第一巻 第三章 「その異世界人、好戦につき」

第三章 第一節 ~ 目覚めの朝 ~


     ☯


 朝ぼらけの光と鳥の鳴き声が微睡まどろみの中に届いてくる。

 柔らかな布の感触と人肌くらいの温もりが全身を優しく包み込む。

 半分眠ったままの五感で感じられる情報はどれも不確かで、でも、だからこそこの世のものとは思えない程に心地良い。

 かなうのならば、ずっとこれらの感覚に身を委ねていたい。


 そんな誘惑を振り払って、徐々に脳を覚醒へと導いていく。

 無意識の海から少しずつ浮上していく。

 そうすると、これまでの記憶がポツポツとよみがえってきた。


 そう、確かゲームをクリアしたと思ったら突然はるか上空3000mに召喚されて、落ちた先でウサ耳を生やした少女と出会って、その少女を襲った賊と戦って打ち倒して、食堂で未知の肉を食べて温泉に入って、わらのベッドで眠って……


 その記憶はどれも薄靄うすもやがかかったように曖昧で、所々よく思い出せなかった。

 しかし、それが楽しかったことだけは覚えている。

 何故なぜなら、今日は寝起きにも関わらず、珍しく気分が良いのだ。

 徹夜続きで蓄積したいつもの慢性的な気怠けだるさが、綺麗きれいさっぱり消えてしまったかのよう。


 もう少しその幸福感を味わっていたくて記憶の欠片かけらを手繰り寄せようとするも、それらは手が触れた瞬間に淡いちりとなって消えていった。

 時間の経過と共に消えていく記憶達を名残惜しく思いながら、意識と無意識の境界を彷徨さまよい続けるのも限界だったので、仕方なくゆっくりと金色の目を開いた。


「ん……」


 まず視界に映ったのは、白い天井。

 消灯したLEDの円盤が静かに見下ろしてくる。

 古ぼけた黒い染みの数は、何度数えても昨日と変わっていない。

 変化の無い状況に、つまらないと悪態をく。


 それから、自らが横たわるベッドの感触に意識を向けた。

 固くもなければ柔らかくもないベッドのクッション性を確かめるように身を揺らすと、上に乗る雑多な物達も一緒になってベッドの上で跳ねた。

 その内のいくつかが弾みで床に落ちてしまったが、どうせ床の上も物で一杯だし、そこに一つや二つお仲間が増えたところで変わりはない。


 そう、変わりはない。

 いつもと何ら変わらない自室の風景。

 それを金眼に映しながら、やるせない気持ちと共に一つ溜息ためいきを吐き出した。


「……夢、か……」


 などというありふれた展開にはならなかった。


「……とか言ってみるテスト」


 宿屋のベッドの上で目を覚ましたリオナは、ぼそりとつぶやいてから一気に身を起こした。

 寝起きの気怠さは感じられない。

 朝の清々しい空気が、辺りに漂っていた。


 ふと隣を見ると、ブランケットを被ったミラがスウスウと規則正しい寝息を立てていた。

 だからというわけではないが、何となく物音を立ててしまわぬよう動きがいつもより慎重になってしまう。

 誰かに気を遣って行動するなど、自分の性に合わないのだが……


(……ま、いいか。本人も色々あったんだろうし)


 寝ているミラはスルーして、窓の外を見る。

 ようやく太陽が昇り始めようとしている時間帯で、空はまだ薄暗い。

 リオナにとって日の出など珍しくもないが、異世界での〝初日の出〟に少し興味が湧いた。


 そのまま暫くじっと外を眺めていると、やがて金色の太陽が建物の向こうから姿を現した。

 その陽光に照らされて街並みが白く染められゆく様は、なかなかの感動を与えてくれる。

 こんなボロ宿の一室ではなく、もっと高い所から見渡せば、もっと綺麗だっただろう。


 ……感動するとは言ったものの、流石さすがにずっと見ていられるものではない。

 太陽が半分程顔を出したところで飽きてしまった。

 目も痛くなってきたので、窓から視線をらした。


 再び部屋の中に視線を戻し、ベッドに眠るミラの方を見遣ったが、彼女はまだ眠っていた。

 窓から差す陽光で部屋は完全に明るくなっていたが、一向に起きる気配がない。

 こんな明るみでよく寝られるな、とリオナはある意味感心した。


(……しかし、いつまで寝ている気だ、コイツは? 時計が無いから正確な時間はわからねえが、体感的には朝六時ってとこか。昨日は割と早めに寝たし、ちょいと寝過ぎじゃないかねえ)


 生活リズムの崩れ切った自分が言えたことではないが、彼女が起きないことには今後の行動も決まらない。

 いい加減暇を持て余すのにも耐え難くなってきた。

 いっそのことベッドごとひっくり返してやろうかなどと乱暴な考えが頭を過り……


(……いや、待てよ? どうしてコイツが起きるのを待つ必要があるんだ? 街の造りは完璧に覚えてるし、オレ一人でも出かけられるな)


 うむと一つうなずくと、リオナは手早く身支度を整え、出かける準備を済ませた。


 ――ここで普通に街を散策するだけなら、特に問題はなかっただろう。

 しかし、このリオナという人物は自他共に認める快楽主義者であり、いつでも娯楽を求めて、その渇望は満たされることを知らない。

 彼女の悪戯いたずら好きのさがが、いつものように、あるいは予定通りに働いてしまった。


(あ、そうだ、ただ出かけるんじゃつまらねえ。ここは一つ、コイツの為に一肌脱いでやるか)


 何か思いついた様子で上機嫌になりながら、リオナは部屋の片隅に置いてあったメモとペンを手に取り、そこに何かを書き記すと、書いたメモを破ってテーブルの上に置いた。


(一人でぐうたら寝てやがったお礼だ。楽しんでくれよ?)


 そうして、リオナはネコの如き俊敏さと静かさで部屋を出ると、悪そうな含み笑いを浮かべながら宿屋を後にした。


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