第二章 第五節 ~ ミラ流ブラッシング術 ~


     ☯


 宿の部屋に置かれたベッドにどっかと腰を下ろす。

 自宅にあったものとは違い、わらのパリパリとした感触と草原に寝転がったかのような自然の柔らかさが、仮初の肉体に伝わって来た。

 自分のものでない身体が自分の思うままに動き、感じるという不思議な感覚にはまだ慣れないが、それでもこの感触が心地良いことに変わりはない。


 暫くその新鮮な感覚に意識を向けていると、段々と緩やかな眠気が襲って来た。

 アバターでも疲労は感じるし、今日はとても一言では表せないくらい色々なことがあった。

 そもそも、この世界へ来る前は徹夜明けだったわけだし、幾度となく睡魔との死闘を制してきたリオナも、流石さすがに限界が来ていた。


 そのまま藁のベッドに横たわって眠ろうとすると、


「ああ、ダメですよリオナさん! まだ髪の毛もかしていないじゃないですか!」


「別にいいだろ、それくらい」


「ダーメーでーすっ! ちゃんと梳かさないと、翌朝大変なことになってしまいますよ!」


「……チッ、女ってのも面倒臭いモンだな」


「ほら、リオナさん。私が梳かして差し上げますから」


 億劫おっくうそうに身を起こすリオナ。

 ベッドから動く気は起きなかったので、ミラの方に来てもらった。

 かばんから愛用のくしを取り出したミラは、ウキウキと楽しそうにリオナの金髪を手に取り、


「それじゃ……いきますよー!」


 サラサラと僅かに湿り気の残るリオナの長い金髪を、ミラの手に握られた櫛が走る。

 一切の抵抗無くスルスルと抜けて行く櫛の感触は、これまたリオナにとっては新鮮で、まるでマッサージでも受けているかのように心地良かった。

 「ほう……」と知らず知らずのうちに感嘆の息が漏れる。


「……上手いな」


「そりゃあ、いつも自慢のウサ耳のケアは欠かせませんからねー! これでも結構、ブラッシングの腕には自信あるんですよー!」


 その言葉の通り、彼女は実に手際良く作業を進めていく。

 ひょっとして、冒険者よりも美容師の方が向いているのではないかと思った。


 ミラが作業を進める間、二人の間に無言の時間が流れる。

 夜でも車や人であふれる元の世界の往来とは違い、完全な静寂がリオナ達のいる部屋を支配していた。

 ミラの手の感触と相まって、限界に近い睡魔が再び鎌首をもたげてきた。


(ヤベェ……寝る……)


