第20話 これが信長!

 

 こ、これが信長!


 鼻筋が通り、切れ長の目が美しい。それにもまして、なに、この威圧感は。

 実際の身長より高く見えるのは気のせい?

 あ!

 視線が合っちまった。


「なんという名じゃ」


 これは、地味にはじめてのことだったんだ。

 明智光秀にあったとき、光秀は私を「女」と呼んだ。この時代、みな、私を「女」と呼ぶ。初対面で名前を聞いた男、それも天下人が庶民の名前を聞く。

 この男は……、


「答えよ」


 こちらに向かう顔が優しくなった。


「アメ」


 思わず自分の本名を明かしてしまった。


「アメか」

「何用じゃ」

「朝倉義景が逃げましたことをご報告に」と、九兵衛が言った。

「思ったより早いな。どうしてそれを知った」

「朝倉軍内を偵察、逃げてきました」

「そなた、名は」

「明智十兵衛光秀の配下、古川九兵衛と申します」


 九兵衛、いつもより言葉が硬い。緊張しているのか、まだ頭を下げ、右手は地面についたまま視線をあげない。


「明智の間者か」

「は!」

「よう知らせた」


 九兵衛、大事な情報が抜けている。


「しかし、まだ、こちらの先陣は追いかけておりません」と、私は言った。

「それは、誠か、アメとやら」

「はい」

 

 一瞬の呼吸だった。だらけた彼の身体に緊張が走り、皮膚の水がはじけ飛んだ。


「馬引けぃ!」


 いきなり、信長が怒鳴った。


「利光!」

「は!」

「全軍、出立! 本陣に知らせよ! 先陣の様子を調べよ」

「は!」


 矢継ぎ早に指示を叫びながら、信長は甲冑を受け取り、あっという間に身支度していた。


「そなたたち、ついて来い。馬に乗れるか」

「は!」

「いやいや、私は」と、慌てた。

「ついて来い。道案内せよ!」

「は!」

「でも、私は馬なんて」


 信長は、すでに供を引き連れ去っていた。

 遠くから「2頭の馬をあやつらに渡せ」という声が聞こえてきた。


 おいおい、馬なんて。子どもの頃、長野県にある牧場でポニーに乗った経験しかないから。


「九兵衛、私、乗れないから」

「ワシが乗せてやる」


 ええい、そういう問題じゃない!

 マチがどうか知らないけど、基本、現代の私は絶望的に運動音痴なんだ。


「馬、ひけい!」


 信長の声が聞こえる。

 彼の愛馬“鬼葦毛おにあしげ”は名馬として名高い。


 さし毛のはいった灰白ぽい葦毛馬で、サラブレットの名馬オグリキャップが同じ毛色だが、もっとずんぐりした姿で気性が荒い。信長が近づくと、ひと鳴きしてから足踏み、タテガミを振った。


 鬼葦毛は気性が荒く人を選ぶ。

 毎日、騎乗訓練を怠らなかった信長にとって、なによりも、この馬に愛情を感じているようだ。対するとき目が和む。


 信長は。一瞬、愛おしそうに馬を眺めた。

(これから無理をさせる。許せ)とでも話しかけるように、ポンポンと背を叩く。まるで戦友に対する愛情あふれる行為で、次の瞬間、愛馬にまたがっていた。


「アメとやら。朝倉はどちらに向かった」

「北西へ。越前の一乗谷城。まず刀根坂を超え疋田城へ向かうはずです」

「それは道理じゃ。して、刻にして、どのくらい前だ」


 刻? 時間か、でもどのくらい?

 関東なら、晩夏の日の出は午前5時くらい。琵琶湖周辺でも日の出にそれほど差がないと考えれば計算できるはず。

 急ぐんだ。信長が待っている。


 うわ〜〜、その目、するどく心にまっすぐ突き刺さってくる、その目。

 私は頭を振って、邪念を払った。


 考えろ!


 今朝、朝倉陣地で目覚めたときには、すでに太陽が登っていた。

 この時代、いつもなら薄暗い時間から人々は動きはじめるが、前日の逃走でみな疲れていたのだろう。


 たぶん、午前6時くらいに起きたと考えれば、準備して兵が出立するには1時間くらいは必要だった。そこから、ここまで歩いてきた。

 おそらく、午前7時過ぎ頃か。兵を抜けた時、太陽の位置はまだ東にあった。

 それから、今は、まだ東寄りだが、ほぼ真上。

 とすると、3時間は過ぎている。


「ほぼ1刻半」

「あい、わかった!」


 信長は、ふっと唇を左にゆがめた。そして、


「馬に乗れるか」と、聞いた。


 私は首を振った。


「ついて来い! 面白いものを見せてやろう」


 ついて来いって、ついて来いって。

 だけど、どうついていける。


 兵が整列しはじめている。


 本隊を呼んだなら、3万か。いや、先陣が遅れたのは歴史的事実、では、ここにはおそらく信長精鋭隊1000人というところが、まず集まっているのか。


「アメ、馬がきたぞ」と、九兵衛が言った。

「馬……」


 私は絶望的な目で下人が引いてきた馬を見た。

 戦国時代は現代のサラブレットのようなスマートな馬ではなかった。ずんぐりむっくりというか。背が低く、足が短い、腹が出て、顔が大きい。


 これ、馬の話だからね、あくまで、戦国時代の馬の話だからね。


 木曽馬や北海道にいる道産子馬などにDNAが残っている日本の在来種で、どちらかといえばポニーに近い。


「アメ、乗せてやる」


 九兵衛が隣で言った。


「無理だ、ぜったい無理」

「では、ここで待つか」


(つづく)

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