第二章 第二節 ~ お祭り騒ぎの夜 ~


     ☯


「お待たせしました!」


「おお!」


 暫く待っていると、熱くなった鉄板に巨大な肉の塊の載った料理が運ばれて来た。

 肉の焼ける香ばしい匂いが、リオナの鼻腔びこうをくすぐる。

 肉食獣らしく獰猛どうもうのぞいた犬歯の隙間から、今にもよだれが零れ落ちそうだった。


「すげえな、オイ!」


「すごいと言うか何と言うか……」


 「斬る! 焼く‼ かじるっ‼‼」という三工程にまで洗練された料理を前にリオナが瞳を輝かせる一方で、ミラは引き気味に頭を抱えていた。

 冒険者としてできるだけ好き嫌い無く食べることを意識している彼女だが、流石さすがにこればかりは思うところがあったらしい。


 そんなミラの心情などお構いなしに、リオナはガシッと肉塊を両手でつかむと、そのままそれに豪快にかぶりついた。

 食事のマナーなど完全に無視したリオナの食べ方に、ミラが短く悲鳴を漏らす。


 咀嚼そしゃくすること数秒。

 竜らしくがっしりと引き締まった肉塊をみ締める度に、鶏肉とも豚肉ともつかない未知の肉の味が口中に広がっていく。

 味付けは塩胡椒こしょうのみで、さっぱりとした肉の味に対して、ほのかなアクセントとなっている。

 脂身は少なく、正しく〝肉〟を食べているような感じがした。


 鋭い臼歯で噛み砕き、肉の隅々まで味わってから飲み込むと、リオナは「ふう」と一息いて感想を述べた。


「ん……味はまあまあだが、かく筋が多くて硬いな。顎が疲れる」


 流石はドラゴンの肉。どのゲームでもまず最強の種族に数えられるだけあって、らうのも一筋縄ではいかない。


 そうは言いながら、リオナは再び目の前の肉塊にかぶりついて咀嚼を始めた。

 カップ麺やハンバーガーなどのジャンクフードに毒された身体に、野趣あふれる味が染み渡っていく。

 特別美味おいしいという物でもないが、今まで経験したことのない〝異世界の味〟に、リオナは大満足だった。


 無我夢中で肉に齧りつくリオナの前で、ミラはちまちまとナイフとフォークで肉を小さく切り分け、口へと運んでいた。

 ジト目でリオナをにらみつつ、


「リオナさん……もう少し上品に食べたらどうですか? 折角の美貌が台無しですよ?」


「むぐむぐ……何言ってんだ? いつ襲われるともわからねえサバンナのど真ん中で、そんなチンタラ飯食ってる獅子しし何処どこにいんだよ?」


「それはそうかもしれませんが、ここはサバンナではありませんし……」


 リオナは肉を飲み込むと、ダンッと椅子の上に立ち上がり、


「それにな、コレが一番オレらしいやり方なんだよ。誰が何て言おうと、オレはオレを曲げるつもりはねえ。オレはいつだってオレなんだからな!」


 そう言って、葡萄ぶどう酒の入った杯を一気に飲み干した。

 その飲みっぷりに、周囲の客達が沸き立った。


「よお、姉ちゃん! ええ飲みっぷりやなあ!」


「ハハッ! これくらいどうってことねえ! オラァッ! もっと酒持って来いッ‼‼」


 彼女の掛け声一つで、大衆食堂はまるで宴会のような大騒ぎとなってしまった。

 誰も彼もが肩を組み、酒やら料理やらを楽しみ、笑顔を浮かべている。

 普段からにぎやかな場所ではあるが、この盛り上がりはミラが経験した中でも一番かもしれない。




 ――あるいは、幼い頃行った里のお祭りの喧騒けんそうを、ミラは遠い過去に幻視していた。




 その日も、皆が今の彼らのような笑顔を浮かべていて、束の間訪れた平穏を大いに満喫していた。

 道沿いにいくつもの屋台が並び、近所のおじさんや長老達の怒号が飛び交っていて、何だか自分がいつも住んでいる里ではないような感じがしたのを覚えている。

 そんないつもとは違うよく見知った景色の中を、自分は両親に手を引かれて歩いていたんだったっけ。


 思えば、綿菓子やヨーヨーを手に里を歩く自分も、あの時はこんな笑顔を浮かべていたのだ。

 楽しくて楽しくて、こんな日が毎日続けばいいのにと、夜空に輝く満月を見上げながら願っていた。

 そんなただ幸せを享受するだけの時間が、自分にもあったのだ。


 それが、いつからだろう。

 いつ目覚めるともわからない魔王の脅威におびえ、必死で世界を救う為の手段を求めて走り回る多忙な日々を送る中で、自分は次第に幼い頃の無邪気な笑顔を忘れていった。

