第6話 昭和初期の男と戦国時代
「そう、竹中半兵衛は横山城にいる。場所わかる?」
弥助は鼻をこすると、髭面の日焼けした顔でニッとわらった。
「それほど遠くはない。2里もなかろう」
「2里とはどのくらい」と、オババ。
昭和初期に生きた弥助の時代は、まだ距離に里を使っていたんだ。たしか、1里は正確には覚えてないけど、4キロ弱だったはず。
ということは、8キロもない距離ってことか。
「オババ、ここから歩いて2時間もない。馬なら、もっと早い」
「行くぞ、アメ」
「オババ、馬に乗れるの」
「ふん、若いころは乗馬クラブの女神と呼ばれておった」
嘘や! 女神のところは。
ほんと、うちの姑、なんでも手を出すから。馬を乗りこなせても、私は驚かない。
「よし! 行こう」
「弥助、ついてきて」
「へぇ、わかったですで」
弥助、下人に戻って返事をすると、ニッと笑った。
そうだ、私たちはあの刀根坂の戦いから数日かけて戻ってきた仲間だった。たとえ彼が陸軍軍人だったとしても、そんなことは関係ねぇよって、その顔が笑っていた。
竹中半兵衛は軍師として横山城にいる。この時期なら浅井長政の家臣調落にいそしんでいたはず。
それにしても、弥助は彼を知らないと言う。
なぜなんだろう?
弥助も私たち同様に未来から来た人間だが、彼が生まれたのは大正はじめ。
226事件の歩兵第一連隊で青年兵士の一人だった。
とすれば、貧しい家の出身だろう。
これ、思い込みじゃないから。差別でもないから。
昭和11年頃、当時の少尉が下級兵士の惨状を嘆いた文書を残しているんだ。
『食うや食わずの家族を後に、国防の第一線に命を致すつわもの、その心中はいかばかりか。この心情に泣く人幾人かある』
弥助が戦国時代に意識が飛んだのは昭和11年の2月25日から。
冬の寒いさなかに気づいたら縄に繋がれて歩いていたという。
騒ぐと奴隷商人に棒で殴られた。
彼は訳もわからず、織田家の奴隷として売られた。
「この時代をどう思った」
「どう思ったもなにも、ワシの時代と貧しさは変わらん。だから、最初は誰かの策謀だと思うたわ、人買いに売られたと思うた。ワシの時代でも身売りは多かったからのう」
昭和初期、庶民は戦国時代と同じ様に厳しい生活だったろう。
「そのうちに、妙だと気づいた。列車も街灯もない、人の格好も奇妙だ」
「それで、奴隷として信長殿に仕えているのか」
「そういうことじゃ」
「あっちでは何歳だった」
「22歳だ」
「今は30歳くらいに見えるけど」
「いきなり8年も損したということか」
「いや、そうでもない……、と思う」
いや、逆によかったのだ。
そのままあの時代にいたら、彼の部隊は226事件を起こす。
将校レベルは銃殺刑。そして、加担した下級兵士の多くは懲罰的に支那(当時の中国)に送られ、過酷な最前線で亡くなったものが多い。
彼ら下級兵士は226事件に自ら加担しようとしたのか、それとも上官に従っただけなのか。この当時、部隊の上官指示は絶対服従で、知らずにクーデターに加担した哀れな兵士は多かったと聞く。
「当時の上官、なんて名前だっけ」
彼はいきなり背筋を伸ばし最敬礼した。
「陸軍歩兵中尉、丹生誠忠殿であります」
「じゃあ、その翌日、なにをするのか知っていたの?」
「翌日?」
「そう、翌日」
「あの日は、翌日に大規模な訓練があるから準備を怠らないようにと言われておった」
そうか、やはり知らずにクーデターに加担することになったのか。
尋常小学校の時代だから、たぶん4年間の義務教育くらいを家の手伝いをしながら弥助は受けた。とすれば、歴史を知らなくても奇妙ではないんだ。
それに、歴史教科書は今とは全く異なっている。
まずは天皇家の系譜からはじまる。それも
第2巻には、織田信長や豊臣秀吉などの記述が少しあった。
時代によって、教科書って本当に違う。だから、弥助、まったく歴史を知らなかったんだ。
(つづく)
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