第25話 信長は味方さえも敵にした
織田信長の戦いに楽なものなどなかった。
天正元年(1573年)、信長は足下がグラグラしていることに気づいただろうか。
彼が自分の物語として選んだ天下統一。そこに近づくにつれ、周囲すべてが敵にまわった。それは想定内だったのだろうか?
いや、決してそうではないと、私は思う。
彼は常に裏切られ続け、その度に、
なぜだ!
と激怒した。
つまり、理解できてなかったのだ。
どんなに誓いをかわし、どんなに信じたくても裏切られる。
味方と思った者ばかりに裏切られた信長の人生をみると、時に彼の敵のほうが優しいくらいだと思う。
「父上と呼ばせていただきたい」
そう、
「兄と呼ばせていただきたい」
最愛の美しい妹を嫁にやった浅井長政が、こう語ったとき、それは本心だったろう。しかし、その先で彼も裏切ったのだ。彼を好きだっただけに信長の驚きは激しかった。裏切りの一報を信長は2度聞き直したのは、おそらく後にも先にも彼だけだ。
長政の裏切りには「まことか」と、彼は苦渋を滲ませながら聞いたものだ。
なぜ彼らが裏切りに走るのか、とことん理解できてなかった。
なぜなら、信長は裏切らなかったからだ。ある意味、実直な男だった。義父であった斎藤道三が攻められたときにも、必死に助けに向かった。
史実を検証してみても、味方になった相手を裏切った例がない。
だから、いい加減、心が折れても不思議じゃないと思う。
私なら速攻で折れてるし、天下統一なんて仕事、投げ出したくなる。
ここが不思議なのだ。
もし、織田信長が天下統一目前にして、もうや〜〜めた。
そう宣言したら、どうなるのか。
それでも殺されたのか、それとも生き延びたのか。
こうした歴史のタラレバは無意味だろうが。
ともかく、信長は頑張った。
戦いに戦いぬいた。まず、できることから一歩一歩解決していった。
私は、現代に伝わるように信長が、傲慢だったとは考えない。
彼一人が先を見据える目を持っていたと思っている。その目で手近なことからスピード重視して片付けていく。
ほら、忙しいときに、あるいは、膨大な仕事量で心が折れそうなとき、先を考えずに、まず目前の課題からひとつずつ片付けていくでしょ。
信長は、そう頑張ったのだ。
さて、天正元年が厳しい時であったのは信長包囲網が完成したからだ。
東に武田信玄。
西に将軍足利義昭と、その先に毛利。
南に石山本願寺の顕如。
北に朝倉と浅井、その先には上杉謙信。
東西南北、まさしく敵ばかりに囲まれた危機的状況だった。
これをビジネスに例えると、企業がシェアを拡大して業界ナンバー1の地位に手が届きそうなとき、同業者からの反発が大きくなる。この時、企業経営者はまず最大のライバルから倒すのか。
信長の戦略は違った。
まず、敵の中心から叩くことにして、1番手に選んだのが将軍家足利義昭。
信長は完膚なきまで叩いた。室町幕府を終焉させることで、それぞれの戦国大名の名目を奪うことができると同時に、義昭が一番楽な敵でもあったからだ。
槇島城を圧倒的な兵力で支配下においた数日後、私たちは古巣の坂本城にもどっていた。
信長の次の標的は、やはり裏切った浅井長政と朝倉義景。
彼を裏切った者たちを順番に復讐していった。
第1章 完
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