第13話 天皇家につづく織田と浅井の血脈


 私たちが目指す大嶽砦おおづくとりでは小谷城が見下ろす場所に築かれた。そもそも守りの要であった。


 本城である小谷城には浅井長政に嫁いだお市の方がいる。彼女は織田信長の13歳下の妹で、天正元年(1573年)当時は26歳になっていた。


 浅井長政との間に3人の娘を得ている。


 長女、淀は羽柴秀吉の側室となり、秀吉の子を産み、のちに滅んだ。

 次女、初は京極高次の正室として、結構、うまく立ち回って生き延びた。

 三女、江は徳川秀忠の継室となり、その娘徳川和子は天皇家に嫁ぎ、現在の今上天皇まで血筋は続いている。 


 つまり、浅井家と織田家の血脈はお市の方を通して、日本の主たる統治者に脈々と流れている。


 この先の小谷城で不安な思いを抱きながら、その女性が待っている。そう思うと、胸アツで。


「ひでえなぁ、ひでえ雨だ! 大丈夫か」

「大丈夫」


 容赦なく口に入る雨粒を、ぷっと吐き出した。

 雨はひどくなる一方で遠雷も聞こえてくる。


 次の瞬間、濡れた草に足を取られて転んだ。

 斜面に顔面から落ち、泥水の混じる雑草を思いっきり噛んだ。

 まずい、もう苦いったらない。

 九兵衛が上から滑ってきた。


「言わんこっちゃねぇ! 手!」


 そのときだ。

 はげしい稲光がして、耳元で大鐘がなるような雷音がした。黒い空を破るように黄色い閃光が走っていく。


 私は目を見開いた。

 光の先から、大勢の人がこちらに向かってくるのが見えたのだ。


 まだ、遠い。しかし、確実にこちらに向かっている。


「きゅ、九兵衛!」

「なんだ」


 閃光は一瞬で、また深い闇とともに、風と雨の激しい音が戻った。


「大変だ」

「どうした」

「人が、兵だ、こっちに向かってくる」

「敵か?」


 あれは朝倉の兵にちがいないと、気づいた。

 九兵衛が隣に滑り込んで寝転がった。


「織田軍か」

「ちがう」

「まだ、遠いのに、なぜ、確信を持てる」


 史実によれば、嵐の日に大嶽砦の北側から信長は攻めこんだ。だから、私たちが砦に向かう斜面とは反対側だった。そして、こちら側に兵が降りてくる。


 あ!


「私はバカだ」

「今、その感想を言いたいのか。嵐のなかで寝転がって」

「いや、違う。織田はもう砦を落したんだ」

「じゃあ、こっちに向かってくる兵とは敗残兵か」


 また、雷が光った。

 しかし、今回は遠い。雷音が先ほどよりかなり小さい。


「そりゃ、まずい! アメ! 逃げるぞ、兵に吸い込まれると織田軍に敵と思われて討たれる!」


 ずぶ濡れで九兵衛が慌てて叫んだ。


「さあ、立て!」


 いや、討たれることはないんだ。


 信長は自らの精鋭部隊1000名を率いて奇襲した。自軍の陣地には3万の兵を置いていたはずだが、それは出ていない。


 嵐と知り、速攻で決断して奇襲をかけるのが信長だ。

 奇襲、スピード感のある戦い、彼の得意とする戦法だ。


 大嶽砦の兵は戦いもせずに降伏したと記録に残っている。


 砦の兵が降伏したあと、こっからが信長という男の真骨頂だ。彼はとらえた兵をわざと逃した。そして、朝倉側に返したのだ。


 なんのために。

  

 最も強い軍隊を編成するに一番いい方法はシンプルなんだ。圧倒的な数で敵を萎縮させる。それが最高に強い軍であって、天正元年になると信長にはその戦法が使える兵がいた。この数の勝負ができれば強い。


 次に強い戦法とは、難攻不落の山城で籠城する、だ。しかし、籠城には問題もあって、城にこもるだけでは、いつか食料もなくなる。糞尿などがたまり衛生面も悪く、兵にも疫病が発生しやすくなる。


 籠城して味方の援軍を待つ。これが2番目に強い戦法だった。


 浅井長政が小谷城という堅牢な山城にこもって、朝倉の援軍を待ったのは、このためだ。


 さて逆に、戦場で最も弱い軍とはどんな軍隊か。


『軍事の日本史』本郷和人氏によれば、敗走する軍だという。


 人は誰でも死が怖い。真正面から戦いをしかける敵に、真正面からぶつかる真剣勝負では案外と死なない。


 しかし、恐怖で敗走する人を後ろから討つのは、抵抗がないだけに簡単だ。


 そう、信長は朝倉に罠を仕掛けた。


 嵐の夜に奇襲を成功させ、敗残兵を朝倉の元へ返す。

 兵を削がずに、わざわざ返して敵兵を増やす愚策、と凡人なら考えるだろう。


 信長は朝倉義景という男を読んでいた。

 貴族的快楽に溺れ、勝ち戦しかしない彼という凡人を、天才は追い詰めた。


 信長は確信していたのだ。

 ゆっくりと首をしめるように追い詰めれば、彼がどう動くかを。


 だから、大嶽砦を落としたあと丁野砦を襲う。


 そして、彼は待つ。


 朝倉が逃げる時を待った。


 その織田軍の先陣には佐久間信盛、柴田勝家、滝川一益、羽柴秀吉、丹羽長秀という戦上手を手配していた。


 彼の命令は実にシンプルだ。


「朝倉軍が逃げるとき、すかさず討て!」


 大嶽砦から兵が逃げたということは、すでに信長は別の砦に向かっている。


「なにもかも遅かったよ、九兵衛」

「何が遅かったんだ」

「信長は、もういない」

「どうしてわかる」

「大嶽砦の兵は逃げてきたからだ」


 九兵衛はずぶ濡れの顔を拭うと、頭を掻いた。


「間違いないのか」

「ない」

「巫女殿。確かに、あんたはすごい。だが、この大雨んなかで聞いていると、ちょっと怖くなるぞ。何者なんだ」

「怖いって? 私も怖いんだ」

「あんたにとって何が怖いんだ」

「それでも怖いんだ。帰ろう、九兵衛、私は味方だ」

「わかった」


 斜面を降りはじめるとすぐ、多くの兵が滑るようにおりてきた。

 期せずして私たちはその恐怖にパニックを起こした集団に飲み込まれた。踏み潰されないように、同じように走ることになった。


 戦場での死者には、味方に踏み潰される例が少なくない。


 誰もが殺される恐怖に打ち勝てない。戦場に理性はない。だから、戦闘にはいったら、味方の流れを崩したり、転んだりすると、敵ではなく味方に踏み潰される。止まったら死ぬのだ。


 恐怖で逃げることしか考えない集団。

 私たちはその流れに乗るしかなかった。


「アメ!」


 九兵衛の声が聞こえた。


 私の足が遅れ、彼から遠ざかった。夜は深く暗く、自分の走るモモくらいしか見えない。


「九兵衛!」

「アメ!」


 彼の声が遠ざかっていく。


「ア……」


 私は敗残兵に紛れ、流され、ただ、漆黒の闇を走るしか道はなかった。


(つづく)

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