第6話 森の襲撃


 横山城から小谷城までの、ほぼ2キロの距離。

 8月の暑さにはかわりはないけれど、現代に比べれば暑さの質が違うっていうか、つまりコンクリートの照り返しがないんだ。土や草の地面って紫外線を跳ね返さないから。


 私たちは織田の前哨基地である虎御前山城を迂回して、小谷城がある山の麓近くまで歩いてきた。


「巫女よ。朝倉義景はどうなる?」と、九兵衛が額の汗をぬぐっている。

「私を巫女と呼ぶな」


 この時代の人々は、ものすごくゲンをかつぐ。迷信深い人が多い。


「じゃあ、なんだというんだ」

「え〜〜と、単なる足軽」

「ほお、足軽か。ま、いい、浅井の小谷城はもうすぐだ。あの城の弱点を調べなきゃならん」

「小谷城の弱点……」

「知っているのか」

「普通なら、そんなものはない」

「普通なら、か。おう、よし、なぜ知っているとか理由は聞かん。普通ならと言うなら、普通じゃない弱点があるということだな」


 私は結果を知っているんだ。


 難攻不落の小谷城を滅ぼすのは、主に羽柴秀吉の人たらし能力だった。フヌケの朝倉義景に愛想をつかした家臣が秀吉に寝返り、彼らが旧知の浅井の家臣を寝返らせるというドミノ倒しの結果だった。


 しかし、私たちの問題はそこではない。


 足軽という身分で明智軍に所属する私たちが、どう生き延びるか、それが問題なんだよ、明智くん、じゃなかった九兵衛くん。


 オババと私は生き延びたい。


 食事を得るため明智軍に入ったが、だからといって戦闘で死んじゃ意味はない。そして、味方が勝ったとしても、私たち個々の命の保証はない。いっそ、いつ捨て駒にされてもおかしくないんだから。


 足軽なんて、ほんともう使い捨てだ。


 そんなことを考えているときだった。


 いきなり、九兵衛に押し倒された。


「おまえ! また!」という言葉の途中、汚れた手で口を塞がれた。

「静かに!」


 耳元でヒュンと音がした。

 横に見ると、矢がささり、プルプル震えている。


「隠れろ!」


 言葉と同時に、木の幹へと九兵衛に転がされていた。


 オババ!

 オババは?


 次々と矢がふってくる。


 それは、ヒュンヒュンと不気味な音で周囲に突き刺さった。


 トミが近くの木に隠れ、こちらにうなずいたのが見えた。

 テンが走る。その先から矢が飛んでくる。


 どういう理由わけか、矢はテンを避ける、いや、テンが矢先を予測しているのか。


 オババは?


 九兵衛は背中から火縄銃を外して火薬を込めた。彼は銃に熟練している。普通なら1分はかかるところ20秒くらいでするんだ。


 当時、有名な鉄砲集団、雑賀衆の熟練者が20秒内で発射まで持っていけたというが、その手練れたちと、ほぼ同じ速度だ。


 次の瞬間、彼の銃が轟音とともに火を噴いた。


 火縄銃の特徴は音と煙だ。

 九兵衛は弾を発すると一転、


「ここで待て!」と、言い残してテンのあとを追った。


 オババは?


 気配を感じないのだ。敵は木々の向こう側から、おそらく、数メートル先に射手が潜んでいるのは間違いない。


 地上に刺さった矢は全部で6本。2回にわたって弓が飛んで来た。

 とすると、少なくとも3人はいる。


 オババは、オババはどこ?


 途方にくれても……、足が動かない。

 射られると思うと、どうしても動けない。


 顔から汗がすっとひき、しばらくして、身体に震えがきた。


 現代なら、私が命の危険を感じるのは遊園地のジェットコースターで否応なく落とされるときなんだけど。


 え?


 ジェットコースターかよって。


 そうです。ジェットコースターです。これ以上に怖いとこ行きませんから。ま、お化け屋敷も一応、いれておくけど。


 どうしてそうお花畑なこと考えてるんだって、自分でもわかってる。おかしいってわかってる。だって遊園地のことでも考えなければ発狂しそうだったんだ。


 そう、人って理屈じゃない。

 小谷城近くの林で、この花畑脳内を分析してる場合じゃないけど。


 でも、そう考えていたら、体の震えが止まっていた。


 静かだ……。


 そうだ、オババは?


