの店でのバイトを・・・・やめて、とかじゃ・・・・?」

 無意識に俺は沙月さんの肩を両手でグッとつかみ、懇願するように涙目で訴えかけていた。余命宣告の言葉は聞きたくないです、沙月さ~ん!と。

「いっ、やめて。頼田くん」

やっぱりキタコレーーー!!やめろキター!


「うわ~~~~ん!!」

あまりの衝撃に俺はひざまつき泣いてしまった。まるで甲子園の土を拾う球児のように。

 そこまでこの店でのバイトを重要視していたつもりはなかったけど、この先の人生プランについて現状特にビジョンが視えているわけではない俺にとって、この店でのアルバイトが唯一の縋りつける糸だったのだ。それすら失うのは痛すぎる。


「ううぅ・・・・。うっ、うっ、うっく・・・・・」


「えっ何でよ頼田くん!?なんか急に号泣しちゃったんだけど!ええっ!?怖っ!

何だろうレイ?頼田くんめっちゃショック受けちゃってるみたいなんだけど、どうしちゃったんだろうか?」

「さあ、でも頼田はちょっと不安定だって、沙月さん前に言ってなかったですか?」

「えっ?アタシそんなこと言ってたかな~?・・・あぁ頼田くんはトラウマ持ちってことね」


「沙月さ~ん、おっ俺、不安定だから。ダメ、なんですか~?このっお店、うっ

辞めなきゃいけないですか~?ううっ」

俺は泣いて沙月さんの脚にすがりつきながら、今度は延命の言葉を懇願して求めていた。

「えっ!いやだから、やめてって頼田くん!いや・・・・てかお店を辞めるって?一体なんのことよ?アタシそんなこと言った覚えないんだけど・・・・」

困惑した様子の沙月さんが、手をプラプラと左右に振りながら俺の妄想じみた疑いの言葉を全否定していた。

「えっ・・・・?やめろって言ってないん・・・ですか~?」


 またもや妄想から一人先走ってしまったと悟ってきた俺は、ポカーンとした表情で思いを巡らすフリをして沙月さんとレイの顔を眺めていた。


 無様な姿を見かねたのだろう、やれやれといった様子で肩をすくめたレイが俺の疑念を払うための言葉を投げかける。

「今の頼田と沙月さんのやり取りを見てて~ウチ思っちゃったんですけど~、ひょっとして沙月さんのマジのやめてを頼田は店を辞めてね。と勘違いしちゃっただけなんじゃないですか~?てか頼田の思い込み激しすぎよ、どんだけ~って感じ」

「えっ?あっああアタシが頼田くんに掴まれて、痛いから止めてって言ったこと?いやいやっ全然違うから、ねっ安心して頼田くん」


「・・・・・・・・・・・」

 浮き沈んだ感情の行き場をどこに持っていけばいいのか分からず、俺は梅干を食べた時のような渋い表情をすることで反省の気持ちを演出していた。

「プッアハハハハハ!またアンタ、何なのよ~その顔?」

「ウフッ、フフフフッ!ホント頼田くんその顔、なんか作ってない?」

 俺の顔芸は割とウケるらしい。少なくともこの二人の女性に対しては何度か実証としての好結果が得られているから、自信をもって我が特技として生かしていくべきだろう。


「でね頼田くん。話を戻すけど。さっき話があるってアタシ言ったじゃない?あのそれってさ提案なんだけど。その頼田くんとアタシとレイの3人でさ~今度ね、お疲れ様のパーティーでもしません?ってお誘いなんだけど・・・・どうかな?」

「ぱぱぱぱぱ、ぱあてぃ~?」


 言葉としてはもちろん知っていたが、女性の口を通しては初めて聞く言葉だった。女性から発せられる半濁音の音は、どこか男を興奮させるものがある。

「言っとくけどパンティじゃないからね、頼田」

「わっ!分かってらぁ!」

 まさに今想像していたそのものをズバリ、レイに言われてしまったことの照れからつい色をなして反論してしまう。

「だってアンタって思い込み激しいし~、何か言い方もいやらしかったしさ」

この娘は本当に俺の考えが顔に書いてあるかのように読み上げてくるなあ。


「いや~パーティーってかほら、もうボチボチ咲きだしてるじゃない?アレが。

そう、だからさ実際はお花見しようか?って提案なんだけどね。レイと話してた時にさ~それなら頼田くんも誘ってあげようってことになってね。・・・・どうかな?」


 お花見・・・・・。沙月さんから発せられたその言葉もどことなく心を浮き立たせる響きがあった。女性二人と俺で、ムフフ!


「ハイッ!もちろん俺も、良ければ参加したいです」

俺はなるべく気持ちよく聞こえるような発声を意識して返答をした。

「そっか、じゃあ頼田くんもってことで。3人で集まれるこんな機会が今後どれぐらいあるか分かんないしさ、親睦の意味も込めてだけど、楽しくやろうね!」

「うす・・・・・」


 そうだ。レイは新しい高校に入るって言ってたし沙月さんはともかく俺は不安定だし、今後どうなるかは未知の部分が大きい。3人であとどのぐらい一緒の時を過ごせるかなんて分かんないのだ。

 近頃不安感にさいなまれて沈みがちだった心境が、一気に久方味わったことのない高揚した気分に包まれていくのを感じていた。

 せっかくの貴重なお誘いの機会は素直に受けて、存分に楽しみたいものだ。



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