第18話 織田信長が静かに黙想している


 物語の前に当時の織田信長の立ち位置について語る。


 彼は12歳で元服してから戦いつづけてきた。


 今川氏を破り、足利義昭を京へ上洛させ、天下が信長を、おおっと認めた頃、信長の最大の敵は石山本願寺になっていた。

 戦国時代最大の武装宗教団体だ。

 宗教という正義を振りかざすと歯止めがない。信長は顔をしかめて、考えていたと思う。


 だから、私も考える……。

 彼を推しはかって、目を閉じてみる。


 暗闇のなかで尾張から京都まで、現代なら新幹線で35分ほどの距離を、徒歩で2日ほど要した距離を思い浮かべてみる。


 天正元年(1573年)の夏……。

 座っていても、じんわりと汗がにじむ暑い時期だ。

 石山本願寺との戦いは3年を過ぎて決着がつかなかった。

 

 くそ坊主ども! と、彼は内心で思ったことだろう。


 かの勢力を統べるのに、このあと8年は戦い続けたことを考えると、天正元年には先が見えない状況が続いていた。


 並の神経なら、やってられないって思う。どこかで、もういいやって気持ちが湧き出してもおかしくないんだ。


 次から次へと命に関わる難題が持ち上がり、しょっちゅう裏切りにあい、その度に家中は紛糾し、信長なら、なんとかすると期待される。


 その期待に応える。それは嫌いじゃない。が、一方、重圧に負けそうになることだってあるだろう。


 天下布武を唱えた結果、足利義昭を中心に周囲の大名全員を敵にまわした。


 信長は考えたかもしれない。

 いっそ清々しいじゃないか、と。

 俺ならできる、やってみせると、自らを奮い立たせる。


 一方の足利義昭は「世が世なら」って気持ちから抜けきれない。信長がどれだけ尽くしても気持ちに添えなかったようだ。


 足利義昭も目先のことには愚かではない。石山本願寺に目をつけ共闘しようとしている。


 私は目を閉じてみる。


 天正元年夏、足利義昭が挙兵したという知らせが届く。


 軍略会議で家臣団はうろたえ、どうすると声だけはでかいが、さしたる戦略はない。柴田勝家が腕を組んで黙考し、秀吉は信長の顔色をうかがっている。


(お館様なら、なんと言うか。それをどう捉えればいい)と、秀吉なら考えるだろう。


 なんと言うかって?

 おめえら、少しは考えなと、一方の信長なら考えるだろう。


 軍略会議は、こんな風に進んだにちがいない。


「足利義昭が不穏な動きをしているようだ。諸国にお館様に反旗を翻せと書状を出しておるようじゃ」


 柴田勝家が口火を切る。と、家臣のひとりが聞く。


「諸国とは?」

「ワシの手の者が押さえたのは上杉謙信への書状だ」


 全員から息をのむ音が聞こえる。誰もが上杉を恐れているのは間違いない。


「上杉、あの軍神が動くというのか」

「そのようじゃ、一向宗を抑えたと情報が入っておる」

「抑えたとは、つまり、越後から京への道が開いたということじゃな。それはまずいな」

「東からの武田軍についで、北東からの上杉軍か、なんということだ」


 佐久間信盛あたりが口を出す。


「あちこちに勢力を分散するのも問題かと」


 これは明智光秀。


「ほう、明智殿になにか考えでも」


 佐久間の声には、外様だった光秀への軽蔑と皮肉が混じっている。


「まずは三好を抑え同時に足利義昭公を押さえておくことが必定かと。戦いの口火は京都から。石山本願寺と結ばれては厄介です。圧倒的勢力、圧倒的軍事力、これまでこの地になかったが故に100年もの戦いが続いたのです。誰をも圧倒する力で一つ一つねじ伏せていくことが肝要。魔王のような軍。それが我らが軍のあるべき姿です」


 ふん、こいつはいい。魔王の軍団か。

 

 信長は第六天魔王を名乗るようになったのは、経緯がある。周囲に畏れられてこその、天下統一だからだ。弱さを見せては負ける。


 しかし、疲れただろうと私は目を閉じる。


 信長は脇息きょうそくに横たわったまま、家臣の意見を聞くともなく聞いている。


 あと数分したら、立ち上がり戦場に向う。

 薄く目を開けた。家臣たちは無益な結論のない軍議を続けている。最初に光秀と目が合った。その姿を秀吉が見ていたようだ。


 つまり、私たちが古川九兵衛の話を聞いて足軽組に入れられたすぐ先に、怒涛の1573年夏が近づいていたんだ。


 私とオババと5人の仲間は出世したんであって、それはもうね、青ざめるしかなかった。


(つづく)

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