第一巻 第二章 「その異世界、夜間につき」

第二章 第一節 ~ 究極の料理? ~


     ☯


 ミラとリオナが≪サンディ≫の繁華街に戻って来た時には、日は既に海岸線の向こうへと沈み、街灯や民家にポツポツと明かりがともる時間になっていた。

 夕食時だけあって、街は結構な人であふれかえっている。

 異世界であっても都会の喧騒けんそうとそう変わらないな、などと考えながら、リオナは足早に冒険者ギルド一階の大衆食堂へと向かっていた。


「ま、待ってくださいよ~!」


 その後ろをピョコピョコと跳ねるように付いて来るのは、リオナが貸した黒のパーカーに身を包んだミラだ。

 彼女のことを考えれば、一度何処どこかで着替えてから行った方がよいのだろうが、それを待っている程リオナは悠長にしていられなかった。


 いかんせん、丸二日も食事を取っていないものだから、かく空腹が限界だ。

 今ならカビたパンでも美味おいしく頂けそうな気がする。

 空腹なら空腹な程晩餐ばんさんは美味しいものとはよく言うが、餓死してしまっては意味が無い。


 それに、異世界で取る初めての食事なのだ。

 果たしてどんな食材を使っていてどんな味がするのか、彼女の好奇心も爆発寸前だった。もう一分一秒でも早く食事にありつきたい。


 やっとの思いでギルドの入り口をくぐる。

 少し遅れてから、息を切らしたミラも食堂の中へ入った。

 はぁ、はぁ、と乱れた呼吸を整えつつ、


「も、もう! 少しは待ってくれてもいいじゃないですか!」


「そんなのんびりしてられるか。こちとら餓死寸前で四対一のフルバトル仕掛けられたんだぞ? エネルギー不足にも程がある。それに……」


 リオナが辺りをざっと見渡す。

 ゲーマーとして数々の戦いをこなしてきた彼女は、一目で瞬時に状況を把握するスキルを持っている。

 その状況確認スキルをもってしても、食堂が既に満席であることは明らかだった。


「……見ろ。オマエがチンタラ歩いてる所為せいで、席が一杯一杯じゃねえか。食事の席は一時間前には取っておく……東京の常識だぜ?」


 〝トウキョウ〟なる地名はミラにはわからなかったが、兎に角リオナが不機嫌であることだけはわかった。

 しゅん、とウサ耳を萎れさせて、


「あぅ……申し訳ないのですよ……。勝手に飛び出していった挙句、襲われて助けてもらって、その上夕食のお時間まで……」


「……フン」


 リオナとしては別に彼女を責める気などなかったのだが、空腹のいら立ちが無意識に表に出てしまっていたようだ。


 彼女に当たっていても仕方がないので、何処か空かないかとおとなしく待っていようとすると、


(……いや、待てよ? ちょっと試してみるか)


 先程までとは一転、上機嫌な笑顔になってとある席へと向かって行った。

 その悪戯いたずらを思いついたような子供っぽい笑顔に、ミラは何か嫌な予感がしたのだが、


(……リオナさん、一体何をするつもりでしょう……?)


 戦々恐々とした様子で彼女が見守るそばで、リオナは四人掛けのテーブルに座っていた冒険者のパーティーに近付いて行った。

 そして、一番上座に座っていたリーダーらしき男に声をかける。


「なあ、そこの席譲ってくれねえか?」


「もぐもぐ……はあ? なんで俺らがそんなこと……」


 男がリオナの方を向く。そこで、


「頼むよお……」


 リオナがこれまでにない程甘えた声を出し、男にもたれ掛かるように前傾姿勢を取った。

 両腕で豊満な胸部を挟み込み、見せつけるように強調する。

 キラキラと光る金眼には少しだけ涙をめ、おびえた子猫のような仕草でネコ耳を震わせた。


 普段は尊大な態度を崩さない彼女が初めて見せるしおらしい仕草に、目の前の男は勿論もちろんのこと、そのテーブルに座っていた他の冒険者仲間、近くを通りがかった食堂の店員、そして、リオナの様子を少し離れた所で見ていたミラまでもが絶句した。

 時間が凍りついたかのような錯覚が一同を襲う。

 そして、次の瞬間、


「……そ、そそそそこまでいいい言われたらしし仕方ないなあ! と、特別だぞ⁉」


 顔を真っ赤に染めた男が、自らの食器を持って勢い良く立ち上がる。

 それから他の仲間達も男に続き、


「ど、どどどうぞ! 好きに使ってください!」


「ぼ、ぼぼ僕達はあっちで食べてますからあ!」


「サ、サイン! サインください‼‼」


 皆慌てて席を後にする。

 何故なぜか、その誰もが感極まったように涙を流していた。


「おう、ありがとな!」


 ヨタヨタと頼りない足取りで去って行く男達の背に手と尻尾を振ってから、リオナは空いたテーブル席に腰を下ろした。


(いやぁ、美少女っていいモンだな! 可愛いってだけで、こうも得することがあるとは思わなかったぜ!)


