第2章

第1話 アメ、密偵になってみた!


 足利義昭を都から放追して数日後。京都から琵琶湖沿岸の坂本城にもどっていた。


 私たちの家、とても残念な掘っ建て小屋なんだけどね。

 現代なら耐震構造がとか、建築基準法に照らし合わせてとか、それ以前に「話にならんって」役所が吹き出すレベル。


 でもね、壁があるしかまどもあるしで、仲間たちは小躍りして喜んでいた。


「オラたち、金持ちやぁ〜〜」って嬉しそうだった。

 

 なんだか健気だ。本物の金持ちの家を知らないから比較しようもない。だから、心から喜べる。テレビやネットがない時代でも、いいことはあるって思ったわけで。


 で、私は隙間風が入る貧しい長屋で、ひとり惨めな思いをしている。かたわらでイビキをかいてるオババがうるさくて、疲れているのに眠れないし、それに…


 アレを思い出すと、もう身体がね、胎児のように縮んでしまうのだ。


 ほんと、ちょっとしたことで、ウジウジしちまうから、私は。例えば、調子にのって、つい友だちに大げさなこと言って、それで、夜、頭抱えてベッドのなかで悶々もんもんとする、我ながら面倒なやつなんで。


 いや、アレをやったのはマチだ。私じゃない。そうは思っても、ぎゃって叫んでしまう。


 両足広げて腰をおとして、渾身のハカダンス!

 全力でやった自分が。そりゃ、それで隙を作って逃亡兵から逃げおおせたよ。でもな、あいつら、きっと思ってる。


 生きてきたなかで、一番、奇妙なものを見たって。

 だって、女がふたり、いきなり、雄叫びをあげて、舌だして、そして、

 そして……、


 うう、いやだ、いやだ。


 だいたい、転生するヒロインが酷い目にあうのは、お約束で、そこは仕方ない。我慢できる。いやいっそ、みなが応援して固唾かたずを呑むなんて尊い。そんな崖っぷちを必死になって努力して這い上がってこそ共感が得られる。


 だけどさ、窮地きゅうちに陥って、ハカダンスって?

 コメディアンか。


 うう、いやだ、いやだ。


 そう、くよくよするタイプなんだ。一晩中、そうやって悶々としてたんだよ。


 そんな翌朝……。

 最悪の気分のところに九兵衛がやってきた。


「おうよ、行くぞ」と、古川九兵衛がドカドカと入ってきたんだ。

「おっ、九兵衛さまや」と、トミが言ったのとほぼほぼ同時だった。


 そして、ヨシが慌てて正座して姫様みたいに平伏した。もうね、ハカダンスで逃げる私と、かっこいい九兵衛との恋愛モードのヨシ。

 あきらかにヒロインの座を狙ってる。キツネ目のヨシが狙っている。


「俺と一緒に来てもらいたい」

「どこへや」

「いや、全員じゃねぇ。おカネおマチとテンを借りてく」


 え? 私とオババと、それからテン、なぜ?

 それに、テン?

 いや、それはないって!

 テンって、九兵衛は知らない。怖いぞ。気づくと首が胴から離れてるぞ。


「他は?」と、トミが聞いた。

「すぐにまた戦いが始まる。それまで槍の練習して身体を休めとけよ」


と、奥から低い唸り声がした。


「行かぬ」


 テンの声だ。


「ほ? どうしてだ」


 返事はない。


「私が行きたい」と、そこへヨシが割り込んできた。


 むっちゃ甘えた声だ。男の前で急に変わる女の声だ。

 私、思わず彼女の顔を見た。日焼けした頬が赤らんでいる。もうベタ惚れじゃないか。


 宇治川で溺れて、助けられ、まさか、まっさかの、フォールインラブ? 

 たぶんそうだ。あの日にみせていた表情、槇島城の陣営で休んでいたとき、九兵衛に寄りかかった姿は艶めいていた。


「いや、だめだ。テンだ」

「なんでぇ♡」


 うわぁー、見てらんない。語尾に全部ちっちゃい「ぇ」とか「ぅ」とかついて♡マークつけてるから。身体全体がクネクトと軟体動物化してるから。

 このふたりできてる。いや、九兵衛のほうは自覚ないのか。いともそっけないんだけど。


「トミ、どうしてもテンが必要だ一緒に行けと言ってくれ」

「おカネおマチは?」と、トミが聞いた。

「巫女の力とテンの武が必要になるんだ」

「なんでマチよ」とヨシが甘え、そして、私を睨んでる。


 え? 私か? というより、マチか? 攻撃相手が違うだろ、この場合はテンだろう。ヨシも簡単な方を攻めてる、いちおう、相手を選ぶだけの理性は保ってる。


 確かにマチは若くてかわいいが、それにしても、実際の私はマチじゃないし九兵衛に興味もない。


 興味なんか持ったらオババが怖いぞ、姑だし。


「なんで」と、ヨシが言った瞬間、ふっと冷たい風が通り過ぎた。

「テン!」


 トミがするどく叫んだが、声の前にテンの短刀が九兵衛の急所にあった。背の低いテンが九兵衛を攻めるもっとも楽な場所だ。


「死ぬか」

「なるほどな」


 余裕をみせた声で答えてはいるが、一瞬で全身が張り詰めている。まるで、二人とも火のなかで対峙しているような殺気だ。死地をなんども潜ってきた同じ気配が二人にはあった。


 しかし次の瞬間、九兵衛の身体が弛緩した。


「トミも来い」

「へ」

「ま、道中に話すが。だからテンよ、聞こえたか。離れてくれないか。俺には必要なものだ。そこを切り取られるわけにはいかん」


 テンの表情は変わらない。


「俺がこの両拳でお前の頭を潰すのと、お前が俺の急所を潰すのと、どっちが早い」


 テンは不思議そうに九兵衛を見あげ、ペロリと舌で唇を舐めた。

 九兵衛はテンから視線を外さず、トミとヨシに話しかけた。


「あのな、明智さまは京の所司代の仕事が大変で、ちと野暮用を頼まれた。男どもと行くより女連れのほうが怪しまれん。夫婦と子どもにお婆さん連れという格好にして、だから、ヨシ、お前は残れ。女ばかりの人数が増えると、これはまた別の意味で面倒になる」

「だって」

「危険な旅だ。ここにいてくれたほうが、俺は嬉しい。それにな、もし子を宿していたら無事に産んでほしい」


 下半身の急所にナイフを差し込まれながら、九兵衛はお茶でも飲んでるかのようにノンビリした声でヨシに向かっている。


「わかった」と、トミが言った。

「オラも行く。テン、いい加減にしとけ」


 テンの冷たい殺気が消えない。しかし、短刀を下げるとすっと立ち上がった。


「おまえ」と、テンは言った。

「いつか殺す」

「九兵衛どの。これがテンの挨拶だ。気にしないでくれや」と、トミが頭をかいた。

「で、どこに行くんだ」

「斎藤利三さまからの密命でな」


 斎藤利三、明智光秀の家老を務める重鎮だ、足軽小頭レベルで話ができる相手ではない。おそらく、その配下からの命だろう。


「密命?」

「ああ、密偵ともいう。だから女づれで目立たんように行く」

「どこへ」

「小谷城だ」


 小谷城なら浅井長政の城。そうか、これは小谷城の戦い前なんだ。

 私ははっとして彼を見た。


「どうした、巫女どの、なにかご宣託がおりたか」

「いや」


 古川九兵衛、いったい何者だ。もしかして、歴史に名を残しているのか。なんとなく名前を聞いたことがある。


(つづく)

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