第18話 秀吉の謀略と京極丸砦


 京極丸砦は浅井父子が守るそれぞれの城、小谷と小丸の間に位置する砦で、ここを落とせば父子の分断が図れる重要な位置にある。


「門を開けよ!」


 オババが怒鳴った。それで浅井側が簡単に開けるかと半信半疑だったが、京極丸の砦門は開いたんだ。

 門が開くと同時に、替え玉秀吉軍200名はなだれ込んだ。


 先頭を走ろうとするオババ。


 と、ふいに馬が止まった。

 車の急ブレーキに似た状況で、馬が暴れ、いななき声をあげて前足をバタバタさせている。オババといえばタテガミを掴み、振り落とされまいと必死にしがみついていた。


 その傍を秀吉軍200人が京極砦に向かって、怒涛のごとく走り込んでいく。彼らの息は荒く、戦いに向かう気迫に満ち、私はその熱気で身体がかたまった。

 馬は数秒で静かになった。くつわの先に九兵衛がいる。


「九兵衛」

「カネ、いやオババ、馬を降りろ!」

「なぜだ」

「こっから先はお前たちが行く場所じゃない。すぐ降りろ」


 オババは迷っていた。オジジが、つまり私にとってはしゅうとが、言っていた。(あの人はね、自分の行く道を遮られるほど怒ることはないんです)と。

 そうなんだ、九兵衛、知らないだろうけど、オババの道を阻むと怖いぞ。


 しかし、驚いたことに、弥助の手助けを借りオババは素直に降りたんだ。


「ついてこい!」


 九兵衛の気迫に仲間6人は従った。弥助にヨシ、トミとテン。私とオババを含めた寄せ集めの6人だ。


「どうした、九兵衛。京極砦に入るんじゃないのか」と、オババが聞いた。

「あれは羽柴殿の策だ。わしらは別の仕事がある。まあ、よくやった。この200の精鋭は本隊が崖を登るため、目くらましのおとりだ。その役目はこれからだ」

「本隊がくるのか」

「そうだ。ついてこい! 安全な場所で休もう」


 京極丸からは剣が交わる不穏な音が聞こえてくる。おそらく、囮の軍は門内にいた浅井兵に不意打ちを食らわしたのだろう。

 剣の音にまじって、ヒュンヒュンという音も、弓矢か!


「はじまったか」と、九兵衛は向こう側に目をやった。

「はじまった?」

「ああ、あの足軽と騎馬隊は精鋭だ。一騎当千のツワモノが揃っている。砦内での戦いがはじまったのだろう」

「いいのか、逃げても」

「いいんだ。われらの中で、実戦で戦う経験があるのはテンだけだ。これは人を殺せるという意味だ」

「しかし、敵の人数は圧倒的に多いよ」

「心配するな。合図のよもぎが匂ってきたとき、すでに勝負はついている。200人で砦内を撹乱かくらんしているスキをついて見張りの目をくらます間に本体が登ってくる。ほら、見ろ、見張り台から松明の合図が送られた」


 確かに高い場所で松明が揺れている。規則的に左右に大きく揺れている。

 あれが本体を呼ぶ合図なのだろう。


 京極砦内での叫び声が大きくなった。と、そのとき、静かだった夜の闇に別の気配が加わった。

 熱量というのか。大きな熱い波が押し寄せる気配がして、気づいたときには、まるでイナゴの大群のように兵がわいて出てきた。


 背負った旗から、それは秀吉軍だと、かろうじて闇のなかでも見える。秀吉の背旗は五三桐ごさんのきりと呼ばれ、色は黄色。夜の暗さにもよく映える。


 私は思わず後ろへ二歩三歩退いていた。


「ひざまずけよ」


 九兵衛が命じた。


「え?」

「戦い前の兵士は気が立っているんだ。間違って殺されるぞ、ひざまづけ!」


 兵たちが次々と近づいてくる。山の崖方面から殺気立った気配が登ってくる。


「アメ!」


 オババの声に我に返った私は、皆と同じように地面に膝をついた。

 足軽兵のあとに続いた、かぶとの武将がこちらに近づいてきた。


「そなたらは」

「明智のものです」

「うむ」


 鎧兜よろいかぶとの男がそれにうなずくと、京極丸へするどい視線を送った。背後からぞくぞくと兵は現れ、そして、門内へ向かっていく。


「そなた、名は」

「古川九兵衛と申します。明智殿の配下、足軽組頭です」

「して、なぜここに」

「は! この小谷山の配置に詳しいため、明智殿に遣わされてございます」

「ご苦労」

「は!」


 その会話の間も、ひっきりなしに京極丸へと兵が入っていく。俄然、内部からの戦闘音が大きくなった。

 悲鳴や雄叫び、戦闘の激しさが増していくが、おそらく、兵の数からして一方的な戦いになったであろう。


 堅牢な砦であろうと、門が開けば守りは弱い。

 まして、3000人対600人とすれば、その圧倒的な数に攻められた側は逃げ腰になる。


 悲鳴はひとしきり続いた。私は汗を拭った。


「九兵衛、いつまでここに」

「まあ、落ち着け」と、彼は顔をゆるめ、「ああそうか」と言って付け加えた。

「腹が減ったか。兵糧丸ひょうろうがんはどうした」

「まだ残っているけど」


 兵糧丸とは非常食だ。

 戦場での体力回復のための、いわば戦国時代のエナジーバーみたいなもので、大名家ごとにレシピがあったりする。


「今のうちだ。食べられるときに食べておけ。今日の夜は長い。我らが必要なのは、これからぞ」

「九兵衛さま」と、言葉の途中で背後から声がした。ヨシの声だった。

「これを」


 彼女は私の体をわざと肘でつつき、九兵衛との間に座ると、それから、丸く握ったおにぎりを差し出した。


「九兵衛さまこそ、お働きになるのに大切なお身体。これを召し上がってくんなまし」


 ヨシの声、オクターブ高い。

 よほど九兵衛に惚れているのか。ぐいぐいと体をねじ込んでくるヨシに場所をゆずり、私はオババの横に下がった。


「アメよ」と、オババが軽く笑った。

「女の戦いも、なかなか熾烈しれつだな」

「オババ、私は戦ってないですが」

「あそこで戦ったら、私が怒るわ」

「ヨシをですか」

「アホな。嫁のほうじゃ」


 オババの肩が震えている。おそらく、笑う場合じゃないと思っているのだろうが、だってオババにとっての最愛の人は息子。そして、その嫁が目の前で不倫って、そりゃ、悩ましい問題だろうけど、滑稽こっけいでもあった。

 だから、肩が震え笑いをこらえている。まったくもう、すっかり遊ばれている。


「それにしても、オババ様。なんてことを」

「いや、こんな経験ははじめてだ。生きたな」と、オババが笑った。

 

 生きた。

 確かに、この時代は命を実感する。まるで手のなかに自分の命が燃えているような臨場感を覚える。


 私はオババの視線を避けるために目をそらした。なぜかバツの悪いこと考え、それをオババに見透かされたような気分になったからだった。


(第二部第1章 了)

(第二部第2章最終章につづく)

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