 セミの声がやみ、再び鳴きはじめた。

 弓は飛んでこない。

 私は背後に隠れているトミのところまで下った。


 彼女もやりを持つ指先が震えている。


「トミさん、オババを知らない?」と、早口で聞いた。

「あそこだ」


 トミが顎でさしたのは、私たちよりさらに後ろ、広く開けた場所で、そこに人がうずくまり、矢がつき立っている。


 とっさに私は走りだそうとして、トミに腕をつかまれた。


「はなして!」

「マトになる。テンが帰ってくるまで、待て」


 バカなと、言葉にしたかもしれない。記憶がない。

 ただ、次の瞬間、私はオババのところへ走っていた。


「オババ!」

「くるな!」と、かすれた声がした。


 だが、すでに矢はやんでいる。

 テンと九兵衛が戦っているはずで、その数は、おそらく3人ほど。


 九兵衛の戦闘能力は知らないが、テンは手だれだ。


 背中に隠した二つの戦闘用ナイフを器用に扱う。ある意味、殺人マシーンだから、3人の足軽レベルなら、彼女が負けるはずがない。


 そして、私は足がすくんだんだ!


 オババの周囲で赤い血が雑草を染め、右の太ももに矢が入っていた。


 まずい。

 この時代は矢に毒が塗ってあることが多い。


「オババ、動かないで、毒が回る」

「そ、そう……、なのか」

「たぶん。ただ、高度な毒じゃない。糞尿とかがついてるだけだから」

「糞尿、って、ハアハア、う◯こか」

「あ、ま、今は忘れたほうが」

「洗い水がある」と、いつの間にかトミが横に来て言った。

「テン……、たち……は」と、オババが聞いた。


 かなり痛むのだろう、声がかすれている。


「まず抜こう」とトミが言った。

「待って、清潔な布は」


 そんなものあるはずがない。


「オババ、足を上げるからね」


 出血しているときは患部を心臓より上にすることが大事だったと思う。出血多量で死ぬことを免れるためだ。でも、毒があるなら、出血させて毒を出したほうがいい。


 どっちがいい、どっちだ?


 周囲の雑草がかなり血で濡れていた。血で毒は流れているのならと、私は賭けに出た。足をそっともちあげ、心臓より高い位置に置く。

 オババがウッと顔をしかめる。


「そんな深くは刺さってないな。矢を手で抜くのは難しいが、この程度なら」と、頭上で男の声がした。


 九兵衛が戻っていた。


「九兵衛。敵は」

「テンが仕留めた。俺には1人しか残してくれんかったぞ」

「オババが」

「ああ、痛むぞ!」という声と同時に彼は矢を引き抜いていた。

「ひ!」


 血がふきだした。オババが白目をむいている。

 だが、人とは思われない悲鳴はそのあとだった。

 九兵衛が筒をだして、傷口に水をふりかけた時だった。


 オババの手が私の腕を掴み、その握力で青あざが残ったほどだ。アルコールのツンとした匂いがする。


 アルコール? いや、これは焼酎だ。


「九兵衛、その洗い水とか、貸してちょうだい」

「おう」


 私は持っていた布を焼酎に浸して消毒して、オババの患部を強く押さえた。


「殺す!」と、オババが低く言った。


 アルコールは染みる。痛みは矢が刺さっていた時よりも増し、激痛にちがいない。そして、布は血であっという間に赤くそまっていた。


「よし、とにかく行くぞ」


 抱きかかえようとする手をオババが払った。


「歩く」

「そ、そうか」

「オババ、肩に」

「お前も、殺す!」

「そんだけ、元気なら、大丈夫だ」と、九兵衛は笑った。


 顔をしかめ、口元を歪めると、オババが囁いた。


「矢に射られたときは、私に言え! ハアハア。必ず、私が、ハアハア、抜いてやる!」

「頼もしいな」と、言ってから付け加えた。

「さて、どこへ行くか」

「信長が虎御前山に付城を築いている。そこなら」と、私が言った。


 なぜ知っているか危ぶまれそうだが気にしなかった。物事には優先順位ってものがある。


「ここからの場所がわかるのか」

「来る途中、左側に小山を確認したろう。あの上に城と砦がある」


 九兵衛はなにか言いたそうに口を開けて、閉じた。


「オババ、こっから500メートルほどだから、10分も歩けばいい」


 ハアハアと苦しそうな息遣いをしながらオババはうなづいた。

 脂汗が額に滲んでいる。


「ごひゃめえとる? じゅっぷん? 何を言っている」


 この時代の距離は尺で測る。メートル法は知らないし時計もない。だからなんだと言うのだ。


 九兵衛は不思議そうに頭をかき、それから、ふんと鼻で大きく息をしてオババを担いだ。もう、オババは反抗しなかった。気を失ったのだ。


「矢を射たのは?」と、トミが聞いた。

「浅井の兵だ」と、いつの間にか戻っていたテンが低く答えていた。


 私たちが出会ったのは浅井長政の斥候だった。ということは、今は8月はじめにちがいない、小谷城攻略が始まる日は近い。


(つづく)

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