 うつらうつらと頭が船をぎ始める。

 もうこのまま寝てしまおうかとも思ったが、


「あ、リオナさん、動かないでください! 上手く梳かせません!」


 と、ミラがポフポフ頬をたたいてくるので、仕方なく意識を起こして必死に睡魔に耐え続けた。


「……オイ、まだなのか?」


「まだです! もう、リオナさんは面倒臭がり屋さんですね。普段のケアはどうされてたんですか?」


「知らん。そんなモンやったこともねえ」


「う……予想はできていましたが、ケアもしないでこの艶と手触りとは……。世界はなんて不公平なのでしょう。世間の女性が聞いたら、悲鳴を上げるでしょうね」


「かもな」


 生欠伸あくびみ殺しつつ、適当に返事を返す。

 美容だのなんだのという女子女子した話題に興味は無い。

 このままだと退屈で本当に眠ってしまいそうだったので、リオナは意識的に話題を変えた。


「……オマエ、ここじゃどんな生活をしてきたんだ?」


「私ですか? そうですね……ここ最近はずっと神殿で過ごしていましたから……。かく、お祈りと修行と奉仕活動! ひたすらにこれを繰り返す生活でしたよ、はぁ……」


「神殿? 何だオマエ、神様にかなえてもらいたいお願いでもあったのか? オマエなら、神様より月にでも願った方が良かったんじゃないか?」


「ああいえ、そういうわけじゃないんです。異世界人を召喚するには、神殿で三年間の奉公を終えて、召喚の権利を得なければならないのですよ」


「ああ、そういう……」


 確か、ゲームでも召喚者を名乗るチュートリアルのモブがそんなことを言っていた。

 それを思い出した所為せいか、ゲームを始めたばかりの頃の記憶がポツポツとよみがえってくる。

 その召喚者のモブについても、ちょこちょこと思い出してきた。


(……懐かしいな。名前すら無かったが、誰もが一度は必ず世話になるヤツだったし、見た目もそこそこ人気があったな)


 ギルドで冒険者登録(という名の初期設定)を終えてからは登場しないキャラなのであまり記憶に残っていないのだが、何かやたらと愚痴と無駄な動きが多い少女だった。

 名前も無いのに専用のモーションだけは用意されていて、ウサ耳や尻尾を揺らしながら飛び跳ねる彼女の動作は愛くるしく、そんな彼女の姿に魅了されて兎人族アルミラージのキャラを選ぶプレイヤーも中にはいた。


(……兎人族……)


 チラリと背後を見る。

 手を止めたミラと目が合い、


「? どうしました、リオナさん?」


「……いや、何でも」


 またすぐに視線を前に戻す。

 ミラが首をかしげる気配を感じたが、彼女は特に気にした様子もなく、金髪に櫛を通す作業を再開した。

 自らの髪が櫛ででられる感触を感じながら、再び記憶の海へと潜る。


(……そう、プレイヤーを召喚したのは兎人族の女で間違いない。だが……)


 だが、それはミラではない。

 いくら記憶が薄いとは言え、彼女とチュートリアルの少女が同一人物でないことは断言できる。

 そもそも、チュートリアルの少女は長髪で青っぽい髪の色をしていた。

 ミラのような茶髪のショートではない。


 そうなると、今度はミラの正体が問題となってくる。

 少なくともリオナの知っている限り、〝ミラ〟という名の兎人族の少女はゲームには登場しない。

 無論、リオナとて全ての登場人物を覚えているわけではないし、NPCのグラフィックまではよく見ていない。

 モブキャラだと言われればそれまでなのだが……


 そこで、リオナはこの世界に来てから考えていたある疑問について、少し探りを入れてみることにした。


「……なあ、ミラ。〝MMORPGシェーンブルン〟って知ってるか?」


「えむ……? 今なんておっしゃいました?」


「MMORPGシェーンブルン、だ」


「……はて? 何かの詠唱魔法でしょうか? ちょっと私にはわかりませんね……」


「そうか」


 それきりリオナは腕を組んで押し黙ってしまった。

 ミラは慌てて、


「そ、それだけですか? 答えは教えてくれないのですか⁉」


「知らねえヤツに言ったってどうしようもないだろ」


「うぅ、そんなこと言わないでくださいよー! ウサギは好奇心で夜しか眠れなくなってしまいますよー‼」


「安心しろ。夜も眠らねえネコよりか、はるかに健康的だ」


 ケラケラと軽く笑って話をはぐらかす。

 これ以上リオナが口を開く気配がないのを悟って、ミラも深く追及することはなかった。

 しかし、それでも彼女の口から出た謎の言葉が気になるようで、リオナの髪をく手の動きが微妙に速くなっていた。


 そんなミラを余所よそに、リオナは、


(……MMORPGシェーンブルンは知らない、か。だとすると、オレが召喚されたこの異世界の正体は……)


 リオナがずっと胸に抱いていた疑問。

 それは、自分が召喚されたこの異世界が一体何なのかということだった。


 最初は状況から見て、ゲームの中に吸い込まれでもしたのかと思っていたが、それにしては、自分が知っているMMORPGシェーンブルンと勝手が違う。

 例えば、ゲーム内の冒険者NPCから教わった〝デザートワーム〟の弱点をこの世界の住人は知らないようだったし、逆にゲームを隅から隅までやり尽くした自分が知らないアイテムがこの世界には存在した。

