第5話 密偵として動いたとき、歴史も大きく動いた


 小谷城へ向かう山道は樹木が密集して風はなかった。天気はカラッとして、容赦のない太陽はカラマツなどの木々に隠れて和らいだ。


「山城攻めとはな」と、九兵衛は歩いていた。


 昨夜のことはなかったかのように、いたって普通だ。

 昨夜ってのは、砦で私に夜這いをかけ、オババに一喝された一件だ。


 そういえば、戦国時代のマチに意識が転生した初日にも夜這いをかけられた。

 あとで聞くと親同士での約束だったらしく、ま、相手をボコボコにして悪いことをしたのは、こちらだったかもしれない。


 いや、アカン、頭のなかで常識が斜めにギコギコ傾いている。このまま回転していくと、そのうち夜這いをかけられる内が花なんて思いかねない。


 その上、私はトミが九兵衛の一件を見て、「いいな」とボソっと呟いた心情も忘れられない。


 トミは大女だ。

 現代だったら既製品の服がないタイプ。満足に食べられない時代に太っているだけでも不思議だが、彼女の場合、もともとの骨格が太いからだろう。


 160センチを超える長身で並の男より大柄なトミは結婚したことがない。


 10代で結婚する時代に30歳過ぎで未婚ということは、たぶん、きっと、そういう経験がない。それが「いいな」という呟きにまとまったんだろうが……。

 気が良いトミの、ほんの少しの女としての悲しみを知った気がして、私は顔を背けていた。


 さて、足利将軍から『義』の文字を許された朝倉景は、将軍家の一等官に任じられ、朝倉家歴代の名主のなかでも一番の出世頭ではあった。


 若いころは自分を誇らしいとさえ感じただろう。


 永禄8年(1565年)には、幽閉された足利義昭を脱獄させ自領に招いてもいる。


 上洛して室町幕府再興に尽力してくれるよう切に願われ、それに呼応した。そう、そうしたはずだったんだが。


 いったいどの辺りから、彼は『義』を失ったのか。


 永禄11年(1568年)、朝倉義景35歳。それまでピンっと張りつめていた彼の糸が切れた。

 彼は近衛家から迎えた正室を離縁してまで側室の小宰相を耽溺した。が、その最愛の小宰相を失い、彼女との間にできた長男も失い、奈落に落ちた。

 しかし、私はそれがキッカケでしかない思う。


 寵妃と子どもを失い、急に糸が切れた訳ではなく、そもそも切れはじめていた。もっと以前、正室を離縁したあたりから怠惰に淫しはじめているんだ。


 8年前から、心に張りつめた多くの糸は1本づつ切れていき、

 最後の一本が永禄11年になった。そういうことだった。


 その後、切れた糸のまま呆けていた義景は、心配した家臣から美姫を与えられる。元亀元年(1570年)に出会った側室の小少将は劇薬としての効果はあった。


「朝倉始末期」に、こうある。

『此女房紅顔翠戴人の目を迷すのみに非ず、巧言令色人心を悦ばしめしかば、義景寵愛斜ならず(中略)昼夜宴をなし、横笛、太鼓、舞を業とし永夜を短しとす。秦の始皇、唐の玄宗の驕りもこれに過ぎず』


 ざっと要約すると、小少将の美しさと妖艶さに溺れ、朝から晩まで酒をのみ、色に溺れたパーティ三昧の日々を送ったということだ。


 まさに、戦国時代のパリピである。


 そして、『唐の玄宗の驕りもこれに過ぎず』にすべてが集約される。


 玄宗といえば、楊貴妃という美姫におぼれ国を傾けた中国の皇帝。

 朝倉義景、似ています。


 前半生の善政と後半生の堕落した生活。

 まさに、彼は玄宗そのものだった。


 武田信玄が織田信長の第一次包囲網を固めると決心したとき、信玄は、まさかパリピに頼ったとは考えていなかった。


 信玄は酒宴中の義景に協力を頼み、義景はパリピらしく軽く受けた。酒の勢いで考えもせずに快諾したんだと思う。


 その後、挙兵した信玄は徳川家康に勝利し、西方に上がる準備を整えた。

 同時に盟約をした朝倉義景は小谷城近くまで軍を率いた。が、しかし、次に呆気にとられる行動をしでかした。


 せっかく出向いてきたのに、織田軍を攻撃もせず、冬と雪を理由に地元へ戻ってしまったのだ。


 これには、信玄が怒った。


 その後、しばらくして武田信玄は死ぬ。まさか、朝倉への怒りのあまり憤死したとは考えられないが、上洛する途中での、ありえない不幸だった。


 ともかく、朝倉義景がヘタレで織田信長を撃つ唯一のチャンスを逃したのは間違いない。


 その後、義景は屋敷に戻り、武田信玄の死も知らず、寵愛する側女をはべらせぬくぬくと冬を過ごした。半年後の夏に自害するとは思いもせずに夜を愛でていた。 


 私は思う。朝倉義景にも天下を統べる好機はあった。

 しかし、彼には、その覚悟も胆力も器もなかったのだと。


 一方やる気満々の織田信長、天下に向けて、なんと神を名乗りはじめていた。

 そして、横山城の拠点は遠すぎると虎御前山に前線基地を築いた。


 ここは小谷城から、わずか500メートルの好位置。

 義景が攻なかったために、信長は悠々と城と砦を築いてしまった。信長を喜ばせ、浅井を失望させた、いわく付きの城である。


 私たちが小谷城へ向かっていた夏の日、そうした一連の歴史が動いた。


 武田家は信玄の死を伏せ、浅井は500メートル先にできた砦に神経質になり、朝倉義景は地元に戻って、女の膝の上で酒を飲んでいた。


(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る