第二章 第四節 ~ 湯煙の獅子とウサギ ~
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「はぁ~、気持ち良いですねぇ~。ここは天国でしょうか……」
「へえ、これはなかなかのモンだな」
ポチャンと波打つ少し濁ったお湯の中に、ミラは
気持ち良いという言葉の通り、完全に脱力して浴槽のヘリに寄りかかっている。
いつもシャキッと伸ばされているウサ耳も、萎れたキャベツのようにへにょりとしな垂れていた。
一方、リオナもまた異世界で目にする初めての温泉を存分に堪能していた。
次々と寄せては返す波の揺れが身体に心地良い。
ネコ耳の先っぽに滴った
そういうわけで、二人は絶賛天然温泉を満喫中だった。
重度のゲーム廃人でも風呂だけは欠かさない風呂好きなリオナは
彼女の目の前で、立ち昇る湯気と香りにゆったりと意識を向けていると、
「リオナさん、はしたないですよ片膝を立てるなんて。女性なのですから、もっとこう恥じらいを持って……」
「別にいいじゃねえか。誰も見てないんだし」
「私が気にするんです!」
「お? 何だ、ムラっときたのか? ひょっとしてオマエ、レズなのか?」
「そんなわけありますかっ⁉」
「悪いが、オレは責め専門で……」
「違うって言ってるでしょうがあっ‼」
スパアアァァアアン、と軽快な音が浴場に木霊する。
水分を含んで重くなったウサ耳の一撃は、いつもより大分痛かった。
ミラは
「はぁ、全く……こういう所さえ無ければ、リオナさんは非の打ち所のない素晴らしい女性だというのに……」
「ん? オマエ、オレのことそんな風に思ってたのか」
「そりゃそうですよ! 麗しい金髪、しなやかな尻尾、完璧なボディラインにツルツルなお肌!
キラキラと目を輝かせて、リオナの姿を凝視するミラ。
アバターの姿だし、いくら見られようと恥ずかしくも何ともないのだが、こういう女性の気持ちがわからないリオナは、少々戸惑った。
「そんなに見とれる程のモンかねえ?」
「もう、リオナさんはもっと自分が魅力的な女性であることを自覚すべきです! ちゃんと着飾って言葉遣いも正したら、それこそ魔王だってイチコロなのですよ!」
温泉でテンションが上がっているのか、ミラはキャッキャと騒ぐばかりだった。
これが
今までずっと自室に引きこもっていた為に、誰とも話す機会の無かったリオナは、折角だし少し話に付き合ってみるかと思った。
「……そうは言うけどな、オマエ。オマエこそ、魅力的な女性であることを自覚すべきなんじゃないか?」
「わ、私が、ですかっ⁉ いやいや、それはないですよー! 私の何処が魅力的だって言うんですかー?」
口では謙遜していながらも、満更でもないのか、頬が緩んでニヤけた顔をしていた。
彼女が予想以上に面白そうな反応をするので、リオナは更に続けた。
「そりゃもう、色んな所が魅力的だ!
例えば、長くてふわっふわな毛に覆われたウサ耳をこの手でなぞれば極上の肌触りを伝えて来るであろうことは確定的に明らかだが、それがしっとりと水に
スパパアアァァアアンッ‼‼
「い、いきなり何を言い出すんですかリオナさんっ⁉」
「何ってそりゃ、『私の何処が魅力的だ』って言うもんだから、それを具体的称賛的且つ扇情的に170文字で説明しただけのことだが?」
「そんなセクハラ紛いの言葉で褒められたって
「ひきこもりの廃人ゲーマー(男)だ!」
とは言えなかった。
純情そうな性格だし、男に肌を見られたと知ったら、相当なショックを受けるかもしれない。
代わりにリオナはこう答えた。
「ひきこもりの廃人ゲーマー(笑)だ!」
「わ、笑って言うことですか、ソレ?」
悪びれなく笑うリオナに、ミラは溜息を吐いた。
彼女とはあまり真面目に取り合わないのが正しい付き合い方なのだと、ミラも理解し始めていた。
だが、昼間の〝デザートワーム〟や夕方の
折角二人きりでゆっくり話せるタイミングだし、少し尋ねてみようと彼女は思った。
「あの、リオナさんってとてもお強いですよね。夕方の戦いを見てても、何というか、すごく場慣れした感じがしました。元いた世界では、どんな生活をしていたのですか?」
「だから言っただろ? ひきこもりだ、って。……ああでも、思いつく限り、一通りの格闘技は習得したな。空手に柔道に合気道にテコンドー、ムエタイ、ボクシング、カンフー、中国拳法全般……それらを組み合わせて、自分用に使いやすくアレンジするのが、オレ流の戦い方だな」
「そんなに⁉ それはすごいですね! 趣味なのですか?」
「いや、そんなんじゃねえ。身体を動かすのは好きだが、そんな格闘技マニアじゃあない」
「では、
「それは……」
少しだけ
「……昔、とあるヤツと勝負したことがあってな。そいつは格闘技の達人だったんだが、そりゃもう見事にボコされちまって……。あん時の悔しさっつったら、もう全身の毛が抜けるかと思う程だった」
ケラケラと笑って言うリオナだったが、ミラは彼女の口から出た「負けた」という事実に、驚きを隠せないでいた。
確かに、彼女はレベル1の初期レベルだが、それを覆せるだけの機転と心の強さを持った人間だ。
その彼女を圧倒するとなると、それはもう想像もつかない程の強者に違いない。
それ程の強者が世界にはまだいるんだな、とミラは思った。
リオナの言葉で、若干現実逃避気味になっていた意識を引き戻される。
