04 リコッタチーズ

 目を覚ますと、見知らぬ天井。木目が古ぼけていて、落ち着かない。

「おはよう、アメリア」

 キイィ、と甲高い音が鳴って、足先の向こうにある木戸が押し開けられる。黒い長袖ワンピースを着て長い黒髪の毛先だけをきつく巻いた女性──アサミだ。

 半身を起こしていたアメリアは、アサミをキッと睨み付ける。

「今、何時」

「一八時を五分過ぎたところよ」

「何日くらい寝てた? 私」

「たったの半日よ。安心なさい」

 アサミは顔色を変えることなく、にこにこと笑んでいる。アメリアは、かけられている布団を剥ぎ、転がっていたベッドから飛び退いた。

「行かなきゃ」

「空腹で?」

「は?」

「何も食べていないのよ、アメリアは。そんな身体で、どこへ行けるとでも?」

 アサミの手には、銀製のトレイ。そこに乗るのは、トマトリゾット。リコッタチーズがアメリアの目を惹く。生唾ごくり、それを合図に胃が音をたてた。

「ほぉら。あなたの好物よォー」

「なにその言い方。怪しい魔女みたい」

「んっふふふ! あなたまで私を魔女だって言うのね」

「『あなたまで』?」

「アヤも、私のことを魔女だって言ったから」

 その名を聞き、アメリアは眼光鋭く眉間に皺を刻み、アサミへ詰め寄った。

「アヤはどこ?! 会わせてっ、今すぐ!」

「落ち着きなさいな。今、隣の部屋で寝ているわ」

「見せてっ」

「いいわよ。ただし──」

 アサミはアメリアの眼前へ、ぐいと銀製トレイを突きつける。

「──これ、きちんとすべて、平らげたらね」

 この笑顔には敵いそうもない。アメリアはそうさとり、溜め息に「わかった」と混ぜて吐き出した。

 寝転がっていたベッドへ腰かけるアメリア。膝の上に銀製トレイを置き、ステンレス製のスプーンを、躊躇いながら右手に持つ。

「大丈夫よ、警戒しないで。毒なんかあるもんですか」

「逐一心読むの、やめてくんない?」

「んふふ。アヤと同じこと言うのね」

 苦虫を噛み潰した口元をするアメリアへ、アサミはくるりと背を向ける。

「カケルの旧友なのよ、私。五日後、カケルもここへ来るわ」

「ホントに?!」

「ええ。だからあなたたちをどうこうしても、旨味がないことはご理解いただける?」

 半身を捻って振り返るアサミ。アメリアは、すっかり毒気を抜かれたように、従順にひとつ頷いた。

「食べながら聞いてくれるかしら」

 皿とスプーンの接触音を確かめ聴いてから、アサミはそっと口を開いた。

「アメリアは、彼を助けてどうしたいの?」

「彼?」

「ケン、とあなたが呼ぶ彼」

 表情を硬くしたアメリアは、リコッタチーズを睨み付けた。

「アヤが、ケンを望むから。私は、アヤとケンを引き合わせる。それだけ」

「アメリアの気持ちは?」

「そんっ……」

 アサミへ顔を上げるアメリア。言葉が口の中で宙吊りになり、未消化のまま胃へ戻る。

「関係ない。私は、アヤが望むことを叶えるためにいる」

 ざく、と強引にトマトリゾットへスプーンを刺すアメリア。顔をアサミから逸らし、独り言を装う。

「アヤは昔から、ケンだけを望んでた。アヤに悲しい想いだけはさせない。そのために、私は闘うすべを身に付けて、なんでもやるの。水さないで」

 低いアメリアの声色が、アサミお得意の読心術を不能にする。アメリアが無意識に護衛魔術を使用していることに、アサミは純粋に驚き、そして密やかに喜んだ。

「水を注すつもりはないのよ。アメリアが本当にどうしたいかを、知りたかっただけなの」

「私の本心は私が殺した。甦ることは無い」

 アメリアの大きな一口。トマトリゾットがそこへ消える。少ない咀嚼そしゃくを経て、アメリアは続けて乱暴に吐き捨てる。

「アヤの幸せが私の幸せ。それ以上もそれ以下もない。アヤが望むことを叶える、それが私の役目!」

 構うことなく、アメリアは強引に銀製トレイから皿を持ち上げた。滑り台となった皿から、スプーンでガツガツとトマトリゾットを、アメリア自身の口へと流し込む。味わいたかったであろうリコッタチーズの味などわからない。

 肩を竦めて、アサミはクス、と小さく笑った。

「そう。だから護衛魔術が秀でているわけね」

「ほンあンあうぇふぁあんお?」

「えぇ? なぁに? 噛んで飲み込んでからお話なしさいな。行儀の悪い」

 んぐ、と音がして、銀製トレイの端に置かれた切子きりこグラスのミネラルウォーターが、一気に空になる。

「そんなんまでわかんの?」

 サッパリしたアメリアの声色。アサミは眉を上げて「ええ」と簡単に返す。

「魔女だから、私」

 アメリアは、切子グラスを引っ掴み、アサミへ無遠慮に腕を伸ばす。

「水、おかわり」

「はいはい」

 切子グラスを受け取り、アサミは音もなく退室した。

「…………」

 階段を降りる足音がわからない。アメリアは耳をそばだて追尾魔術を試行したが、アサミがどこへ向かったのかは追えなかった。

 平らげたわけではないが、音を最小に銀製トレイ上をひとまとめにする。ベッドに銀製トレイを置き、アメリアはそそくさ立ち上がった。眩暈めまいはしない。眼球が吸い込む世界も鮮明クリア

 木戸を引き、すると金切り声でキイィと鳴くので、アメリアは思わず「シッ!」と人指し指を口へあてがった。わずか二〇度の角度だけ開け、廊下を窺う。

 部屋の外には誰もいない。人気もない。白い木肌の木製床板、壁板、天井。隅の方は蜘蛛の巣がモクモクとし、キノコが生えたであろう痕跡がちらほら。

 うえぇ、とアメリアは渋面じゅうめんを作る。

(隣の部屋、って言ってたけど。アヤはどっちに……?)

 三部屋あるうち、アメリアが居た部屋は中央。両端どちらかが「アヤが寝ている」とアサミが漏らした部屋であって。

 スルリ、二〇度分開けた木戸を抜けるアメリア。癖毛の黒髪が、木戸のささくれにわずかばかり引っ掛かる。

 直感的に右を選んだアメリア。その先は突き当たりである。人間には、奥から詰めて順に使用する深層心理がある。それを踏まえての選択だ。

 茶色の木戸。黒いヨーロピアン調の取っ手金具。触れようと、アメリアは手を伸ばす。

 握った。粗くヤスリがかけてある取っ手は、触り心地が不思議といい。

 取っ手金具を下へ、下げる。そのまま押し開ける際、金切り声を発さないよう細心の注意を向けて、木戸を睨んでいた、

「──アメリア」

「うぎっ!」

 声がかかった方──アメリアの寝ていた部屋の前。そこにアサミが立っていた。

「全部、食べたのよね?」

「たべ、食べたよ」

「残っていたらどうなるか。わかるわね」

 アサミの冷たい声色。ゾクリ、アメリアは背筋を凍らす。軽率過ぎた、と我が身を呪った。

「今、戻ります」

 取っ手金具から手を外す。

「閉めなさい、きちんと」

「は、ハイ……」

 バタン。木戸は隙間無く閉ざされる。


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