第2章 最終章

第1話 織田信長の華麗なる進軍


 京極丸と小丸城、二つの城が落ち、浅井長政の本丸を残すのみとなった。

 長い戦いの夜が終わり、朝が始まろうとしている。


 チッチッチッチッ……。

 おだやかな朝靄のなか、鳥の声で私は目覚めた。体の節々が痛いのは野宿をしたからだろう。

 九兵衛とヨシはもう起きている。


 昨夜、暗くなってから始まった戦闘は未明に終わり、その後、その上に建つ小丸城を攻略、浅井長政の父は自害して果てた。


 先に起きていたのだろう弥助が隣に来た。


「アメ殿、あっちの砦でまかなっていた汁を持って来ました」


 弥助は筒にいれた汁を私に手渡してくれた。


「朝が早いな、弥助」

「さて、我らは今日どうするんで」

「歴史上では、浅井長政との最後の戦いがはじまるんだ」

「はあ」


 昭和初期から意識が入れ替わった弥助は尋常じんじょう小学校で習った歴史しか知らない。


「お市の方を救いに行くと九兵衛は言っているけど」

「お市の方ってお館さまの妹殿でしたか」


 弥助の知る国史は非常に偏っている。天皇家の歴史は詳しいが、その他はほとんど無知に近い。時の政府の都合で教科書が全く違うことは本当に驚く。弥生時代とか縄文時代とか、聞いたこともないだろう。天孫降臨で日本の地はできあがったのだ。


「そう、信長殿の妹よ。歴史的に非常に重要な女性なんだ。生き延びてもらわなければならない」

「はあ」

「特に彼女の3人の娘、未来には天皇家につながる子を産むんだから」

「えっ!」


 弥助の背筋が、わかりやすくすっと伸びた。弥助は文字通り天皇が神という教育を受けている。


「アメ殿、これは大事であります」

「そう、救わねば」

「わかりました。弥助、この命に変えてお市の方をお守り申す」

「でも、命はかけないで欲しい、弥助」

「私の命は聖天さまのものであります」


 弥助は涙が出るくらい素直で、まっすぐな性格だ。

 真面目な顔をする彼は30歳過ぎの背の低い、いかにも農民という姿をしている。しかし、彼が守ると宣言したとき、その顔の奥に20はたちの若く頬の赤い青年兵士の顔が透けて見えた。


「弥助の命は大事なんだよ」


 私は他に言葉がなかった。自分のために生きる。その普通の考えを彼の時代は拒否する。彼の受けた言論教育と環境では考えることもできなかったろう。まだ、戦国時代のほうが自由があったと思うくらい。


 さて、織田信長は小谷山の頂点にある砦『大嶽砦おおづくとりで』を先に落としたことはご記憶だろうか? その後、逃げる朝倉義景を追って一乗谷まで遠征、これを討ち取ってきた。今、その足で、ついに浅井長政に牙を向いた。


 大嶽砦は朝倉の父が居城とした小丸城のさらに上にある。この砦には逆側から登頂することができ、朝倉義景が浅井を見捨てたために、その道は開いていた。


 織田信長という男は非常に理詰めで考える男だと思う。

 とくに、戦いの計算は他に類をみない天才。彼は損をしない。つまり勝ち戦でも、のちの利を考慮して、より損害の少ない算段をする男だ。


 浅井の住む小谷城は天然の要塞と言われるだけあって、その山道は険しい。裾からの道は幾重にも砦が設置され、途中には守りを固めた門も多い。正攻法で正面から戦えば味方の損失は大きい。昼日中に攻めては、上から矢や銃弾が飛んでくるのは必至で、死に物狂いになった敵ほど厄介なものはないことを知っていた。


 では、どうする。


 実際の歴史資料では、その方法までは書いてない。とすると、想像の余地が入るわけで、もし私であったら、山頂、つまり大嶽砦から下って攻める方法を選ぶ。


 秀吉が小丸城を落とした時点で大嶽砦から小谷城への道が開けている。逆に言えば、下からの道はまだ攻略できてないが、上からなら簡単だった。


 そう、信長は上から下へと進軍してきた。


 私が弥助とお市の方の話をしていた途中で、山の上からドッドッドッという規則的な音が聞こえてきた。

 大軍が山を降りる、なんとも形容のしがたい圧力を感じた。


 秀吉軍ではない。それらは、瞬時にその場の空気を変えた!


 軍団の真正面に朝日が射し、まるで彼らのために手配したような光の道を、圧倒的な威圧感で進んでくる。


 この兵団は何かが違う。整然として、周囲を睥睨へいげいする怖さがあった。先頭を行く武将もみな背が高く身体つきもいいんだ。


 軍団を前に、誰もが言葉を失っていた。ただただ神に接したかのような驚きと崇敬の念とともに平伏して迎えた。


 これが織田信長のエリート精鋭集団。選ばれし者たち赤母衣衆あかほろしゅう黒母衣衆くろほろしゅう。彼らは、一人の男を包むように進んでくる。


「九兵衛」と、私は九兵衛の近くに行き声をかけた。

「信長軍がきた」


 九兵衛は控えていた。

 私の声が聞こえなかったのか返事をしない。

 固まったようにすわり、その横にいたヨシも同じように無言だ。


 グッと奥歯を噛みしめ、それは無表情というより、怒りといった言葉が似合っていた。


 私たちの面前を、砂埃をたて信長が誇る精鋭部隊が通り過ぎた。


(つづく)

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