第11話 戦国時代の闇


 草木を刈った山肌はどことなく心もとない。

 小谷城はハゲ山に築かれていた。現代は、成長した樹木で鬱蒼うっそうとした姿を見せる小谷山も、当時は大木などすべて切り倒したハゲ山。これは敵が隠れるのを防ぐためだった。


 上から矢を射かけたり、岩を落としたりするための必要もある。

 それでも、5000人の兵とともに籠城する浅井長政にとって、気もそぞろな日々であったと、私にはわかっていた。


 密偵として浅井軍に入った私たちは、翌日、城下を歩いた。


「巫女よ。あれほど堅牢な城が落とせると思うか」

「落とせるかって? そうね、勝てると思う。それを知りたいのか」

「俺の活躍する場を知りたい。ありそうか?」

「九兵衛、斎藤利三の命でと言っていたが、それって事実なのか」


 彼は頭を掻くと、ニッと笑った。


「ま、厳密に言うとだな。違うかもしれん」

「まさか、勝手に兵を抜けてきたのか」

「さすがだ。人の心まで読めるのか」


 呆れたものだ。明智軍は寄せ集めの軍だが、光秀の性格であろうか軍規には厳しい。とくに集団戦が主流となった戦国時代は足軽の総力戦だ。ゆえに、規律を正しくする必要がある。まあ、のちの第二次世界大戦の兵に比べれば、ゆるゆるだと思うけど。


 天正元年(1573年)夏、浅井側の家臣が織田に寝返ることが多くなった。足利将軍を放逐ほうちくした織田は京都を実質的に押さえ勢いがあった。


 7月末、小谷城を支える最後の支城が信長の手に落ちた。琵琶湖東岸にある山本山城。この城主であった阿閉貞征あつじさだゆきが降伏勧告に応じた。これにより、小谷城は真綿で首を締められように、より一層孤立化を深める。


 こうした状況では噂も早い。逃亡する兵も多くなる。


 追い詰められたのは浅井長政だけではなかった。


 彼が頼みとした朝倉義景の軍も病んでいた。浅井からの要請で、朝倉義景は2万の兵をもって援軍に駆けつけている。


 しかし、彼は愛妾に溺れ、大方の戦を家臣に任せてきた。


 今回、彼自ら進軍したのには訳があって、大将格の家臣たちが病気を理由に出兵を断ってきたからだ。もちろん、これは仮病である。日々、女にうつつを抜かし、ヘタレていた義景は家臣団に見限られたのだ。


 なお、悪いことに、敵である信長にまで見切られていた。

  

 しかし、いくら朝倉がヘタレ、信長の意気軒昂であろうとも、小谷城は簡単に攻略できる城ではないんだ。


 私と九兵衛が屯所で過ごした翌日。いよいよ雲行きが怪しくなっていた。

 今が何日であるか、それはとても重要な要素だったんだ。


 それさえわかれば、この九兵衛という男に情報を与えることができる。しかし、なにもわからない。情報の完璧な遮断。この状況に現代人がいかに慣れてないか、ここにきて痛切に感じている。


 目も耳もふさがれるって、そんな閉塞感は経験したことがない。


 これが現代なら、私は日付を見て、先の予定をたて、すかさず天気予報の気圧配置を調べるところなんだけど。


 空を見上げると灰色の雲が走り、風が強くなっていた。


「嵐がくるのだろうか」

「嵐か」


 九兵衛ははじめてそれを知ったかのように、空を見上げ、私の顔を見て、再び空を見上げた。


「ああ、確かに風が強いな。こりゃ、くるかもな」

「気にならないのか」

「嵐が怖いのか」

「怖い」


 彼は大きく手を開くと、私の頭をぽんぽんと叩いた。


「心配するな。嵐くらいのこと、俺が守ってやる」


 風は勢いを増し、砦に掲げた旗がパタパタ音をさせ大きく揺らいでいる。


 小谷城、嵐、旧暦の8月。

 朝倉義景は2万の兵を率いて、この近くに陣をはっているのか、あるいは、まだ来ていないのか。


「九兵衛、ここで朝倉義景が援軍に来ているか情報を得られるか?」

「ほお、義景が動くのか。あやつは家臣に任せて、自分は城にこもっていると、もっぱらの噂だ。その男が、ここに来てるのか」

「間違いなく来る」


 九兵衛にとって、朝倉の情報は噂ばかりの中途半端なものだろう。


「どっかで情報を得てこい」

「なにをだ」

「朝倉軍の動きだ」

「ああ、わかった。というか」

「なに?」

「お前と俺、どっちが上だ」

「九兵衛」

「ああ、ああ。わかった、わかった。調べてくる。ここで待ってろ」

「うん」

「よし、一刻ほどで帰ってくる」


 砦では、一刻ごとに太鼓を鳴らして時を知らせる。

 一刻とは、だいたい2時間前後だが、これもいい加減で、明るいうちを6等分して太鼓を鳴らすって、そんな感じなんだ。


「それからな。いいか、お前は無理をするなよ。まったく、時々なにをしでかすかわからんところがある。ともかく、ここは敵地で危ない。なにもせんでいい、ただ待っていろ」

「まるで、オババだな。九兵衛」


 九兵衛が声を出さずに笑った。


「なんだ、そのオババとは、よく母上をそう呼んでるな」

「まあ、あだ名みたいのもの」

「アメってのもか」


 ちっ、案外と耳聡い。


「そう、私の行くところでは雨がよく降る」


 九兵衛は空を見上げた。


「なるほど」


 そう言って走りだし、途中で振り返った。


「ヒュン!」と、彼はおおらかに笑った。


 あ、あの、やろう!


 彼と別れ、私は屯所から出て、あらためて小谷城を見あげた。

 歴女としてはなんとも興味深い。

 清水谷の人々は嵐を察知してか、片付けに忙しい。


 戦乱の世の庶民は身の回りといえば、着るものと鍋と食器くらいで、つまり荷物をかついで、すぐ逃げていける程度のものしか所有していない。引越し業者などない世界で、戦いがあれば荷物を担いで逃げる。溢れかえるほど物がある現代からすれば、まさに究極のミニマリストといえるかもしれない。


 風はさらに強くなり、時を告げる太鼓の音さえも聞きづらい。そろそろ、一刻は過ぎたんじゃないかと思うより早く、埃が大きく舞う道を九兵衛が袖で口を塞ぎながら戻ってきた。


「どうも、あんたの言った通りだ。朝倉軍が進軍して砦を築いたと、ここの兵が喜んでいた」


 この世界は噂が多い。信憑性にかけることが多い。朝倉が陣を敷いたということを確信できないが、それでも、嵐が来ている。


「もう来ているか」

「ああ」

「そうか、では、今夜かもしれない」

「なにが、今夜なんだ」


 朝倉が陣を築いたとすれば、おそらく山田山に信長の本陣も敷かれたはず。

 私は小谷城背後の山の頂に聳え立つ堅牢な砦を指さした。あの砦は大獄おおづく砦。小谷城の背後を守る要の砦で、言わば小谷城を攻略する上、必ず落とす必要がある場所だった。


「見るしかないな!」


 私は言ってしまった。


「何を」

「織田信長だ」

「信長様は岐阜のはずだが」

「いや、来てる」

「ほう、そうなのか」

「まちがいない。だから、手柄をたてたければ、山を登るしかないだろう」

「まったく、巫女どの、あんたは怖いものが好きなやつだな」


 彼はそう笑った。


(つづく)

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