第10話 潜入捜査


 信長が本陣を置く虎御前山砦は、お祭り騒ぎ的な活気があった。しかし、浅井長政が籠城を決めた小谷城。城の真下に位置する清水谷に作られた町は遠目にもず〜んとした暗い空気で濁っている。


 人目をさけて内緒話している者が多いと思うのは、私がこの後に起きること、今、起きていることを知っているからだろうか……。


 不安な思いを抱きながら、古川九兵衛とともに清水谷の砦にはいったんだ。

 砦に設えた簡易な門前で声をかけられた。


「着到報告せよ」

「へ、あ、九兵衛で」

「なんの九兵衛で何組じゃ」

「あっと、山下の九兵衛で」


 山下?

 まあいいけど、で、どうするのよ。何組って、これ、間違いなく無理でしょ。敵側の人間ぞ。明智の配下だからね、私たち。


「あんのぉ、うちの女房が」


 九兵衛、いきなり私を見た。


 へ?

 わたし?

 私にふった?


 しきりに、こっちに向かって合図しているけど、意味不明だから。ええい、どうしよと! こんなとき、オババなら。


「あ、あんた! なんよ!」


 とりあえず大声をだしてみた。

 だって、ここ、怒鳴るしかない場面じゃない?


 ほら、あれよ。あれって、私のクズ友人のことだけど、ま、みな知らないか。


 学生時代に、友人のクズカップルが白バイ警官に一旦停止違反で止められたんだ。怒った私の友。彼氏、クズだから、ここで切符切られたら免停なわけ。


『そいでさぁ』って、クズ彼女言った。

『私、このクズ!って怒鳴っちゃって』


 その場で二人は大げんかになっちまった。それで警官がいい人で仲裁してもらって、違反切符から逃げ延びたって。

 クズだ! ほんとクズ。


 で……、足軽クズ戦術。


「このバカ男!」って私。


 怒鳴りきった。


「そんな怒らんでも」

「こいつについてきたら、このザマよ!」と、さらに大声で叫んだ。

「あ、あ、あのな」


 九兵衛は身体が大きいが、身を縮めると、どことなく愛嬌がある。


「だから言ったじゃない!」


 で、出ました。主婦伝家の宝刀! 言ったじゃない攻撃。で、さらに大声をだしてみた。


「あんたが、ここで食えるって、全くこの役立たずのとうへんぼく! あ、あんたという人は槍の腕だけしかない。アホやからね、レイザー光線も使えんからっ!」


 ちょ、ちょっと待ったあ〜〜〜!

 わ、私、いま、何を口走ってる?

 レイザー光線、ないから。


 映画なんて見たことない人ばかりでしょうが、てか、映画の前にラジオさえ、箱がしゃべるって腰を抜かす時代でしょうが。


 と、一応、槍使いとして、レイザー推しでいってみたって、それ、決定的になんか間違ってる。


 小さくなっていた九兵衛が、目を大きく開けている。あきらかに混乱して、どうするんだって表情が語っている。


 官吏も首を曲げた。

 レイザーって……。


 頭のなかで、レイザーが空回りした。そして、ついつい叫んじまった!


「ヒュン、ヒュヒュ、ヒュォオオー!」


 ここは、もう、レイザー音か北風かって!

 円谷プロの古い効果音みたいだ。

 これって古いか? いや、映画の効果音、いっそ最先端!


 ええいままよ!


 両手を突き出し、右足を引いての“レイザー音”ポーズ!


「ヒュウウン〜〜〜!」


 ちらってみると、門番たち、それまでのやる気のない態度から、私たちの様子を楽しんでる。あきらかに楽しんでる。


 私は九兵衛の顔にウインクした。


「だけど……、お前、俺たちゃ」

「ふざけんな! このクソ、ヒュン!」

「お、お前、なんちゅうことを殴るぞ! ヒュ??? ヒ、ヒュン…」


 九兵衛の声もオクターブ上がった、ヒュンした。


「殴れるもんなら殴ってみよ! ヒュン!」


 私たちの騒ぎに人々が集まっている。


「きいとくれよ、皆の衆。こん人が、ここに志願すれば、メシが食えるって、で、ついてきたらこの有様よ。もう、腹が減って、一歩も動けん!」

「助けてくれ。うちの母ちゃん、怒り出すと……、ヒュンってなるんだ」

「ヒュンヒュン!」


 私は背負っていた槍を下ろして前に突き出した。

 と、さすがに門番がなかに入った。


「わかった、わかった。落ち着かんか。つまり、ここで仕官にきたというわけか」

「ああ、そうじゃ。嫌なら別に行く。どっか、雇ってくれるとこを教えてくれ」


 この時代、兵は貴重だ。特に負けが濃いこの砦には貴重であろう。


「よかろう。どこの出身だ」


 九兵衛がニコっと笑った。


「山下村の、山下九兵衛」

「よおし、入れ!」

「おおお、やったぞ、マチ」と、九兵衛が抱きついてきた。


 わざとか、このアホ!


「離れろ!」

「おお、怖! うちの母ちゃんがいれば負けることはないぜ」


 いつの間にか周囲にきていた野次馬たちが笑っていた。

 そうやって、からくも雇われた私たちは、清水谷の砦に入ったんだ。


 ヒュン!


 兵屯所の食事を得て、一息ついてから聞いた。


「こんなとこで、何を調べたいんだ」

「ほら、見ろよ。あの山。屈強な砦に囲まれている。あの砦を落とすための方策とかな、陣地の守備とかの調査だよ」

「光秀の頼みか」

「その呼び捨て、怖いぞ」

「で?」

「いや、ま、そういうところか」

「なぁ、九兵衛」

「おうよ」

「功を焦りすぎているように見える」


 九兵衛は山砦を眺めながら、呟いた。


「ああ、焦っている。信長様の勢いはすごい。このまま天下統一がなったとしたら、俺みたいな男は、どうしたらいい。戦うしか能がねえんだ。今しかないだろう。俺は、ぜったい大きくなってみせる」


 この男はバカではない。そして、その勘は正しい。

 仕官相手さえ間違えなければ、出世は望みのままだ。「本能寺の変」まで、あと9年。その間に功を得れば、その後の出世は大きいだろう。しかし、それは命の危険と隣合わせの危ういものだ。


「なぜ、そんなに上に行きたい」

「妙なことを言うなぁ。一度、生を得て、上に行きたくない者などないだろう。そうじゃなきゃ、一生こき使われて、早死にするしか道がねぇ。俺の親父みたいにな。そんなクソみたいな生き方してえか」


 親父というとき、九兵衛の顔に再びあるかないかの屈託が現れた。

 そういえば、この男の家族についてなにも知らない。


「あんたの親父になにがあった」


 彼は頬を緩めると、「もう少し、メシを食おう、ここのメシは悪くないな」と、笑った。


(つづく)

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