03 銀細工バレッタ

 かろうじて、アヤはピアノの演奏用椅子へ腰かけた。アサミはグランドピアノに腕を添えて立っている。

「アヤ、あなた魔術はどの程度できるのかしら」

「ワタシは、全然。出来ることは、その、歌を歌うこと、くらい」

「あら、立派よ。歌には魔術が混ぜ混みやすいって、カケルから聞いてない?」

 ふるふる、と癖毛を横へ揺らすアヤ。

「んもう、なんなのかしらあの男。いちいち腹立たしいわね」

 アサミがそうして腰に手をやると、アヤが「けど」と割り入る。

「アメリアは、優秀らしくて」

「そのようね。さっき見させてもらったわ。巧くガラス玉に変身していたもの、なかなかの高等技術よ、あれは」

 アサミは褒めのつもりだったが、しかしアヤはまなざしを陰らせる。

「アメリアが優秀な分、ワタシの劣等が目立ちますから。そういうのは、本人に言ってあげてください」

 アサミは口を噤む。スッと眼を変え、アヤの内情を読んだ。


 なるほど、アメリアとアヤは別人格で、あくまでも『他人』なのね。

 身体入れ物が同じだとも思っていない……のはアメリアだけ、のようね。アヤは、身体共有のことは理解している。

 記憶の共有は不可能。そう、だから共有の役割を私に託した、と。


 アサミはそこまでを読み、再び笑みを被り直す。

「ねぇ、アヤ。お腹空いてない?」

「え、おな、お腹?」

「おつかい頼まれてくれないかしら。私、生憎この店から出られないのよ。ね? 行き先は隣の喫茶店だから」

 アサミはそうしてくるりと黒のロングスカートワンピースを翻す。カウンターへ近付き、卓上の古いレジスターから千円札を二枚取り出した。レジスターは、掠れて錆び付いた「チーン」を言って、アサミへ従順に口を開ける。

