第14話 戦国時代の足もとも見えない真の暗闇
街灯がない世界の暗闇って……。
衛星が飛ぶ現代なら、宇宙から眺める日本の夜は家の照明、ビルのイルミネーション、街灯などで輝いている。
でも、ここは戦国、星明かりや月明かりがないと夜は真の闇であって、足もとの斜面もよく見えない。
衛星で見ても真っ暗な日本が見えるだけだろう。
だから、九兵衛とはぐれて、私は心細かった。いなくなってはじめて、思っていた以上に彼を頼りにしていると気づいた。
「九兵衛!」
走りながら叫んだ。
先ほどまで声が聞こえた方向へ目を凝らしても見知らぬ人ばかり、それも斜面を滑るように落ちていく敗残兵しか見えない。この流れに逆らって止まっては危ない、それだけは意識した。
「九兵衛!」
心細さから、叫びながら走っていた。
不安のあまり泣きそうになりながら走った。
私の声は土砂降りの雨に消えていく。
(九兵衛……)
織田信長は攻略した
一方、信長は深く認識していたにちがいない。
だからこそ、暴雨風のなか、たった1000人の兵で攻め込んだのだ。ここに将の器を感じる。天下取りを可能にしたのは、運も地の利もあっただろうが、こうした一つ一つの積み重ねが彼を天下人へと押し上げた。
強い意思、たゆまぬ努力、彼ほど未来を見すえて動く大将を私は知らない。
さて、この後、朝倉は悲劇的な最後を迎えるわけだけど。
後づめを失った浅井長政は、この時点ではまだ何も気づいていなかった。
私が嵐のなかを半狂乱で走っているとき、浅井長政と妻のお市の方は、のんびりと夢のなかにいた。
この夜、この瞬間、東に武田、西に浅井、北に朝倉、南に将軍と四方を包囲したはずの、対信長戦略が完全に崩れた。この包囲網が完成した7ヶ月ほど前、彼らはまさか負けるなどと1ミリも考えなかっただろう。それほど、すべての大名が信長討伐に名乗りをあげていたのだ。
魔王信長の恐怖にかられ大嶽砦から敗走した兵士は、もともと低い朝倉軍の士気をさらに奪う。
昨年、同じような状況で逃げた朝倉義景を武田信玄は激怒した、その同じ状況が再び繰り返されようとしている。
彼を殿として奉る家臣たちは、さぞかしイライラしていただろう。その苛立ちが信長側の
私は、そうした殿上人の流れを知っていた。だが、下っ端である私は別の危機にあった。嵐の夜に濡れた坂道を狂ったように逃げる敗走兵に巻き込まれた私。いつの間にか方向感覚を失っていた。
山頂か星が見えれば位置がわかったろうが、暗黒の夜、激しい雨のなかでは、それさえも難しく、私は走りながら、スマホがほしいと心底願った。
「OK、誰か。ここはどこ?」って聞きたかった。
しばらく走ると、遠くから声が聞こえてくる。
あれは?
声の方向へ、みな向っている。
私は四方を人に挟まれ、否応なく声に向かい、どこかの砦の門前まですすんだ。
先に到着したものが、門を叩き、何か叫んでいた。
門上には見張り台があり、雨に消されないように養生した松明の明かりが見えた。炎に群がる虫のように、私たちは突進した。
「開門! 開門!」
敗走兵が叫んでいる。
松明が揺れると、ひとりの男が門の見張り台に現れて、一喝した。
「静まれ! 殿のお成りじゃ!」
雨は小降りになっていた。
砦の高所に立つ武将が松明を掲げて平伏し、そこに男が現れた。白い着物。おそらく寝込みを起こされた朝倉義景だろう。
松明の明かり程度では顔が見えない。
興奮した兵たちは、その場に畏まって腰を下ろした。
「申せ!」
その声に、大将格らしい男が立ち上がった。
「の、信長の兵が大嶽砦を襲ってきました」
「して、砦は」
「申し訳ございません、敵の手に落ちました」
実際、戦いもせず、明け渡したはずだ。
「なんと!」
「嵐のなか、いきなり疾風のように大変な軍勢で奇襲をかけられました」
大変な軍勢? いや、1000人ばかりの精鋭部隊だったはず。人数的にはそれほど多くはなかった。
「その数は」
「おそらく1万かと」
こら! 嘘を言うでない。気持ちはわかるけど。
高台から声をあげていた男が、義景になにか言っている。
「その方たち、おって沙汰する。中で休め」
「開門!」と、誰かが叫んだ。
この問答の間、殿と呼ばれた男は一言も発しなかった。
このまま、門中に入っていいのか。私は迷った。九兵衛を探さねば、しかし、周囲は真っ暗、私のための松明は用意されていない。
走ってきた人混みのなかで、どう九兵衛を探す。
門はギギギと音を立てて開こうとしている。
と、その時、思ったんだ。いわゆる逆転の発想ていうの?
でね、自分が無理なら、相手に探させればいい。
人々は平伏していた。
だから、私は立ち上がった。
多くの人の頭が見える。
ぱっと見た限り、200人くらいか……。
あの砦を守っていた人数はもっと多いはず。
で、私が真ん中あたりで立ち上がっても誰も見えてないようだ。
ただ、隣に平伏する男が、私を見上げ驚いた顔をしているのに気づいた。
私は、「殿!」と、大声で叫んだ。
九兵衛、見てるか!
私はここだ! ここにいる!
わかるか? ここにいるから探しにこい!
そういえばオババに忠告されていた、ときどき突拍子もないことをするから自重するようにって。
時に私は不思議だって思うことがある。
忠告って、いつも後から気づく、だから何の役にも立たないんだってことだ。
「なんだ、女。殿の御前ぞ」
「申し上げます!」
とりあえず言葉を繋いで見た。
松明を持った見張り台の男が叫んだ。
「申してみよ!」
おっし、目立ったな。これでいい。九兵衛、聞こえたか、私の声が。
「申してみよ!」
あっ、それ、ちょっと待って。少しだけ申してみる言葉を考える時間がほしいんだけど。
(つづく)
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