 「大丈夫、きっと何とかなる」と自分や周りの人々に言い聞かせ、作り物の笑顔で偽りの安心を植えつけていた。

 でも、心の中は不安ばかりで、襲い来る絶望の気配に何度もみ込まれそうになりながら、それでもこれが自分の使命なのだと……


「……オイ? どうした、ミラ。さっきからボーッとして?」


 リオナの言葉で現実に引き戻された。

 大衆食堂の喧騒がウサ耳に届く。

 騒がしいことこの上ない。市民から苦情が入ったらどうするんだろう。


 その喧騒を作り出した張本人はと言うと、心配そうな台詞せりふを吐きながらも片手の杯は手放さず、何処か面白がるような含み笑いでこちらの瞳を覗き込んできた。

 全く、心配しているんだかしていないんだか。


(……でも、きっとこれが、リオナさんの魅力なんでしょうね……)


 存在するだけで周囲の不安を吹き飛ばし、言葉一つで場を盛り上げる。

 傲岸不遜に世界を見下しながら、手に届く全てを支配しようとする。

 この人はいつだって獰猛な笑みを浮かべながら、立ちはだかる障害を跳ねけて、自由気ままに己の道を突き進むのだ。

 そんな彼女だからこそ、自分は世界の命運を託すに足る人物だと思ったに違いない。


 長年の恐怖と使命から解き放たれた安心感で、少し夢を見ていたらしい。

 こんなところでほうけるなんてらしくない。

 これからは彼女のように自分勝手にやればいいのだから、過去をズルズルと引きずるようなのはもうやめだ。


 ミラは自分の眼前に置かれていた葡萄酒の入った杯を手に取ると、勢い良くそれを飲み始めた。

 それを見ていた周りの客達がそろって驚愕きょうがくの表情を浮かべ、どよめいた。


「ミ、ミラちゃんっ⁉ いきなり何を……」


「だ、大丈夫っ⁉ 普段『お酒はダメ!』とか言って、一滴も飲まないのにっ⁉」


 真面目な彼女の突然の蛮行に、客達はおろか、店員までその動きを止めて見入ってしまう。

 ゴクゴクと喉を鳴らして葡萄酒を半分程飲み干した彼女は、手にした杯をバンッとテーブルに置き、フウーと長い息を吐いて顔を上げた。


 恐る恐る彼女を見守る一同の前で、僅かに頬を赤く染めたミラが口を開いた。


「――っあああぁぁぁああああああっ‼ このお酒美味しいですねえっ⁉ おかわり頂けますかあっ⁉」


 とても彼女の口から飛び出たとは思えない言葉に、一同は一瞬沈黙した。

 だが次の瞬間、


「おおぉーー‼‼ いいぞおおぉーーミラちゃあんっ‼‼ もっとやれえっ‼‼」


 先程以上に盛り上がりを見せる客達に、ミラはフンスッ!と胸を張った。

 そんな彼女を見て、リオナはくつくつと笑いつつ、


「なんだ。オマエも結構イケる口じゃねえか」


「フンッ! これくらい当然ですっ! なにせ私は、月神〝チャンドラ〟の加護を受けた兎人族アルミラージですからねっ!」


 自慢げに笑う彼女に対して、リオナは、


「……いや、月神は関係無くね?」


 などという無粋なツッコミは飲み込んだ。

 ミラが珍しくこんなにも楽しそうにしているのだ。いつものキレのあるツッコミを連発する彼女も良いが、こっちの方が断然面白い。


(……なんか知らんが、どうやら吹っ切れたって感じだな?)


 そこでリオナは、更に面白くなりそうな一言を思いついた。


「そうだな……なら一つ飲み比べでもしてみるか? 勝った方が今日のおごりってことで!」


「いいでしょうっ! 望むところですっ‼」


「言ったな? 悪いがオレは強いぞ? 泣いて謝っても許してやらねえぜ!」


「リオナさんこそ、その勝気な態度真っ向からへし折ってやります!」


 ミラの宣言に、周囲が更に沸き立った。

 どちらが勝つかで賭けをしている客もある。

 食堂全体がもはや彼女達の勝負のリングと化していた。


 その様は、何処か感情のままに動くミラの雰囲気に、周りが飲み込まれていくようでもあった。

 そこに、以前までの少し無理して感情を作っていたような彼女はいない。

 自らの内に宿るありのままの気持ちを素直に表に出し、心から笑う彼女がいた。


(ハッ! これは予想以上に面白そうなヤツと出会えたみたいだな!)


 これから待ち受けるであろう二人の旅路を祝すように、二人は杯を酌み交わした。


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