「ブルーマウンテンの豆を二袋、あとは店主さんからオススメのサンドウィッチでも買ってらっしゃい。あなたの分だから」

 歩き戻りながら、アサミは一方的にアヤへそう告げる。アヤの目の前へ千円札を二枚差し向け、小首を傾げた。

「ブルーマウンテンは、カケルの分よ」

「カケルさん、ここへ来るの?!」

「ええ、五日後にね」

「そう、なの。よかった……」

 心底ほっとした表情をするアヤへ、アサミははあ、と聞こえない溜め息を漏らす。

「じゃあカケルのためにも、頼まれてくれるわね」

「はい。行ってまいります」

 ギイ、と演奏用椅子が鳴いて、アヤの起立を見届ける。

「その扉を出て左へ二四歩行くと、喫茶店の入り口よ。そこから入って、店主さんへおつかいのそれを注文してきてちょうだいね」

 アヤは、アサミからそっと札二枚を受け取る。小さく頷いたアヤは、アサミへ背を向けた。

「あ、待って。これを」

 声に振り返ったアヤへ、アサミは銀細工を向ける。

「簡易結界。この店の半径五メートル内にしか通用しないけれど、まぁ、無いより安全は保証されるわね」

 銀細工のそれは、厳密にはバレッタ。細やかな彫り装飾が成され、中央には花をかたどって桃色石英が埋め込まれてある。

 アヤの髪の長さは肩よりわずかに長いか、程度の癖毛。

「こうしてあげると、いいかもしれないわ」

 アサミは、アヤの両耳を隠す横髪サイドを束ね上げ、後頭部でバチリとバレッタで留めてやった。

「はい、行ってらっしゃい」

 ポカン、と呆気にとられるアヤ。アサミの笑顔に疑問符ばかりが浮かぶ。

「なぁに?」

「い、いえ。行ってまいります」

 駆け行くアヤを、アサミはそっと見送る。

 消えていたはずの壁の蝋の灯りがふたつ、ひとりでにボウと灯り直った。



        ▲▼ ▲▼



「紅茶派よね?」

「ワタシは、ですが」

「アメリアは?」

「お水です」

「そう。覚えておくわ」

 アサミはカウンターの中で湯を沸かし、銀細工の小洒落たティーポットから、古いバカラのティーカップへ、アールグレイを注いだ。

「砂糖はひとつ、ミルクはいらない、代わりにイチゴジャムをふた掬い。ふぅん」

「……心、読んだんですか」

「だあって。手っ取り早いじゃない」

「そんな笑顔で言われても……」

 癪に触るなぁ、とアヤは目を伏せる。

「そんなに大事? 『彼』が」

 びく、とアヤは肩をこわばらせる。顔を上げれば、アサミは柔らかく撫子色のショールを羽織直していた。

「大事、です。彼はワタシのことなんて、別に大事だとは思っていない、と、思いますが」

 それでも、とアヤはアサミへ顔を上げた。

「それでもいいんです。『ワタシの大事』を、大事にするだけ。大事な彼を、アイツから、救い出して……それで、それで……」

 出されたアールグレイの薫りに、くらくらとするアヤ。アサミは鼻呼吸で相槌を返した。

「彼が『アメリアを』大事だと思っていても?」

「…………」

 意地が悪いな、とアヤは苦く思う。

「そうなのよ、私イジワルなの。ごめんなさいね」

 まるで会話をしたかのような速度で、返答してくるアサミへ、アヤは顔を歪めた。

「ふふっ、魔女ね。的確だわ。ええ、私にふさわしい肩書きは『魔女』だわ」

都度つど心を読むの、やめてくれませんか」

「だから。読んだ方が手っ取り早いじゃない」

「それじゃ、会話の意味がないです」

「そうなのよねぇ」

 アサミはまばたきをゆっくりとひとつ。再び開けると優しく首を傾げた。

「あなたはどうしたいの。アヤ」

 アサミは、アールグレイには口をつけない。バカラのティーカップは、アヤへ出されたひとセットしかない。

 逡巡しゅんじゅんし、アヤはアサミと視線を絡める。

「彼を……らえられている彼を、ワタシが救い出したい」

「彼は『アメリアなら』と、思っているかもしれないわ」

 鼻先がムズムズとする。これは、涙の予兆。

 アサミに言われる一言一言が、聞きたくない言葉そのもので、アヤ自身が封印している『良くない考え』を彷彿とさせる。

「ワタシは、確かに歌しか歌えない。魔術は上手くない。それでも」

 ガタン、とアヤは、かけていたハイチェアから立ち上がった。

「それでも、ワタシに出来ることをして、彼を救い出したいんです」

 アヤの瞳が、淡く揺らめいている。これは、魔術の種だとアサミはさとる。

「健気なことね。ちょっと自己犠牲が過ぎる気がするけれど」

 アサミは瞼を伏せた。

「アヤ。何が歌えるの」

「楽譜があれば、一応、なんでも」

「そう。じゃあ手始めに、アヤにはここの結界を張るお手伝いをしてもらうわ」

「結界を張る、お手伝い?」

 不思議そうになぞると、アサミはクスクスと肩を揺らした。きつめに巻いた長い黒髪の先が、風に揺れる風鈴のごとく躍る。

「あら、知らない? ホント、カケルったら何を教えてるのかしら」

 カウンターからそっと出てきたアサミを、目で追うアヤ。

「歌──というか音楽には、結界を張る能力ちからが乗りやすいのよ。まぁ、私はピアノだけで結界も、睡眠も、天候も、引力も、自在にどうこう出来るのだけれど」

 魔女だからね、と、アサミは悪く笑う。

「大丈夫よ。怖いものじゃあない。ちょっと『追っ手の目眩ましの仕方』を教えてあげるだけだから」

 アサミはそうして、グランドピアノの鍵盤蓋を開けた。


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