 キャラクターだって、ゲーム内のNPCとは比較にならない程たくさんの住人が街で暮らしているし、その一人一人に固有のグラフィックがあって、自ら思考し、行動している。


 そして、さっきの質問に対するミラの返答。

 これらのことから、ここが自分の知るゲームの中でないことははっきりとわかった。

 だが、ゲームとは無関係と考えるには、この世界はゲームとあまりに似すぎている。

 街の造りも、敵の種類も、冒険者の装備も、ゲームで馴染なじんだ正にそのものだ。 


 故に、考えられるのは――


(……この世界を元に誰かがあのゲームを作ったか……あるいは、あのゲームを元に誰かがこの世界を創ったか……。いずれにせよ、どっちかを元にもう一方が作られたってことだろうな)


 普通に考えれば前者だろう。

 リオナとて異世界から召喚された身だし、ミラの話を聞く限り、神殿での奉仕を終えれば誰でも召喚権を手にできるということだったから、自分の他にも召喚された異世界人がいると考えるのは当然である。

 その異世界人が元の世界へ帰った後でゲームを作った、というのが最も納得のいく話である。


 だが、ここは獣人や魔法が存在するファンタジー世界である。

 神様の一人や二人や八百万人くらいいてもおかしくはないし、異世界召喚が可能なのだから、そんな神様にとって世界の創造くらい訳ないだろう。

 そうなれば、世界の方が後付けで創られたとしても、特段驚きはしない。


(……ま、何処どこの誰の仕業か知らねえが、せいぜいこのオレを楽しませてくれよ?)


 内心でくつくつと笑いを噛み殺しながら、傲岸不遜に挑戦状を叩きつける。

 これ以上推理を進めるには、今は情報が足りない。

 もっとも、この世界が何であれ、何事も楽しむという自らのスタンスをリオナは変えるつもりなかった。


 リオナが一人思索にふけっていると、


「さ、終わりましたよリオナさん!」


「ん? ああ、お疲れさん」


「どうです? 私の仕事の出来栄えは⁉」


「どう、って言われてもな……」


 戸惑い気味に、何となく髪に指を通してみる。

 普段は床屋に行っても、適当に感触を確かめるフリをしながら「問題ない」と生返事をするばかりだったリオナだが、この時ばかりは違った。

 付け根から毛先まで一度スルリと指を通したリオナは、


「おお? これはなかなか……」


「ふふ! 気に入って頂けたようですね!」


 感心したように何度も自らの金髪の手触りを確かめるリオナの様子に、ミラはとても満足して笑って言った。


「……櫛でこうまで変わるとはな……!」


「でしょう? きちんとケアすれば、毛並みはより一層綺麗きれいになるのですよ! ですから、これからはリオナさんも面倒臭がらず、きちんとお手入れを……」


「よし、寝るか」


「最後まで話を聞いてくださいーー‼‼」


 そんなこと言われても、髪を梳かされ始めた時から既に眠気が限界だったのである。

 今後もミラに任せればいいか、などとぼんやりした頭で考えながら、倒れ込むように藁のベッドに横たわる。

 その姿は、正しくこたつで丸くなるネコのようであった。


「……全く、リオナさんは本当に自由人でらっしゃるのですから……」


 溜息ためいきき、手早く自らの支度も済ませたミラは、部屋の明かりを消して、リオナの隣のベッドに身を横たえた。

 暗闇の中聞こえてくる物音にうっすらと耳を傾けていると、


「……おやすみなさい、リオナさん」


「……ああ」


 そう短く返したところで、リオナの意識は完全に途切れた。


 少しハスキーがかった自らの高い声は、聞き慣れないもので妙な違和感を感じたりもしたが。


 一人自室で過ごしていた頃には無かった、ほんのちょっとだけ楽しそうな響きが含まれていたな、と沈みゆく意識の中でリオナは思った。


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