第16話 信長直属の精鋭部隊はスター級
戦国時代、武将や足軽が移動した距離を考えると、私は目眩を感じると同時に尊敬の念さえ覚えてしまう。彼らの身体能力は過酷な生活で鍛えられている。特に、スピードと機動力を鍛えた織田信長には、それを可能とする精鋭部隊がいた。
文武両道に秀で、器量にすぐれた若者を集めた赤と黒の直属精鋭部隊。
いわゆる、
母衣とは弓矢を防ぐための武具で赤か黒の母衣を背負った彼らはカッコよかった。本当にカッコよかったんだ。当時としてはね。
現代人から見ると、あって思うのだけど。
この「あっ」は、例えば、バブル期の派手メークを今見ると、「あっ」てなるのと似ている。まあ、当時としては最先端だったけど。
でも、信長直属部隊って聞いただけで、今の時代でもちょっとドキドキしない?
彼らが馬を駆ると、みなが指さす。
「あ、あそこに赤母衣衆がいる!」
ヒーローです。
一般兵たちが彼らを憧れ恐れた理由は、部隊の戦功を見極める役目も担っていたからだ。母衣衆は信長にもっとも近い位置にいる。
彼らの報告次第で
信長が知略に長けるのは、こうした部下の使い方が見事なこともあった。
黒母衣衆は馬廻り衆の若者から選抜されたエリート。
赤母衣衆は小姓から選別されたエリート。
天正元年(1573年)当時、黒母衣のトップは川尻秀隆、赤母衣のトップは前田利家だった。この2つの部隊を競わせることで、さらに、グループ内の戦闘能力も高めていた。
朝倉義景が敗走するのを追ったのも、この信長が誇る精鋭部隊だった。
彼らに全速で追われたら、そりゃ、朝倉軍内の兵たち、心が折れるって。それも前夜に嵐のなか奇襲をかけられ、あっという間に制圧された後に、それはおきるんだ。
と、その前に。
まずは奇襲を受けた翌朝、朝倉陣内の混乱に話を戻したい。
翌朝、朝倉義景、自ら大慌てで逃亡しはじめたんだ。
「こらあ、早く馬を引かんか! コシはないのか! 何をしておる」などと、義景はオロオロしていた。
もうね、逃げる気まんまん。
これには下人たちも絶望した。それはやる気のない目つきですぐにこちらにも伝わってくる。
逃げ帰った兵を吸収しても、兵の士気はダラ下がりで、これを義景が発破をかけて勇気つけるなんて、そもそもパニック状態の彼には無理な話だった。
意気消沈という言葉、これほど似合う軍団もないと思う。
この時の様子を書いた「信長公記」には、
『義景立出馬ニ乗タマヘバ、右往左往ニサワギ、下人ハ主ヲ捨テ、子ハ親ヲ捨テ、我先我先トゾ退ニケル』と残っている。
現代でもそうだけど、倒産する会社は社員のモチベーションは低い。これから立て直そうなんて気概がない。みな、どう沈没する船から逃げるか、それしか考えていない。
私たちは朝倉の陣で混乱を見ていた。
「九兵衛、逃げるのは難しくなさそうだ」
「だな」
「いつ逃げるか」と、私は武具をつけながら囁いた。
「とりあえず、食えるものは食っておこう」
武具を整え、いつも通りのまずい飯を食べた。
もうこの時点で逃亡した兵は多かったと思う。
朝倉とその家臣が陣を出ると、続いて足軽たちも後ろに従った。
大雨のあと、ぬかるんだ道に足がすすまない、だらだらした行軍がはじまったんだ。途中、私たちは道の窪みに隠れ、こっそりと抜けた。
気づいた足軽もいただろうが何も言わない。彼らもまた、心のすみで逃げようと考えているのだろう。
「で、どこへ行く」
「
「丁野山砦? 朝倉側の砦か、確か平泉の僧が守っておるはずだ」
「そこよ、そこに行く」
大嶽砦を落したのち、信長は丁野山砦に攻め込む。
ここでも兵を逃したはずで、その兵がこちらに来た気配はまだない。
とすれば、信長はそこか、小谷城前に設置した虎御前山の砦に戻っているはずだ。
小谷山から北東の越前方向に朝倉軍は戻っていく。
越前にある一乗谷城が最終目標で、そこは現代の高速道路で考えると、この琵琶湖の北東の地から約100キロほど離れている。
歩きも多いので、飲まず食わずで10時間歩いたとしても2日間ほどの行程。しかし、実際には山超えもあり3日以上は少なくともかかりそうだ。
私たちは、小谷山の下で行軍を抜け、その逆方向の南西に向かった。
昨夜の大雨で川は増水し、道は泥でぬかるんでいる。
足の裏がゴツゴツして痛んだが、我慢した。
ワラジと足の裏の間に小石が入り込み歩くたびに痛むのだ。
二人になったとき、九兵衛に声をかけた。
「ちょっと待って」
「どうした」
「ワラジの間に小石が詰まって、右の足裏が痛むんだ」
「見せてみろ」
九兵衛が屈むと、膝に私の右足をのせた。
「あ、それは、九兵衛、膝が汚れる」
「今更、汚れるもなかろう」
彼は器用にワラジの紐解くと、足裏にこびりついた小石を取り除き、それからワラジを払った。
「なあ」と、九兵衛が言った。
「ワラジの履き方が下手すぎだ。結びなおしてやるから、左足も出せ」
いい男だと思った。ほんとにいい男だと思った。
(つづく)
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