第20話 夏って、京都って、暑すぎない?
「暑いな」
槍を持って行軍することは荷車を押すより楽だけど、それでも7月の京都は暑い。現代でも盆地に位置する京都は夏に観光へ行く場所じゃないって、これ個人的な意見だけど。
さて、当時、庶民は
真夏のカンカン照りだろうが、水と食料を持って歩くんだ。
「暑い」と、私は顔を歪めた。
「ああ」
「それになんの匂いだろう、この、生ものの腐ったような、いやな臭気は」
「あれだな……」
オババが
ウジ虫がって気づいた瞬間、胃液が強引に登ってくるのに2秒。
いい、登らなくて、いい!
都にはいり、死骸や野糞が目につくほど多い。五条通りはゴミと糞と、ときどき死体で。夏の暑さは容赦なくそれらを腐らせている。手ぬぐいで鼻と口をおおっても消せなかった。
悲惨だとか可哀想だとか、考える余裕はなかった。重い槍や荷物を持って半日かけて行軍したらわかる。
こんなことになったのは、織田家の家臣がどれもこれも信長の決定に逆らえないからだ。また、逆らうだけの知略もないんだな。
思わずこのアホどもと言いたくなる。
私たちは琵琶湖から歩いて、京都に入る手前で野営した。明け方に清水寺を右手に五条通りを歩いた。
織田軍総勢7万人。
圧倒的な兵力は都人を驚かす以上に味方の私たちでさえ仰天した。
公路は、どこもかしも進軍する織田兵で溢れかえっていた。京の民衆はすでに逃げ去り、家にも道にも人影がない。
「われらは、どこに向かっていると思う、アメ」
「この方向からして京の南か北側。途中で分かれるかもしれません。あ、いえ、陣をはる必要があるから違うか」
「そこに、何がある」
「足利義昭が槙島城に立て籠もってるんです。ほら、正面に鴨川が見えてきたでしょ。ああ、思い出した。最初は寺に陣を張ったんだ」
「よく、いろいろ思い出すな」
「ありがとうであります」
「ほめちゃ、おらんわ」
けっ、この姑、昔から命令はするが、褒めるってことがない。
褒めはしないが汗を流しながら質問責めしてくる。それに、機嫌があまりよろしくない。声がとんがっている。
「現代では、場所が変わりましたが、この当時は、四条大宮にあった寺で、えっと、みょ、みょ、みょうなんとか」
「ふん、顔がみょうになっとる」
失礼な。が、嫁は、こういうとき聞こえないフリをする。嫁極意ナンバー1の掟だ。ほら、子育てで意見が違ったときに発動する奴だ。
「あ、そうか、思い出した。妙覚寺です」
「……」
「妙覚寺は二条城に近くて、足利義昭は二条城にいると思われていますから、そこに陣を張ったんだ。でも、実際は二条城ではなく槙島城に立て籠もっていて。そして、彼の配下に二条城を守らせています」
「卑怯なやつだな。じゃあ。今日戦いが始まるわけじゃないと」
「この軍勢、見てください。まるで、ハロウィーンの渋谷の交差点というか、人、人、人。おそらく、これ、デモンストレーションでしょう。俺らに勝てるか? という」
「なるほど」
「実際、敵の将は恐れをなして、数日後に二条城を開城します」
「いいニュースだ」
「ええ、今回は歩いていれば、そのうちに終わります」
その時、いきなり、右肩にドカンと重みを感じた。
と、耳元で、「お前たち、なぜ、上しか知らんような秘密に通じておる」
それは古川九兵衛の声だったんだ。私たちを配下にした足軽小頭だ。
私はぞくっとした。
彼は左腕でオババを掴み、右手で私の肩を抱いていた。
そして、顔がくっつきそうなくらい近づけ、ニッと笑った。
右肩を抱き込まれたオババは、驚いたように眉を上げ、それから、「面白い若者だ」と、うそぶいた。
「ほほう。面白いのはお前たちのほうだ。ちょっと、こっちに来い」
「なぜ」
「ここで死ぬか、それとも吐くか」
オババがツバを吐いた。いや、ほんと今日のオババの機嫌は最悪だ。
「きたねぇな」
「吐いてみたんで」
「おちょくっとんのか」
「死ぬのはいやですからね。吐くほうを選んだんです」
オ、オババ! まずいよ。これは、かなりきてる。長い付き合いだ。いや姑と長く付き合いたくないけどわかるんだ。オババの機嫌がひっじょ〜〜〜に悪い。
「ち、食えない女だ。吐く意味が違う」
「あ、あの」と、私はおずおずと間に入った。
「なんだ」
「あの、その、私たち未来人です」
「は?」
「明日はなんていうでしょうか」
「明日は明日だ」
「今日からみたら、明日は未来です」
「それで」
「そっからきました」
九兵衛は目を丸くして、それから、ふいに笑った。
「戯言ばかり言ってんじゃない」
「ですから、私たちは敵ではないです」
「タケが言ってた通りだな、お前たちは奇妙だと。奇妙なことをよく知っていると」
タケって、私たちに家とか槍の殴りあいとか教えてくれた、あの九兵衛の配下か。
「いやあ、タケさん、またお世辞を」
「本人のいないところで、お世辞は言わん。ましてタケはな」
「まあ、いろいろ知っています。未来人ですから」
「つまり、あれか。巫女か」
そ、そこにいく?
ま、いいか。
「そうです、巫女です」
九兵衛は顎をさすった。
「なるほど、尋常じゃねぇ力があるってことか。そんな力があっても食っていけんのか」
「ま、だからこそ、あなたの力になれます」
「妖の術でも使うのか」
「そこまで力のある巫女ではありません」
九兵衛はおおらかに笑った。単純でいい男だ。
「よし、わかった。この後はわしに進言せよ。よいな」
オババは顔をしかめ、私はうなづいた。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます