第2話 戦国時代、高速道路で合流することを思い出す


 私たちは貧農に身をやつして琵琶湖を船でわたり、小谷城近くまで行くことになった。


「オラたちは船を漕ぐのははじめてや。ええんか」と、トミが聞いた。

「船を漕ぐなど簡単だ。今日は天気がいい。琵琶湖もしずかで、風もねぇ。一生懸命漕いでけば、対岸までは、すぐそこだ」


 おそらく、九兵衛はこの時の言葉をあとで間違いなく悔いただろう。


 私たちの誰も船を漕いだ経験がなかった。波に揺れ、不安定な小型の荷船に恐る恐る乗りこんだとき、のちの不幸を察するべきだった。


 九兵衛は軽く言っていた。対岸はすぐそこだと。そして、私たちには距離以上の距離があったんだ。


「それで、向こうへ渡って何をする」

「おう、深く考えんな。それより、空を見てみろや、いい船日和じゃねえか」


 九兵衛は額の汗を拭って笑う。他の情報は教えない。隠密行動なのだろうが、歴女を甘くみないでほしい。行き先はわかっているんだ。浅井長政が住む小谷城に動静を探りに行くにちがいない。


 この九兵衛という男、仲間のヨシに手を付けた速さは、それこそ光のようで、女に慣れているというか、ガサツなところが放っておけない母性本能をくすぐるセクシーさがあるというか。


 あのキツネ目の『男なんてクソよ』であったヨシが、すっかりのぼせている。


 女に手練れだけど、その自覚はないようだ。自覚のないモテ男こそ、世のモテ男のなかで厄介なものはない。きっと、メンヘラ女のシカバネが累々と彼の背後に横たわっているにちがいない。


「じゃ、マチ」と彼、私に言ったんだ。

「あんたが一番若い。方向みるにいいだろう、舵を頼むわ」


 い、今! な、な、な、なんちゅうた!

 い、い、一番若い!!!


 それな。


 本当に若い女に言ったからって全然喜ばないから、ただ周囲の若く見える女の反感を買うだけだから。


 だがな、私は違う。


 2020年の現代では、もうすっかりオバちゃんなんだ。それに向かって一番若いだとぉ!!


 いや、確かにマチは20歳そこそこの年齢だ、しかし、私は……。


 お、お、おい、お前、なかなかいい男じゃないか。


 さっぱりして乱暴で、後先考えない性格なくせに、妙に優しいところもあるし頼り甲斐もある。その上に「俺じゃダメか」オーラがでている。


 だ、ダメだから、私は夫がいる身。


「アメ、なにクネクネしている」

「お義母さま、何をおっしゃいますの」


 オババが横目で睨み、それから皮肉に右頬をあげた。


「よし、漕げ、皆! 目指すは対岸だ。励め!」


 九兵衛が号令をだした。

 荷船の左側に九兵衛とテン。

 右側にオババとトミがすわり、一斉に櫂を入れた。


 入れた。

 入れたんだ……。


 船、なぜか時計回りにその場で旋回した。


「止まれぃ!」


 櫂を扱うのに慣れている九兵衛側と全くはじめてのオババとトミ。


「テン、右に移動しろ。左は俺だけでいい。それから、櫂は水のなかへ入れろ、トミ。空中で振り回しても船は動かん」


 オババが得意顔してるけど、似たようなもんだから。

 で、結果として彼一人に女三人が右翼に腰を下ろした。


 素晴らしく美しい朝陽に照らされながら、再び私たちは出発した。


 出発。


 そして、私は思い出したんだ。車の運転がむちゃくちゃ苦手だってことを。なぜ、苦手かって、そりゃ、左右の感覚が絶望的にないからであって。


 これから向かう小谷城は、坂本城からみると北北東の越前側(現在の福井県)にあり、越前から京へ上る要所に位置しているんだけど。


 ま、簡単にいうと、琵琶湖の京都側がボトムになり、トップ方面に船を出したわけだ。


 そして、わかってた。小谷城に向かうって、完全に理解していた。


 それが、なぜか、不思議なことに荷船は南方向へ。北北東に向かいたいのにその方向には行かずに、同時に出た他の荷船の方向へ進んだ。


「おう、姉ちゃん、どっちへ行く!」と、さっそく怒鳴られた。


 お前、世が世なら高速道路でヤンキーやってるオッチャンか。コブシから中指だして合図してやった。意味がわからんだろうけど。


「マチ、左だ、左に舵を切れ」

「おう」


 私は左に切った。すると、船はゆっくりと左に向かい、それから、ゆっくりと大きな輪を描いて、元の位置に戻った。


「あのな、マチ、少しだけ左でいい」

「す、す、少しだけ」


 その時、すでにパニック寸前であって、口中では苦いツバが大量にでていたんだ。


 北北東だ、『北北西に進路を取れ』って映画があったと頭に浮かんだけど。ヒッチコックのサスペンス映画だけど、こっちも微妙にサスペンスしてる。


 アカン、東だ。西じゃないって。で、北北東ってどっちよ!


 私の脳内では車の運転、首都高で合流するときの恐怖が蘇った。いや、思い出してはいけない記憶ってあると思う。


 ともかく、ずっと昔(いや、いっそ450年ほど未来か)に理解したんだ。


 首都高に入るのを、なぜ合流すると言うのか。


 それは、他のビュンビュン飛ばす制限速度など全く理解できないスピード狂と同じ立ち位置に入ることであって、合流とは、その場の戦いに入ることだ。


 いったい全体、なぜ、みな運転できる。

 なぜなんだ。なぜ、しれっと80キロ近い速度で合流できる!


 で、その時、私は高速道路に合流する白線で、安全のために一旦停車した。

 同乗者全員がそれぞれ、赤い顔したり、青い顔したりして、怒鳴ってた。

 いまだに怒られる理由がわからない。安全のための一旦停止は必要だろうが。


 てなこと考えてると九兵衛が叫んだ。


「おい、かいは同じ方向に動かせ!」


 そうだ。舵をとる私以上に、初心者ふたりオババとトミ、なぜか櫂がぶつかって喧嘩している。


「前から後ろ、同時に1、2だ。いや、トミ、空中でうごかしても意味はねぇ」


 ともかく、読者諸君。

 これ以上は、なにも書くまい。


 ただ、結果だけは教えておこう。われらは船頭を雇った。


「チッ、この計画でもらった軍資金、少ないんだぜ」と、九兵衛が細かいことを言っていたが、誰も聞く耳は持たなかった。


(つづく)

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