第12話 女といえば打ち明け話だ


「トミさん」

「おう、なんや」

「あ、あの、どうして雑兵になったのだろうって」


 頭上まで伸びる雑草をなぎ払って歩いていると、自分がどこかで迷っているような錯覚を覚え話がしたかった。


「そりゃ、あんたらと同じや」と、彼女は持っていた木の枝で草を払った。

「兵になりゃ、食べるものがある」

「家族はどうしてるの?」


 夜だし私は厚かましくなった。


「オヤジは畑仕事をしとるよ、お袋は弟を生んで死んだんや。兄は兵に出たまま行方知れずで、まだ小さい妹や弟は畑を手伝ってる。で、私が兵にでたってわけや。この身体だ、人一倍食べるから、いい食い扶持ぶち減らしや」


 淡々とした口調だった。


 現代人なら自分の不幸を嘆いて劇的な話し方をすると思う。しかし、トミは太った身体を持て余しながら、「昨日の夕めしは焼きそばだった」程度の話し方だ。


 21世紀に住む私たちは情報に溢れた社会に住み、あくなき欲望を知ることができる。戦国時代の庶民にとって、知識は近くにいる者の噂話くらいしかない。殿上人の幸福を羨むほどの情報がなく、そこに手が届くという幻想もない。


「カズやハマも似たようなもんや。ようは口減らしや」と、後ろを振り返った。

「ヨシは、ちと違うがな。あれとテンは訳ありや」


 すぐ後ろを歩いていたヨシが顔を上げた。


「あたしはね、あんたらとは違う」


 ヨシの声には、わかりやすく見栄が含まれて笑えた。21世紀の私から見れば、みな戦国時代の庶民であって、ほとんど相違はない。


「父上は侍だった。織田に滅ぼされちまった」

「負けた側にいたのか」

「そうや、屋敷があったんや……、下人もいる大きな屋敷だった。あいつら、家まできやがって、母上は犯された、私の隣で一緒にな」


 ヨシは語った。夜が言わせた打ち明け話だろう。暗闇は人を無防備にさらけ出す。


「そして、今じゃ、そこの兵として働いてる。皮肉なもんやないか」

「ヨシさん」

「よしとくれ、暗くたって、同情した目はわかるで。あんたなんかに、そんな目で見られるほど、落ちぶれちゃいねぇ」と、言ってから付け加えた。

「どうしたって、腹はへる」


「親の仇を討とうとか思わなかったの?」

「ほほほ」と、彼女は乾いた声で笑った。

「嫌な親だった。いつも怒っていた。いっそ殺されて清々したわ」

「ああ、そうだ、ヨシ。わてらが家族や。大事にしなや」

「戯れごと言ってんじゃねぇ」


 ヨシはそう言ったが、嬉しそうな声音になった。

 そう、この仲間はみな悲しい、悲しくて寂しい。


「では、テンは?」

「あれは、昔、オラの家近くの森でボロボロになって倒れとったんや」

「倒れていた」

「ああ、無数の打ち傷をうけてな。ともかく、体中に傷を負って死にかけとったんや。それで、オラの秘密の洞窟に運んで助けた。それ以来、ずっと一緒や」


 トミに忠実なわけは、そういうことか。


「あんたはん。今、テンがオラの言うことを聞くと思うたな」

「実際、あの子はあなたの言葉だけは耳を傾ける」

「勘違いしては、あかんえ」

「勘違い?」

「そうや、テンは誰にも打ち解けん。オラにもな。実際のところ何度か殺されかけたこともある」

「テンに」

「ああ、気抜くと殺される。あれはそういう女だ。心がない」


 心がない。初対面で首に短刀を突きつけられたとき、あきらかにテンは楽しんでも怒ってもいなかった。ただ、冷たい水のようだった。


「恐ろしくないのか」

「恐ろしいよ、しかし、役にたつ。テンが我らと一緒にいるのは食べられるし、殺せるからだ」

「だ、誰を」

「あいつが殺したい奴をだ」

「殺したいやつ」

「あれは、村八分の家で育った。村八分になった理由もテンのせいやがな。心の中が見えるわけやないけどな、いつも殺したがっていると思うぇ」

「よく知ってるな」


 トミはこちらに顔を傾けると、ふっと笑った。


「うちの村も、となり村も小さいんや、噂はすぐ伝わる。ヨシんとこみたいな侍の家じゃない」

「侍でも噂話はある」と、ヨシが嬉しそうに口をはさんだ。

「ああ、そうだ。人はみんな同じだ」

「それで、テンは?」と、私は話を戻した。

「テンは小さいときから異形やったんや。となり村のオラ達さえも、あいつには近づくなって噂が聞こえるほどな。犬でも虫でも、なんでも殺すと聞いた」

「子どもの頃から……」

「そうや。テンは美しい。だから余計に怖い」


 サイコパスかも。私は首筋に突きつけられた短刀の容赦なさを思い出した。あの時は勘だったが、今は確信に近い。


 精神科医なら反社会性パーソナリティー障害という診断をつけるだろう。もしそうなら、脳の一部が普通とは異なるはずだ。


 脳の記憶をつかさどる部位が正常より小さく、エピソード記憶が普通に比べて少ない。サイコパスの特徴だ。エピソード記憶とは、過去の出来事に関する記憶のことをいうが、サイコパス脳はこの機能が低下して、自分の過去を正確に思い出せないという。


 おそらくだが、テンが過去の村の事件を覚えているか疑わしい。


「テンは生まれながらの殺し屋だ。なんでも、父親は元間者もとかんじゃとかで、幼いころからテンに武術の訓練をしたらしい。となり村の奴ら、テンが大きくなるにつれ恐ろしくなったんだな。家が村八分になった。それで家族は全滅よ。小さな村で八分になると生きてくのは難しいんや。でな、その日、何があったかわからんが、テンは家族を殺して村に向かった。まあ、さすがに村の大人全員を相手はできないわな。ボコボコにされて、森に捨てられたってわけや」


 背筋を冷たい汗が落ちていった。


「なぜ、そんなテンを助けた」

「この身体だ。見ればわかるだろう、オラは女だが、女男とバカにされて生きてきた。まあ、テンほどじゃないがな。どうして助けたんやろな。テンは美しい。ま、そう、訳あり、それだけや」


 大きく息を吐いてからトミは続けた。


「誰もが訳ありや。だけどよ、こんな酷い目ばかりにあえば、きっと神さんが見ててくれるさ。母ちゃんはそう言っとったよ、悪いことがあれば、同じくらい良いことがある。悪いことと良いことは半分半分、これからは神さんがあんじょうしてくれるってな」


 神さんがあんじょう……。


 彼女たちは知らない。

 これから40年は戦乱の世が続く歴史を知らない。とくにこの近江辺りは京都にちかく、徳川が天下を握るまで何度も戦いの場となり、それは1614年の大阪夏の陣まで続くんだよ。


 彼女たちが生きている間に平和な時代など訪れない。


「ほら、あそこに見える。城だ」と、オババが言った。


 高い背の雑草を透かして城が見えた。

 朝陽が右手から上がり、黄金色の光が城の側面を照らし始めていた。


「ち、帰れちまった」


 トミが吐き捨てるように呟いた。


(つづく)

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