第17話 織田信長と彼のマヌケな仲間たち


 ずっと不思議に思っていることがある。

 天正元年(1573年)晩夏、名門朝倉義景が今でいう自死する数日前。


 織田信長は大嶽砦おおづくとりでを落とすことで、義景が戦わずして敗走すると読んでいた。


「朝倉義景が逃げたとき、すかさず追撃してトドメをさせ!」


 信長の指示は非常に明確だったんだ。

 先陣として佐久間信盛、柴田勝家、羽柴秀吉、滝川一益、丹羽長秀という織田軍配下の錚々そうそうたる武将に指令した。


 彼らは山田山に陣をはっていた。朝倉が逃げる道筋にあり、追撃するには最高の位置だ。


 さて、配下に命じた信長は、自らの直属軍を率いて大嶽砦をおとした。翌日には山を降りた南の平野部にある丁野山砦ようのやまに戦いを挑んで朝倉を追い詰めた。


 さて、この後の展開を私は知っているわけで……。


 5人の有名なマヌケな武将たち。全員が全員、信長の命を聞いたにもかかわらず、そして、彼を恐れていたにもかかわらず、朝倉の追撃に遅れた。


 大将が死に物狂いで朝倉の砦に戦いを挑み、小者をわざと逃して、大物を網に引っ掛けようとした。その網が獲物を逃しちまった。


 だから、朝倉討伐が終わったあとの軍略会議で信長は怒った!


「なぜに、すぐ動かなかったのか!」


 これに対して、武将たちはただ頭を垂れた。ただ一人をのぞいて。

 顔をあげたのは佐久間信盛だった。筆頭家老である彼は幼い信長の面倒を見てきた古参の武将である。


 やんちゃな信長に手を焼いた親のような存在でもあり、ついつい口が滑った。一言多いおじちゃんの典型で彼は言った。


「そうは言われても、お館殿。我らみたいな優秀な家臣団は他に得がたいものでしょう」


 アホです。


 ことの状況を読めず、この追撃がいかに信長の血と汗によって可能となったか、彼は全く把握していなかったんだ。

 信長の全身が震えた。彼は子飼いの精鋭数人を失ってもいたんだ。


「おのれは!」


 信長の声はでかい。怒ったときは周囲のものが飛び上がるほどの声量を出す。

 誰もが、とっさに顔を伏せ、逆鱗げきりんにふれた佐久間はしまったと青ざめた。


 信長は剣を抜いた。


「そこになおれ!」

「お館様やかたさま!」

「お館様、ここは!」


 剣をつかんだ信長を必死に止めたのは明智光秀と前田利家だった。

 信長は周囲を見た。恐怖に歪む家臣たちの顔を。


 烈火のごとく怒りに震えたが、その怒りは消えるのも早い。

 信長は怒りのなかで諦観を感じ、心の奥が冷えた。


 彼の心は大嶽砦の嵐から、朝倉を追撃までをさまよう。

 成功を反芻はんすうする。

 なにがよくて、なにが悪かったのか。


 大嶽砦を急襲したのは暴風雨のなか、ついて来れたのは彼の精鋭部隊だけであった。簡単なことではなかったんだ。雨風をまともに受けながら砦を囲み相手を威嚇する。砦の兵をわざと逃したあと、5人の将に託したつもりで、翌日すぐ丁野山砦に向かった。


 一昼夜、ほぼ休みなしで戦ったのちに、彼は朝倉逃走の報を聞いた。逃走は、おマヌケ家臣団が陣取る山田山から見えたはずだった。しかし、彼が先鋒を命じた家臣の誰ひとり動いていない。


 彼は焦った。

 そして、精鋭部隊は疲れていた。いや、彼自身も疲れていた。

 それにムチ打って、彼は兵に発破をかけた。


「我が精鋭よ! よくやった。朝倉は逃げた。1刻半ばかり前だろう。奴らを追い詰め、殲滅せんめつするぞ!」

「は!」

「ぼんくら共は足が遅い、すぐ追いつける!」


 戦いが終わったばかりだが士気は高い。身体中をアドレナリンが駆け回っていたに違いない。


 信長は傍に立つ前田利家を呼んだ。


「利家!」

「は!」

「本隊を呼べ! 一乗谷に向かって追撃じゃ!」

「は!」


 信長は常に先頭を切り全力で走る。敵から見れば、疾風怒濤しっぷうどとうの脅威に満ちた彼の軍団だ。


「かかれ!」と叫ぶだけで、馬上の大柄な姿は悪魔に見えただろう。


 だからこそ、不思議なのだ。

 なぜ、朝倉追撃に他の配下の武将は遅れを取ったのか。

 位置的には信長より、ずっと敗走する朝倉軍に近い場所にいて、見えたはずなんだ。


(つづく)

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