第二章 第六節 ~ 憎悪の光 ~


     ☯


「だ⁉ いててて……」


 硬い岩肌に頭を打ちつけ、犬人族クー・シーの男が目を覚ます。

 リオナに切り刻まれた傷は、幻だったとでも言うかのように綺麗きれいさっぱり消えていた。

 状況が理解できない男は、鈍い痛みを感じる頭をさすりながら、ゆっくりと身を起こした。


「あん? ここは……」


 男がいたのは薄暗い洞窟だった。

 空気は僅かに湿っており、時折冷たい風が吹いてくる。

 目を凝らして見ても遠くを見通すことはできず、得体の知れない恐怖が男の背筋を走った。


(何か、いるのか……?)


 男がそうして周囲に目をっていると、


「……ようやく目を覚ましたか」


「⁉」


 突如暗闇の向こうから、低く、うなるような声が聞こえてきた。

 それが頭上の耳に届いた瞬間、男はハッと気を引き締め、身を強張こわばらせた。

 努めて冷静を意識しているが、自然と動悸どうきが激しくなり、歯の根がみ合わなくなる。


 先に訂正しておくが、男は正体不明の何者かが洞窟内にいることに恐怖したわけではない。

 むしろ、それが誰の声であるかわかってしまったからこそ、おびえているのである。

 ギルド一の戦士としてそれなりに場数を踏んできた男が、それでも敵わないと認めざるを得ない程の実力差。


 ノシノシと重厚感のある足音が近付いて来る。

 やがて、大柄の男より更に一回り程体格の良い大男が、暗闇から姿を現した。

 それを見て、犬人族の男は震える声で小さくつぶやいた。


「ボ、ボス……」


「………………」


 ボスと呼ばれた大男は、何も言わないまま犬人族の男の前に立つと、


「ふんっ‼」


「ギャッ⁉」


 突然、全力の拳を男の腹に埋め込んだ。

 それを受け、男は数m吹っ飛んだ後、岩壁に頭を打ちつけて停止した。

 先程打った所と同じ箇所をぶつけたが、今度は痛みを感じている余裕もなかった。


 吹き飛んだ男はすぐさま姿勢を正し、大男に向かって平伏した。


「も、申し訳ありません! あ、あんな、初期レベルのルーキーに遅れを取るなど‼」


「……自分が何やらかしたかは、わかってるみてえだな?」


 大男は再び平伏する男に近付き、床に擦り付けんばかりに下げられた男の頭を踏みつけた。

 男の額に血がにじんだが、気にしていられない。

 自然と口を突いて出そうになる苦悶くもんの声を必死に噛み殺しつつ、男は謝罪の言葉を紡いだ。


「ぐ……お、お許しください、ボス‼」


「……チッ」


 大男は一つ舌打ちして、男の頭から足をけた。

 平伏していた男は、ホッと息を吐いて顔を上げる。

 その男に向かって、大男は言った。


「……傷はポーションで治療しておいた。……この意味がわかるな?」


「は、勿論もちろんです! 自分の落とし前は、自分できっちり付けさせてもらいます!」


「……俺達は負けを許されねえ。だが、今回だけは特別だ。お前は見込みがあるからな」


「はいッ! ありがとうございますッ‼‼」


 それだけ言うと、大男は再び元来た暗闇の向こうへと去って行った。

 大男の姿が見えなくなると、男はギリと拳を強く握り、自分を負かした仇敵きゅうてきの姿を胸中に思い浮かべた。


(クソ……あのルーキーめ。このままタダで済むと思うなよ……!)




 憎悪に身を震わせる男の瞳は、ドブ川のように黒く濁り、不気味な光をたたえていた。



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