第16話 ヴィルの強さ・片鱗(4)


 英雄の登場――それは、訓練所をさらに騒がせ、盛り上がることで落ち着くまでに数十秒も要した。

 それだけのことだった。特に最近の出来事によるのもあるだろうが。


「……さて、あまり長々と話すのも苦手なのでな……まずは、素振りからでも――」


 そうして、始まった現騎士団長代表による訓練が始まった。まずはじめに言うが……今までのものが生温く感じられてしまうほどハードなものだった。


「では、素振り一万回から」

『…………え?』


 有言実行、大きい体から溢れる威圧感がそうさせた。しかもそれを片手間のようにガリア団長も行っていたのだ。洗練され研ぎ澄まされていることが、ただの学生である俺でも素振りから伝わってくるほどだった。

 一体どれだけ血の滲むような修練を積んできたのか、想像を絶するようなものだろうと空気を求めて地面に寝転がりながら考える。他の者も、ついでに教官も皆同様に倒れていた。

 その様子をみていた英雄はというと。


「……」


 言葉を失っていた。信じられないものを見るような目をしていた。汗一つかいていないその顔は、原因を探るように険しく眉間にしわが寄っていく。


「……もしや、これしきのことで、か? こんなもの騎士の当たり前の準備運動だぞ」


 何かが崩れる音がした。





 根本的に体力がないと、走り込みから始まり学園・・を十周。様々な学院を含むここは広大な敷地で、ちょっとした森林くらいよりも大きいとされている。それを、十周。

 酸欠でリタイアする生徒が続出する中、優秀なクラスは汗だらけながらも喰らいついていた。基礎能力の差がここにきて現れ始める。


「はぁーっ……はぁーっ……」


 俺は、最後のクラスメイトが倒れる様を見送りながら走っていた。いや、もはや足が走っているのか歩いているときと速度が変わらないのかふらつく視界とぼやけた頭では判断ができなかった。それでも、愚直な時の経験が活きていた。何も考えずとも、体が反射で動いてくれる。一歩踏み出せば、また一歩踏み出してくれる。それ繰り返して、繰り返して。とっくに倒れてもおかしくはない。でも終わりがある。それだけで、俺はまだ動かすことが出来る。

 死ぬまで愚かに進み続ける、ただの弱者に……俺はなる。



 何週か遅れてしまったが、なんとか走り終えると糸が切れたように地面に横たわる。疲れ切って、息が上がり、呼吸が乱れている。

 辛い。ひたすらに辛かった。

 動こうとすれば、肺が軋み上げ全身が血の奔流ではじけ飛んでしまいそうなほど巡っていた。


「はっ……はっ……はっ……」

「うむ。よくぞ走りきった。その胆力は称賛に値する」


 いつの間にか膝をついていたガリア団長によって支えられ、褒められた。


「この走り込みで、マナ強化を行わずに走り切ったのはお前だけだ。誇るがいい」


 走ることだけに集中していたせいか使いたくても、使えなかっただけなんだが……やり切ったことには変わらないので、素直に喜んでおこう。汗だくで肌が服に張り付いて気持ち悪いが……


「……水の精霊よ。マナを通じて渇きを癒せ《清水》」


 イメージを固めるために魔術の発動手順を言葉にする。頭上からバケツ一杯分の水が生成されて、それを思いっきり浴びて汗を洗い流した。積極的に魔術を使って行こうと思い、先日見かけた《清水》という魔術を試してみるが、程よく冷たくて気持ちが良かった。

 マナの消費も少なく、使い勝手のよさそうな魔術だな。


「……ふぅ。よしっ」


 立ち上がって、再び《清水》を発動させ、喉を潤して妙に体力の回復が早いことに気付きつつ、別に害はないと判断して次の修練へと向かった。


 次はマナ強化を限界まで使用して、自分がどれだけ動けるのか。使用限界を確かめるらしく、リタイアした生徒やゴールしたエリートたちが我先にと保有マナの自慢や強化率の高さを誇っていた。3メートル以上跳んでみたり、かろうじて目で追えるレベルの攻防がなされていたりなど凄まじいかった。

 けれどどこか……幼稚なものにも見えてしまった。それは生徒をほめる教官も含めて。忘れてしまったのだろうか。魔獣の脅威を。つい先日のことなのに、急激に力が増すなんてことはないのに、誰もが自信満々にその力を誇示していく。


「ふむ……本当に、ぬるくなったものだな。平和な証拠かも知れぬが……戦時中、魔獣の脅威は失せたわけではないのだがな」

「……」


 それは俺が誰よりも否定することが出来ない言葉だった。


「さて。それでは、確認の済んだものから……俺と、軽く打ち合ってみようか」

『お、おおお!!』


 そんな落胆は無表情の奥に隠れて、激しい熱気で盛り上がっていく。

 英雄と戦えることが、それ自体が名誉なことだと喜ぶ。誰も最初から勝つ気なんてなくて、勝てないと知りつつも挑戦する気概を忘れていた。


「ただし――まとめて、かかってこい」

「……っ!?」


 武器がないことをこれほど感謝しただろうか。きっとあれば、恐怖で斬りかかっていた。

 濃密な撒き散らされた殺気が、首元に据えられたナイフのように鋭く突き刺さる。


「腑抜けた、学生。牙の抜けた教官。……はっきり言おう。『がっかり』だ」


 何かと思えば……今度はプライドを刺激してきた。貴族の多いこの学院の中で、そうもはっきり落胆なんて表せば……


「……(ぶるぶる」

「ひぃ……」

「ク……」


 誰も動けなかった。特にうちのクラスは酷い有様で、気絶している者もいた。そのほかもそこまでではないにしても、情けない姿だった。

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