第11話 牢からの解放
気を失っているうちに——なぜ、気を失ったかは、ゲジゲジ問題があって……。
ともかく、ゲジゲジに私は生理的な根深い恐怖をもっている。
意識を失って、それでよかった。その夜、私は目覚めないおかげで、第2、第3のゲジゲジ襲撃に耐えきった!
翌日、夕刻近くになって牢番が来た。
「出ろ!」
彼は牢の鍵をあけて私たちを解放した。外にでると、すでに薄暗くなりはじめていた。晩夏の空気が秋の気配に押され、風に優しさがあった。
「アメ!」
明るい声がして、目をこらすと、そこに数人の人がいて。
「九兵衛!」
「おうよ」
九兵衛と彼が集めた足軽の仲間たちが立っている。
トミやヨシ、おおっと、滅多に人前にでないテンさえいたんだ。数日離れただけだったが、家族に会えたような暖かさと懐かしさを覚えていた。
「トミ! トミさん、みんな!」
「カネいやオババ、アメ、大丈夫だろうと思っておったが、いきなり牢に入れられるとは、いつも通り、底抜けてるんやなぁ」
「へへ」
トミは大股で近寄ってくると、大きな手で私の頭をバンバンと叩いた。
「痛いから」
「そうか、痛いか。生きててよかったわ」
「生きてるわ」
「ところで、そっちの男は」
「ああ、弥助さんだ。織田信長さんが私につけてくれた下人」
「まったく。牢に入れられたと思ったら、下人も一緒とは、ほんま、あんさんは……」と、言葉の途中で、トミは声をつまらせた。
「心配したえぇ」
「うん、怖かった」
「牢はな、そりゃ、怖い」
「いや、ゲジゲジがいて。それが30センチもあって」
「さんじゅせん……、また意味のわからんことを。こりゃ、確かに、我らのアメや」
そう言ってトミは笑い、九兵衛がそれにつられ、ヨシはふんと横を向き、テンは無表情に立っていた。
「センチって、ま、気にしないで、つまり、えっと、大きい虫よ」
この単位問題は戦国時代で一番困ることだった。
例えば、アメリカ人に英語を話しているつもりで、車の「ハンドル」と言っても、全く通じないとわかった時の驚きに似てるから。
ちなみに、車のハンドルは英語では「Steering wheel」だそう。
こういうの、ほんと困る。誰だか知らないけど、車の「ハンドル」という言葉を日本に伝えたやつ、少し反省して! たぶん、10割の日本人は英語だと思ってるから。
え? みんな知ってた?
うっし、さ、気をとりなおして、次、いこ。
センチとか時間とか、普通に思っていたことが、時代が異なると常識じゃなくなる。
戦国時代の長さは寸とか尺とか使って、今の単位とは違っている。
ちなみに、1
これ、換算するには難しすぎて、混乱しないかい。
だから、この場合、「1尺より、ちょっと小さい」って言えば、彼らにも理解できたんだ。ま、すぐ、そんな計算なんてできないけど。
「じゃあ、行くぞ」と、九兵衛が言った。
「行くって、どこへ」
「さあ、詳しくはわからんがの。竹中様に従えと斎藤様から連絡がきての」
「明智さんの家臣から」
「アメよ、何度言ったらわかる。いいかげん、その呼び捨てをやめんと、また、牢にぶちこまれるぞ」
え? ちゃんとさん付けしてるけど。
あっ、そうか。忘れていた。さん付けって江戸後期から使われる言葉で、ここではまだだった。
「あ、明智殿!」
「そうじゃ」
「わかった」
「しかし、牢でよほど怖い目にあったようだな」
「聞くな」
「いや、アメがな」と、オババが言った。「ゲジ……」
まさかゲジゲジで気を失ったなんて、私は思わずオババの口を塞いだ。
「よし、元気ならいい。腹ごしらえして、それから出発だ」
「どこへ」
「清水谷だ。できるだけ目立たぬように、こっそりと行けと言われておる」
すぐにわかった。それは京極丸だ。
小谷山には浅井長政が住む小谷城、その父、浅井久政がこもる小丸。そのちょうど中間に京極丸という砦があった。
この砦を落とすことでそれぞれの連携を分断、浅井は滅亡することになるんだけど、ここに今もはっきりしない謎が残っている。
いったい戦国時代の5大山城と呼ばれた、小谷山にある砦を、どう攻め落としたのかという所だ。屈指の要塞で簡単に落ちる城や砦ではないんだ。
この城の周囲には
とくに、
城に向かう山の急斜面にある堀で、京極丸砦を攻めるには、この堀を登っていく狭い道しかなく、横に広がれないので攻め側は無防備になる。弓や火縄銃で狙われたら一たまりもない
小谷城を攻め滅ぼしたとはわかっているが、いかにがわかっていない。
士気の落ちた浅井の城を、ただただ力攻めしたという話もあるが、実際はどうだったのだろう。
羽柴秀吉は信長に
「まさか、秀吉軍が正面から浅井の城下町に入るのか?」
「だからこそだ。羽柴様が蟄居したという噂、やはり臭うだろう?」
「信長殿の不興をかったという噂はそのためかもしれない」
情報戦というわけか。
「浅井側のある城に入るんだが、そこはすでに、羽柴殿が調略している」
これは、漠然とした不安なんかじゃない。明らかに危機が迫るときの恐怖を感じた。
(つづく)
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