 うむうむと、この世界に来てからの自分の姿にありがたみを感じつつ、


「さ、早速今日の晩飯を……」


「……って何やってるんですかぁーーっ‼‼」


 スパアァァアン、とウサ耳による一撃が飛んで来た。

 様子を見ていたミラがたまらず出て来たのだ。

 平手打ちされたような痛みが襲う後頭部をさすりながら、


「何だよ。ちゃあんと懇切丁寧にお願いして譲ってもらったんだから、文句えだろ?」


「何処がですか……。性質たちの悪いたかりみたいな真似まねしないでください……」


 がっくりと項垂うなだれるミラを余所よそに、テーブルに備え付けられたメニューを見る。

 リオナのフリーダムさは今に始まったことではないので、ミラはそれ以上の追及を諦めて、渋々彼女の向かいに座った。


 待ちに待った食事がすぐ目前まで迫り、リオナは鼻歌混じりにメニューを眺めた。

 が、ペラペラとページをめくっていくに連れて、その表情が段々と曇っていく。

 何か不満があったのかと思って、ミラは控えめに尋ねてみた。


「……あの、何か怒ってます……?」


「………………」


 リオナは暫く無言のままメニューを読みあさっていたが、やがてぶっきらぼうに視線を上げると、


「……オイ、ミラ。何かこう、もっとぶっ飛んでて有り得なくて三ツ星パティシエが逆立ちで踊り出すくらいワクワクするような、そんな超素敵異世界飯は無えのかよ?」


「そ、そんなもの期待されても困ります。ここは至って健全な大衆食堂ですから……」


 リオナの持ったメニューには、ジャガイモのポトフや魚のグラタンなど、美味しそうな料理がいくつも並んでいた。

 写真の技術は発達していないのか、そこには料理名と値段くらいしか書かれていないのだが、どれも名前を聞くだけで脳内にイメージが浮かび上がり、よだれが垂れてきてしまいそうになる。まず、ハズレは無いと思えた。


 だが、それだけだ。

 知っている料理ばかりだから、どれを選んでも失敗はしないだろうが、逆に言えば、彼女の知っている範囲の料理しか見当たらないのである。

 異世界特有の未知のびっくりメニューを期待していた彼女にとっては、肩透かしをらった気分だった。


 何だか面倒臭くなってきたリオナは、「適当に〝チーズハンバーグ〟でも頼もうかな」などと半ば投げやりな気持ちでメニューを眺めていた。

 しかし、最後のページを開いた時、間に挟まれていた一枚の紙がひらりと落ちて来た。


「ん? 何だコレ……」


 落ちて来た紙を反射的に手に取る。

 そして、真っ先に目に入って来たのは、


「『数量限定! エクストラ級グランドヘビードラゴンのサーロインステーキ――寿命三百年を超える幻のモンスター〝グランドヘビードラゴン〟の肉を使用した当店自慢のオリジナルメニュー! その味はとてもモンスターとは思えない上品な舌触りで王宮料理人をもうならせる。これを食べればきっとあなたも英雄ファルテナの仲間入り!』――だとッ⁉

 オイオイ何だよふざけるなよこんなありふれた捻りも面白みも何一つ無えクソダセェあおり文句で売れるとでも思ってるのか美味うまさの余り頭がイカレちまってるんじゃねえのかクソチョー美味そうだなオイッ⁉」


「怒ってるのかノリノリなのかどっちなんですかっ⁉」


「馬鹿か、どう見たって怒ってるに決まってるだろッ⁉ ああクソ! こんな下手な文句つらつら書かれたら、腹減ってしょうがねえじゃねえかッ⁉ オイ店員ッ‼ このドラゴンステーキ二つだッ! あと葡萄ぶどう酒も持って来いッ‼」


「はい! ご注文ありがとうございます!」


「え? いや、私も食べたいわけでは……」


 カウンターに控えていた店員に大声で注文を伝えると、それを受け取った店員はそそくさと厨房ちゅうぼうへと入って行った。

 ミラがそれを呼び止めようとするも、この喧騒の中では彼女の声は届かない。


 満足げな表情でメニューを置いたリオナに対して、ミラが恨みがましい視線を送る。


「うぅ……どうして勝手に私の分まで注文してしまうのですかあ! 私草食でお肉苦手なのに……」


「別にいいじゃねえか。それに、草ばっかじゃちゃんと育たないぜ? 胸とか」


「む、胸は関係無いでしょうっ⁉ ……そりゃ、私はリオナさんみたいに立派なわけではありませんけど……」


 二重の意味でショックを受けて小さくなるミラの前で、リオナは期待で胸を膨らませながら、注文した料理を待った。


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