第12話 小谷城の戦いに秀吉の謀略は
「オタクとは何なんでありましょうか?」と、背筋をピンと伸ばした元陸軍兵士に聞かれるって、なかなかにシュールな状況にいるんです、私。
困った、そういうの。だって、この状況で、どう説明したらいい。
聞いた相手は弥助という昭和初期からタイムスリップした男で、聞かれた私は21世紀からタイムスリップした歴オタ。
浅井長政を滅ぼす戦場に向かう私たちにとって、オタクの何かが、どれほど重要かって問題も別にある。
で、一応はやってみたよ。私、基本的には親切な人間だって思っているから、たとえ、ゲジゲジが苦手でも。
オタクの説明を試みた。
でも、その前に……。
天正元年(1573年)、名門の浅井長政が住む「小谷城」は、周囲を峻厳な堀に囲まれた天然の要塞だった。
攻略する側は石がゴロゴロする滑りやすい山坂を登っていかなきゃならない。その先には弓矢隊や鉄砲隊が囲いを盾に待ち構えているって、信じ難い罰ゲームが待っている。
どんなクソ度胸があれば、左右を掘った塹壕のような掘を、上からは丸見えの細道を登ることができるだろうか。
弓が降ってくるんだよ。あるいは、石とか米俵なんかも落ちてくるかもしれない。
狭い道だから、一列縦隊くらいでしか上に登っていけないんだ。
先頭から順番に狙い撃ちされるってわかっていて、なお、そこを登るってのは、勇気じゃなくて、単なるバカ!
戦国時代の人間だって自分の命は惜しい。怖いし、痛い思いをすれば苦しい。死にたくないって思っている。
だからこそ謎だった。
羽柴秀吉は旧暦8月27日の夜半、つまり、今日。それも数時間後に3000人ほどの兵で坂を登り浅井を滅ぼすため、京極丸の砦に向かう。
どうやって?
普通はできないから、浅井側もその点については安心していたにちがいない。
で、横山城の牢から解放された私とオババと弥助を九兵衛とトミとヨシとテンが待っていた。
「これから、清水谷にいくぞ」と、九兵衛が鼻をすすった。
私は驚いた。
「なんで、九兵衛が」
「いやな、秀吉軍に合流してこいと言われてな」
「秀吉は謀反で明智光秀の城に囚われていたはずじゃない」
「ま、そういうことだ。でな、逃げ出した秀吉殿は浅井殿に助けを求めた」
「助けを」
「そうだ」
「助けをね。私を牢に入れといて」
「そこはそれ、巫女殿に妙なことを言われては計画がの。だから、大変だったぞ。解き放ってもらうためにいろいろとな」
「あ〜〜、奥歯にものが挟まったような言い方せんでいいから。おかげで、私は天敵ゲジゲジに遭遇しちまったじゃいか」
「ゲジゲジって」
オババがにやりと笑った。
「アメはな、九兵衛。多足類が苦手なんだ」
「た……そくるい?」
うわ、また話がややこしくなってる。
「ゲジゲジはいいから。つまり、秀吉は謀反したわけじゃないけど、したことになったと」
「そういうことだ」
「浅井側が、よくまあ、そんな
「調略した
「浅井長政は阿閉の裏切りを知らないのか」
「そうだ。行くか」
「え? 選ぶことができるの?」
「いや、それはない」
私たちは横山城から馬で小谷城の下にある谷、清水谷へついた。
「こっちだ。
「3000人が?」
「なぜ、そんな数を。いいか、巫女よ。これからは口を閉じといてくれ」
弥助が馬を引きながら振り向いた。
「アメ殿」
「なに、弥助」
「本官は、あなたを尊敬します」
いったいなにを急に言い出した、弥助。
彼は昭和初期に226事件を起こすはずの下級兵士だ。そんな彼に尊敬されるようなものが私に?
「本官は尋常小学校もまともに出ておりません。国史などほとんど知らずにおりました。せいぜい、聖上天皇の」と、言って彼は背筋を伸ばした。「お成り立ちはよく勉強いたしましたが」
「弥助、それで?」
「アメ殿が歴史に詳しく、それは素晴らしいことだと思うのであります」
「いや、これはオタクってだけで」
「オタクとは?」
というわけで、ここで冒頭に書いた、オタクの説明をしなきゃならなくなったんだ。
「私の時代では、オタクが多いんだ。もともとはポップカルチャーの愛好者が」
「ぽっぷかろたあ……」
「それは大衆文化というか。アニメを好きな連中が」
「アニメ?」
「アカン、これから激しい戦闘に向かうってのに、キングダムとか説明したくないわ」
「は、はあ?」
「ま、ともかく、その道を極める人をオタクというんだ」
「なるほど、アメ殿は歴史を極めた、専門家なんですな」
ちゃ、ちゃうわ。
けど、ま、いい。たった80年ほどの年数差で、ほとんど文化を共有してないって、それだけはよく理解できた。
すごく理解した。
日本人は戦前戦後で、なにかとてもつもなく変化したようだ。
鈴虫の声がひときわ強く聞こえてきた。
もう、秋はそこにいる。
戦国時代も現代も変わらないものはある。
それは季節のうつろいや、虫や、それから星とかの自然なんだ。私たちがオタクになろうが、天皇を神と信じていようが、浅井を討って出世しようと考えようが、自然は、いつも同じように、そこにある。
(つづく)
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