「……一応、それまではオレ、負け知らずだったんだがな。けどよ、負けたままなんてのは悔しいだろ? だから、アイツを見返す為にオレも必死で身体を鍛えたってわけだ。
幸いソイツは自分の技を出し惜しむようなヤツじゃなかったからな。何度も戦って、戦いの度にヤツの技を盗んでった。そんなことをしてたら、いつの間にか大抵の格闘技は数日でマスターできるようになってたのさ」
「そうだったのですか……。夕方の犬人族の方を倒したのも、何かの武術なのですか?」
「ああ、アレもその達人から盗んだ技でな。……アイツ、本職は剣士だったんだよ。ヤツが独自に編み出した七つの剣技≪
興味津々といった様子のミラに、その≪秘剣≫について説明するリオナ。
思えば、これまで誰かに自分の戦い方について語って聞かせるようなことはなかったなと、リオナはある種の新鮮さを覚えた。
「アレは中国拳法でいう
何処か遠い昔を懐かしむように目を細めるリオナ。
悔しいとは言いつつも、決して越えられぬ壁を目指してひたむきに己を鍛える日々は、彼女にとってとても充実した時間だったのだろう。
「ふふ……リオナさんって、負けず嫌いなんですね!」
「おうよ! そうでなきゃ、〝獣王〟とか
そう言って豪快に笑う彼女の姿が、ミラには今までと違って見えた。
ミラは今まで、彼女の強さは生来の才能によるものだと思っていた。
しかし、実際は、彼女は誰の目にも見えない所で努力を繰り返し、並いる強敵をその手で下してきたのだ。
彼女の実力は、その時々の偶然でも生まれ持っての才能でもなく、
リオナの傲岸不遜な態度に隠された本当の顔に少しだけ触れられたミラは、自らが浸かるお湯とは別の温かいものを心の中に感じた。
「……そんで、自分の持てるあらゆる技術、知謀、策略を駆使して、相手に打ち勝った時の爽快感は、そりゃもう禁断症状ものだぜ? これだから、ゲームはやめられねえ!」
「こらこら、ゲームは一日一時間までですよ?」
「何? 一時間で一日が終わるだと? 何処の世界の話だ、それは?」
「やれやれ……でも、そんなリオナさんだからこそ、私の召喚に応じて頂けたのかもしれませんね。リオナさんならきっと、この世界を救ってくれると信じていますよ!」
「ハッ、それを決めるのはオマエの努力次第だぜ? オレは猫も
「……リオナさんが言うと冗談に聞こえないのでやめてください。格闘技の達人となんて戦いたくないですよ……」
「オレは結構楽しみだけどな!」
リオナがケラケラと笑う。
その拍子に、波の立ったお湯が少し浴槽から零れた。
ミラは溜息を吐いて身を縮めるばかりだったが、リオナはそんな彼女がどの程度の実力を有しているのか気になっていた。
デザートワームに襲われた時も、犬人族の冒険者達を相手にした時も、ミラは直接戦闘に参加していないから、正確なパラメーターはリオナにも計れない。
しかし、彼女がとんでもない速度でギルドの階段を駆け上がって行ったことや、街の人々にもかなり名前が知られていることから、それなりの経験を積んだ冒険者だろうと考えていた。
(〝
前にゲームで、やたらと敏捷性と運のパラメーターを強化した高レベルプレイヤーに会ったことがある。
敏捷性が高いと相手の攻撃を回避しやすくなり、運が高いと相手への弱体付与が成功しやすくなる。
プレイヤースキルもなかなかのもので、慣れない相手に大苦戦したのをよく覚えている。
(……あん時は
「……あの、リオナさん、どうされました? その、何というか、そんな目で見られると、怖くなってくるのですが……な、何を考えてらっしゃるのです?」
「……いや、別に?」
心の底で、ミラに対する好奇心が沸々と湧き上がってくるのを感じる。
それが無意識のうちに顔に出ていたようで、いつの間にか獲物を観察する捕食者のような目をしていた。
そんな自分が恐ろしかったのか、彼女はひどく
彼女の震えるウサ耳に、リオナの中の
猫が獲物を痛ぶる時ってこんな気持ちなのだろうか、などと考えながら、
「さて、そろそろ上がるか。充分サッパリしたことだしな」
「あ、待ってください! 私も……」
そう言って、ミラも上がろうとした瞬間だった。
リオナに置いて行かれると思って焦ったのか、そもそも温泉というものにあまり入った経験がなかったのか、彼女はお湯に濡れた浴場の床でつるりと足を滑らせてしまい、
「あ、あわわわ!」
ドッシーンッ‼と派手な音が浴場に木霊する。
慌てて手を突こうとした彼女だったが、その努力も
「あいたーーっ!」
赤い瞳に僅かに涙が浮かぶ。
だが、それよりも彼女の
それに気付いたミラが顔からウサ耳までを瞳よりも赤く紅潮させ、
「ひっ⁉ み、見ないでくださいリオナさんっ‼‼」
「ふむ」
しかし、彼女の懇願は致命的なまでに遅く、数々のシューティングゲームで鍛えられたリオナの動体視力は、彼女の痴態をバッチリと収めてしまっていた。
彼女を
「うん、まあ……ご
「うわああああぁぁぁぁぁあああああんっ‼‼」
あの様子では、暫く立ち直れそうにないだろう。それでも、相手が(見かけの上では)女性だっただけまだマシだったと言うべきだろうか。
(……男だって知られるわけにはいかねえ理由が増えちまったな……)
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